「これ、トラファルガー君に渡しといて貰える?」
頬を上気させ、手紙を差し出した彼女にはきっとわからない。
笑顔でそれを受け取りながら、どろどろとした嫉妬に飲み込まれそうなわたしの気持ちなんか、わかるはずもない。
だから。だから、小さな意趣返しくらいは許して欲しい。そう思うのは自分勝手なんだろうか。
「お兄ちゃん彼女いるけど……それでもいいの?」
首を傾げて、困ったような顔で言ってやれば、目の前の彼女は目を見開いた。顔が今にも泣き出しそうに歪む。
顔を覆って駆けていく彼女の後ろ姿に唇を吊り上げるわたしは、そうとう意地の悪い女だと思う。
「ロー、今日の夕飯何がいい?」
笑みを収めてから教室に戻り、自分の席で読書する七日違いの義理の兄に声をかけた。
「……ああ、なんでもいい」
本から顔を上げて落とされたいつも通りの素っ気ない答えに苦笑する。
それでも答えがあるだけまだマシなのかもしれない。本に気をとられているときのローはとことん周りに無頓着だから。
わたしが帰り支度を始めれば読んでいた本を閉じて、「夕飯の買い出し行くんだろ。荷物持ち、手伝ってやる」なんてさりげない気遣いすら見せる。
それが嬉しくて、今日の夕飯はローの好物にしようと考えるわたしは単純だ。
「それ、なんだ」
「んー、たいしたものじゃないよ」
手に持っていたローへの手紙を指差され、曖昧な答えを口に乗せる。
ローの興味が外れた一瞬を逃さず、それをぐしゃりと握り潰す。
だって、ローは絶対に受け取らない。直接ならともかく、わたしの手を通してなら絶対に。
それは昔からーーわたしたちが兄妹になる前から変わっていない。
それに悔しいんだ。恋人がいようとローに好意を伝えることが許される、ということが。
……ローに恋人が出来たのは、わたしたちが兄妹になった三週間後だった。
「なまえ」
例えば、彼に掠れた声で名前を呼ばれて。潤んだ情欲に溢れた目で見つめられて。
そんなふうにして求められ、拒むことが出来る女などいるのだろうか。
いつのまにか後ろに立っていた彼に名前を呼ばれ、買ってきた食品を冷蔵庫に突っ込んでいたわたしは一瞬で動けなくなる。
「ロー?」
躊躇いがちに呼んだ彼の名前にはわずかな期待が込もっていた。
腕を強く引かれ、くるりと彼の方を向かされる。
「なまえ」
掠れた声が、鼓膜を揺らす。
“それ”を禁忌だと咎める人はいない。
噛み付くように合わされた唇は血の味がした。
「……お前が好きだ」
離された唇が囁くそれは、わたしの世界を崩壊させる。
溢れる涙を拭う指は優しすぎるくらい優しくて、涙が止まらない。
「……兄妹、なのに……!!」
当たり前の事実は言った側も言われた側も傷つくだけだった。
「じゃあどうすればよかった?」
問いかけながらも、答えは求めていないのか唇が再度合わせられる。
堂々巡りの悪循環。
ローは何度繰り返せば、現実がわかるんだろう。そんな日が来なくていいと思ってしまうわたしもきっと同罪だ。
唇が強引にこじ開けられ、舌が入り込んでくる。
低体温なローの舌だとは思えないほどそれは熱くて甘い。
その熱にじんわりと何かが溶かされていく。
《ああ、駄目だ》
どん、とローの体を押す。息を深く吸い込んだ。
理性が本能に負ける直前。わたしは今、この状況で1番残酷な言葉を吐いた。
「“お兄ちゃん”、やめて」
ローの瞳に、一筋の冷静さが宿った。
それと同時に、痛いほどの力で抱きしめられ、幼子をあやすようにぽんぽんと頭を撫でられる。
「……悪い」
けれども次の瞬間には慌てたように引きはがされ、わたしは床に崩れ落ちた。
唇を噛み締め、この場から立ち去ろうとするローをぼんやりと見つめる。
いつもと同じ。
わたしが好きだと言いながら、これからローはわたしじゃない女のところに行く。
それがただの慰めだとわからないほど子供にはなれない。だけど、ローの手が、唇が、わたしじゃない誰かに触れている、と思うだけで嫉妬に狂いそうになる。
わたしは、とっくの昔にローに溺れてるんだ。
ローよりも僅かにある常識のせいで、それを伝えることが出来ないだけで。
「行かないでよ、ロー」
出ていこうとするローを引き止めたのは、ほぼ無意識だった。
「なまえ?」
驚いた顔で振り返ったローにどくりと心臓が跳ねる。
らしくないと自分を諌めることが出来るほどわたしの理性は残っていなかったらしい。
今度はわたしから、ローの唇を塞いだ。
世界を止めて、息をも止めた
『わたしだって好き“だった”』
そう言ったら、彼は泣きそうな顔をして笑いました。
南兎様