不毛な恋なのは百も二百も承知している。


「そこは教科書の……ほらここに。これの補足は黒板に書いたはずなんだが」


『国語科準備室』なんて固い名前の付いたその部屋に、担当の教師を放課後訪ねるのはわたしの日課だ。

別にわたしはものすごいまじめな生徒ってわけではないと思う。
スカートは短すぎるわけではないけど、規定の丈を守っているわけでもない。片方だけどピアスだって開けているし、薄い茶色の髪は地毛じゃない。ごく普通の一般的な女子高生って奴だと思う。
成績は、中の下か下の上くらい。もっとも、この日課のおかげで現代文の成績は学年で10位には入るけど。


そんなわたしが毎日この準備室を訪ねるのは、シャンクス先生がいるからだ。


シャンクス先生は教師たちの中では比較的寛容だし、生徒と同じことではしゃいでくれるから、生徒たちからはすこぶる評判がいい。
しかもただのおちゃらけた教師ってわけでもない。授業は他の担当のどの先生よりわかりやすいし、質問にも丁寧に答えてくれる。

だからわりと質問を受ける方だと思う。だけど、わたしがシャンクス先生に質問に来ているのはそんなありきたりな理由だけではなかったりする。残念ながら。

「まあ、こんなもんだろ。わかったか、なまえ?」


突然名前を呼ばれて、心臓がとくんと弾んで一回転した。


わたしは、たぶんぜったいシャンクス先生が好きだ。

教師を好きになるだなんて馬鹿げてるし、不毛すぎる。友達の誰かがそんなことを言い出したらぜったい反対する。けれど好きになってしまったのだから仕方ない。


「……はい。あ、ありがとうございます」


軽く頭を下げると、先生の顔に安心したような笑みが浮かんだ。

子供みたい、なんて失礼なことを思う。だけど、先生のそういう子供みたいなところが好きだ。かなり年が離れているのにそれを感じさせないところとか。


「先生」


たった4文字を音にするだけなのに、驚くほど心臓の音が煩い。


自分が何をしようとしているのか考えるだけで、顔から火が出そう。

今日一日、授業中もずっとこのことについて考えていた。さっき質問した内容だって頭に残っているかどうか怪しい。


どんな馬鹿げたことをしようとしているかきちんと理解はしている。
だけどもう限界なのだ。

例えばすれ違った時に目が合って笑いかけてくれたりだとか。傘を忘れたわたしに、自分はびしょ濡れになるのに傘を貸してくれたりだとか。そのせいで風邪をひいて次の日寝込んでしまうとか。調理実習で作ったたいして上手くもないパウンドケーキを美味しそうに食べてくれたりだとか。

そういう、他人から見ればなんてことない小さな出来事に、小さなときめきや好きな気持ちが重なっていく。


実ることは望まない。ただこの気持ちを知ってほしいと、伝えたいと思ったのだ。


「先生のことが好きです。あの、恋愛感情として」


その瞬間は思ったよりあっさりと訪れた。

顔を上げたシャンクス先生を真っ直ぐに見つめながら、質問するときと同じ口調でわたしは呟いていた。


先生の顔が露骨に歪み、目が泳ぐ。
ひどく困ったような顔をされたのも「悪いな」と呻くように言われるのも予想の範囲内だ。


けれど、目からあふれる液体は予想外だった。

シャンクス先生の顔がだんだんとぼやけ、嗚咽が漏れる。
笑わなきゃ。笑え、と言い聞かせても、ぐちゃぐちゃに混乱した思考と心に満ちた悲しさがそれを拒む。


「あの、えーと、そうだな」


やわらかく宥めるような心地よい声が耳朶に響いた。


「……なまえのこといいなとは思うけどよ。俺は教師だし、教師であることに誇りを持ってる」


困った顔をしているだろう先生に首をぶんぶんと横に振る。


実ることなんて望んでない、そう何度も言い聞かせてた。
実るわけないってわかってたし、思ってた。


でも、でも。心の奥の奥の奥では、きっと期待していた。
何か奇跡が起こるんじゃないか、って。

これが現実なんだと突きつけられ、止まらない涙を乱暴に拭う。


「変なこと言ってすみませんでした」


頭を下げて、逃げるように準備室を出ていこうとしたわたしをシャンクス先生は呼び止めた。


無視しようと決めていたはずなのに、先生がわたしの名前を呼んだ瞬間、裏切者の足は動きを止める。
振り返って、不機嫌な声で「なんですか?」と聞くわたしはかわいいなんてお世辞ですら言えない。

シャンクス先生は目を細め、ちょっと呆れたような寂しそうなそんな顔を向けた。


「俺は教師だし、なまえはその生徒だろ?」


あまりに当たり前のことを確認され、自然と眉間に皺が寄る。
けれどわたしの反応なんて気にしないで、だからさと、軽いトーンで先生は続けた。


「そういうのは、俺がお前の先生じゃなくなった時に。もし、まだ、こんなおじさんを思ってくれてたら言ってくれるか?」


不安そうな顔をして、小指を差し出したシャンクス先生はやっぱり子供っぽい。けれど、その小指に自分の小指を絡めて、絶対ですよと念を押すわたしもまだまだ子供だと思った。

君の小指と僕の小指で結んだ小さな小さな固い条約

続きはいつか、そう遠くない未来にでも。








南兎様


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