惨劇だった。一体何をどうすればあんなことになってしまうのかわからなくなってしまう程に。


「・・・何か、やばくない?」


愛島が見つかったまでは良かったのだ。廊下を飛び交う本や椅子から七海を守ってくれて、ただとある教室から聞こえてきたピアノの音に吸い寄せられた二人を待っていたのはサタンに操られている聖川だった。


七海と愛島は今、聖川の魔法によって出現した鎖に身体全体を拘束されている。近距離に加え遠距離の攻撃にも対応出来る魔法を聖川は体得しているのでうかつに手が出せない様子だ。


「鎖・・・ですか」


一ノ瀬がそう呟いている間にも、聖川が身動き出来ない七海に近づいて七海の衣服を裂く。私服の腕部分が紙のように千切られて、床に落ちる。太い鎖は彼女達が暴れる度に食い込んで、まるで蛇に絞め殺されかけている兎のようだ。
昼食なんか放り出してモニターを見上げて固まっている私の肩を一十木が揺さぶる。


「苗字やばいよ、七海がマサに酷いことされちゃうよ」

「・・・そんなの見ててわかるけど」


助けにいかないと。七海も聖川も傷つく。そんなことはわかっている。


「でも」


わかっているのだが。
まだ動かない私に一十木は苛立った。


「七海の危機なのに!!」

「うるさいなあ!!じゃあお前が行けば!?」

「ああ行ってやるよ、苗字がこんなに意気地無しとは思わなかった!!」

「音也!!私言いましたよね!?もう忘れたのですかこの馬鹿!!」

「うっ」


不毛な言い争いを交わしている時間なんてないのに。諦めるべきである私の瞳は七海を毒牙にかけようとする聖川と、暴れる愛島を捉えていて。順調に彼女の服は乱されていき、七海の頬を白いあの指が包む。もしここで七海が聖川にキスをされたら愛島との魂の契約は無効になる。それがどんな事態を引き起こすのかは知らない。知らないがよくないことになるのはわかる。
日向先生が私に言ったこと、私が自分で思い知ったこと全部自分のなかでひとつひとつ再確認しながら私は拳を握り締めた。


「あーもう!」


一十木と一ノ瀬が同時にびくっとした後、私をじっと見る。私は椅子にかけられたままのHAYATOの上着を手に取ってドアに向かって走る。


「七海に聖川に気を付けろって言い忘れてた!!」

「えっそれを今更!?」


例え何も出来なくても今行かなくては一生後悔する。日向先生には悪いが私は全速力で七海が捕まっている教室まで走っていった。



廊下に落ちている本や、椅子の破片を踏みつける。途中二宮金次郎像が私に襲いかかってきたが長いこと相手をしている暇はないのでケンカキックを一発眼球にお見舞いしてやってから先に進んだ。
目的の教室にたどり着いて、教室のドアを引こうとしたがやはり全く動かない。これが動かないとすると聖川の魔法がかかっていない場所から侵入するしかないわけで、というか迷っている時間もなくて。


私はHAYATOの上着を広げて出来るだけ腕に巻き付ける。


廊下の隅からまた全速力で駆け出し、ガラスと木製の枠で出来た窓に思いっきり飛び込んだ。


狙い通り窓は割れて、私の周辺にて破片をきらきらと飛び散らせながら床に落ちていく。特攻に成功した私が着地のことをすっかり忘れていたせいで冒頭いきなり、地面に叩きつけられた。
顔と腕は無事だが膝を少し破片で切ってしまっているらしい。HAYATOの上着を持ってきていなかったらもっと酷いことになっていただろうなと思いながら立ち上がる。


聖川に迫られつつも七海は役立たずである私の登場に目を輝かせている。映像で見ていたよりも彼女の状態は散々たるものだったがなんとか間に合ったようだ。私が今出来ることはひとつだけである。愛島を見ればあの緑色の目と一瞬視線が絡み合う。


すぐに目を逸らして、改めて聖川を睨み付けた。何とかして一発馬鹿の顔面に決めてやりたいところだが自分の都合を優先するべきではない、聖川が指を鳴らす。


「名前ちゃん!」


天井から鎖が落ちてくる前に私は床を蹴った。先程まで在籍した場所を鎖が襲っている。じっとしていたらやられる。


「うわっ」


予想以上に地面が揺れていて、私の背後の空気が両断される。教室内の机や椅子をはね除けながら出来るだけ逃げ回る私を次々に備品の皆さんが襲った。我輩は猫であるに顔面を横から殴打された時はさすがに文豪である夏目漱石を恨む。誰かが置いていった教科書やルーズリーフも、楽譜も全部が宇宙みたいに宙に浮いていてこんなに焦っている自分が馬鹿みたいだ。鎖が棚に突き刺さる。綺麗な花瓶が割れる。水が弾けて百合が落ちる。ピアノの近くまで逃げ切ったところ、弾けた水で足を滑らせた。今回は助けてくれるような人間はいない。こける。その隙をあの男が見過ごすわけがない。


猛獣に首輪をかけるように、お約束通り天井から伸びてきた鎖が私の首に巻き付きぐっと上に引き上げた。喉と血管が絞まる。


軽い首吊りを私と鎖が再現している最中に聖川がくる。聖川は楽しそうに私を一通り眺めた後、私にさらに近寄って足を指でなぞる。肺が詰まった。


蹴飛ばすにしろ、暴れたら鎖がさらに食い込む。黙っている私に聖川の暗くて青い目が深くなる。


「こうやって触られるだけで吐き気を催すと聞いたが」


片方の太ももを彼は掴む。嘔吐するのはもう克服した。克服したはずだが聖川の手を見る私の眼球は上下に揺れている。


「この程度で吐くならそれ以上のことをしたらどうなる?」


何をされるのか想像している隙間はない。聖川の顔面に某少年の顔面が合成される。両親の悪口と、ミミズやナメクジにまみれた私の靴や服、美味そうに私の前でケーキを食べるもちろん私にはない、髪が伸びているからとの理由で根元から切られる、もう二度と思い返したくない出来事が聖川を通じて戻ってくる。


「・・・罵っても意味がないかな」


言い返したら倍になって返ってくる。鎖が喉笛を圧迫する。過去と今が交互に点滅している。


「冷静によく考えてみたら今のお前は非生産的な雄なわけだし」


雄が私の太ももを揉んでいる間に半壊した棚の上にある手頃なサイズの花瓶の破片に手を伸ばし、片手に潜ませる。
雄なんてこの世から消えてしまえばいい。女を自分の思い通りになる玩具としか思っていなくて好き勝手されても私がそこでしか生きていけないことをいいことに思い付く限りの嫌がらせを行って私の思い出を、両親との生活を汚して踏みつけて生きていく。
花瓶の破片を雄の頸動脈に突き刺してやろうと思った。


そうすればもう嫌なことなんてない。夜中に泣きながら靴を洗わなくて済むのだ。冬は手がかじかんで大変とかも考えなくていいのだ。


瞳と同じ色をした髪の下、白い首筋に破片を寄せる。まだ雄は気づかない。
刺すなら刺せばいいのに、私の手はそれを阻むかのように破片をしっかり握りしめてそれ以上手が進まないように努めている。破片が掌や指の関節に食い込んでそこからぼたぼたと真っ赤な液体を滴り落とした。


雄の首筋から私の血が流れる。


「・・・お前」


急に雄がそう言って、光のない目を自分の首に向けた後、破片を握る私の手を見た。


「血が」


雄ではなく聖川が私の手首をそっと掴む。
赤い線から溢れ出す血が聖川の白い指を汚していく。それを見ながら私は目の前にいるのは雄ではなく、あの世話焼きでおせっかいな聖川真斗であることを思い出した。


こいつは違う。ただの優しい人類だ。


揺れるのをやめた目で聖川の向こうにいる愛島と七海を窺う。七海は泣きそうな顔をして私を見ている。


大丈夫、私は聖川の肩越しに彼女に微笑んだ。


「・・・ありがとう」


破片を床に落として、少し手を動かして聖川の手をぎゅっと握り締めた。聖川はまだぼんやりとしている。


「時間稼ぎ出来ちゃった」


その瞬間愛島が七海と自分に絡み付く鎖を全て断ち切り、互いに抱擁を交わし支え合いながら地面に降り立つ。


そして今だけは正気に戻りかけている聖川に手を伸ばした。


「我にミューズの祝福を」

「迷える神の旋律よ」

「真なる姿を我の前に示せ!」


白い光に聖川共々包まれる。聖川の指から飛び出した青い五線譜は私と聖川の周りを駆け巡って、目の前で一枚の楽譜に変わった。
私の首を圧迫していた鎖が消えて、倒れてくる聖川と楽譜を無事な方の手で受け止めながら床の上に座り込む。


ぼろぼろになっている愛島と七海がこちらへやってきて、私達を見下ろした。聖川の頭を膝の上に置いて私がニヤッとすれば七海が私に飛び付いてくる。
愛島に楽譜を渡して彼女の背中を軽く撫でる。


「ごめん、やっぱりついていけば良かった」


ぶんぶんと七海は首を振った。


七海にHAYATOの上着を着せて、愛島と七海が手を繋いでいる横で私は聖川を引きずりながら教室から退避した。本当は私だって七海と手を繋いで歩きたかったが聖川を放置するわけにもいかない上、私も体力の限界だったのでこの形に落ち着いたのである。


そのままレコーディングルームまで無事にたどり着き、ドアを開ければ一十木が飛び出してきた。


「七海!!それとセシルと苗字とマサ!!」

「おまけみたいに後付けすんな馬鹿男」

「消毒液と絆創膏ないですか?」

「ちょっと待ってて!!」


そうのたまう一十木の背後にはすでに薬箱を持って待機している一ノ瀬がいた。七海が愛島の傷の手当てをしている間に聖川をソファーに投げて、その隣に私も座った。


「はあ」


疲れた。というかかなりの血が吸いとられたような気がする。
隣の聖川には目立った外傷は見られず不本意ながら私は安心した。


ぐったりしている私の顔面に影がさす。


「手を出しなさい」


消毒液と絆創膏などを持った一ノ瀬が私の頭上にいた。


「あなたたちは馬鹿ですね」


大人しく手当てを受けている私に早速説教が始まる。遠慮なく消毒液を吹きかけられて私は発狂しかけたが耐えた。


「実はスタンガン持ってたから使う気満々だったんだけど」


大きい絆創膏がべたりと貼られる。


「聖川目の前にしたら無理だった」

「そうですか」


特に感想もなく治療は終わり、一ノ瀬は私の隣で眠っている男の首を濡れたハンカチで拭うべく移動した。


「苗字!」


ソファーの後ろから一十木が現れて私の頭を二秒抱擁した後すぐに離れて、子供のように笑った。


「マジかっこよかった!!」

「そうでしょうよ」


私も私でふんぞりかえって電灯に怪我をした掌を翳す。


「私が女だったら間違いなく結婚してた」

「良かったですね、貴女はすでに女性ですよ」

「婚姻届」


冷ややかな一ノ瀬の声を耳にしつつ両目を閉じる。


「書かなきゃ」


とりあえず、もうこんなことはごめんだ。教育に悪すぎる。
聖川が目を覚ましたらここぞとばかりに罵ってやろうと決意した。



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