貧しかった。おまけに汚かったので誰も私を見なかった。だからいつも劣等感に晒されていた。
家族がいなくなってからは親戚に預けられ、苦しい毎日を送っていた。他人の子供だからとことんいじめぬかれた。もうこんな生活は嫌だと親戚の家を飛び出した結果、孤児になった。飢えて、神経が鈍り枯れた人参だろうが腐った林檎だろうがゴミ箱のなかを漁って食べられそうなものは何でも食べた。
不思議と死にたいとは思わなかった。

水を求めてとある川の側に座る。きらきらと輝きながら一定の方向に流れていく水の束を乾いた瞳でじっと見つめる。詰まった喉としては大自然の産物なんてもはや大量の麦茶にしか見えないわけで、私はそっと手を差し込んで透明な液体を掬い口に含んだ。冷たい水は音もなく私の喉を潤し、淀んだ目を少しだけ浄化した。
水が流れ、風がそよぎ、咲いた花と天に向かって伸びる草が私の足元でゆらゆらと揺れている。私がどんなに苦しんでいたとしても世界は勝手に回っていくものであり、たとえば私がここで川に飛び込もうとも明日は無表情でやってくる。


花に手を伸ばす。真っ直ぐに立った茎を指で挟んで左に倒せばぱきりという音と一緒に折れた。折れてただの飾りになった花を口内に放り込む。青臭い味がした。
そのままもちゃもちゃと噛んで何となく後ろを振り向けば一人の女の子がいた。


嫌な予感がすると思えば。黄色の目を大きく見開いて私の口をじっと見つめている。
飲み込む暇もなく、私は警戒し、急いで立ち上がった。遭遇するありとあらゆる人間に酷い目に合わされたのでいざという時に逃げる速度だけはすこぶる早かった。
今回もすぐに逃げてやろうと思った。どうせこの女の子にも親がいて数秒後には親も交えて石でも投げつけてくるのだろう。そんなのはごめんだ。


地面で足の裏を擦りながら後ろへ後退する。
二秒もあれば逃げられる状態に準備を整えた頃、ぱしっと腕を掴まれた。


私は非常に汚い。風呂なんてもう一億年は入っていないような気がする。そんなことを言わなくても、見て分かるに違いないぐらい黒い私の腕を素朴ながらさっぱりとした衣服をまとった女の子の、白い手がぎゅっと握っている。それを私のまんまるに開いた目が異形の生き物でも見るかのように見つめている。

私の身体は動かない。

女の子は私の手に小さな袋を握らせた。透明な袋のなかにはお菓子のようなものが入っており、袋の上部はピンクのリボンできゅっと縛られている。唖然としたまま私は目線をあげれば女の子はおずおずと私と瞳を見合せ、花はたべものじゃなくて見るものであること、そして私の手に握られているお菓子はクッキーであり祖母と完食する予定が想定外に余ってしまったのて是非食べてほしいといったことをたどたどしく伝えた。
頬を真っ赤にした彼女は大陽の下ではにかんだ後、私の手を解放し、小さな足音をたてながらどこかに去った。


その後ろ姿を黙って見つめていた私は何かに導かれるように彼女の後を追った。追いつく可能性なんてなかったがどうしてもそうせざるを得なかったのである。頭が、頭のなかが高揚していて、息があがるのも朝からあの花以外何も口にしていないのも、足がよろけるのも何にも思わなかった。待ってと一言いえば良かったのに久しく他人と話していなかったので声なんて忘れていた。
いくつもの木を抜けて、黄緑色の道を真っ直ぐに進めばひっそりと立った家を見つけた。


そっと近づいて一番近くにあった窓に手をかける。なんとも汚らわしいストーカーだと今の私なら自嘲出来るものの当時の私にそんな理性はない。それに人前に出られるような格好でなかったので真正面から接する勇気もなかった。
見つからないように覗きこんだ透明なガラスの向こうには先程の女の子がいて、噂の祖母とやらに抱き締められている。その後二人で笑顔を交わした後、彼等の側にあった大きなピアノの前に座った。


小さな指が鍵盤を押す。


ガラス越しに届く音は今考えてみればよくもわるくも子供の演奏会で、冷静になればそこまで崇め奉ることもないのにその時の私は完全に彼女が作り出す波に飲まれた。澄んだ音は私の耳にすんなり馴染んでまるで昔の想い出のように、私を頭から包み込む。


この時私は心から彼女の隣にいきたいと思った。


隣に立って、もっと近くで聴きたい。ちゃんと話をしてみたい。きっかけは向こうがくれたのだからどうにかこのチャンスを無断にしたくない。
そう思いながらも改めて自分の姿を見直し私は赤面した。

こんな格好で誰が相手をしてくれるというのだ。


いくら彼女が慈悲深い少女(憶測だが)であるとはいえあの時私に接してきたのは同情心からくるものであったに違いない。それだけでもありがたいというのにのこのこと汚ならしい格好で家に入ってきたりしたら、私があの子ならまず意味もなく軽蔑する。理由は何にせよまず石を投げる。そのうえ靴の裏で尻を蹴飛ばし追い出す。


このままではいけない。私はまだ駄目だ。あの子にお礼をいうのは、あの子の隣に立つには現状を抜け出さなくてはいけない。誰もが目を見張るような素敵な人類になり、心身共に成長して、誰にも石を投げられなくなってから、私はあの子に会いに行くのだ。
窓から手を離してぎゅっと拳を握り締める。耳に染み付いた音はまだ私のなかで鳴り止まない。


頂いたクッキーを両手で包み込み、私は彼女に背を向けた。
今からどうすればいいのかなんてわからない。マイナスからのスタートであることは子供心でもわかっていた。でも動かないとやっていられなかった。


ちなみに貰ったクッキーはその日のうちに食べた。私の好物のリストに追加された。


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