二人掛けのソファに深く腰掛け、ほんのりと湯気の立つカップに口を付ける。ちらりと目を遣った時計の針は、あと一時間と少しで今日が終わる事を知らせている。一人で過ごすには広すぎる部屋で、大して面白くもないテレビを眺めるのにも飽きてきた頃、何の前触れもなく耳に届いたリビングの扉が開く音に思わず肩を揺らした。

「っ…。なんだ、キラー君か」
「すまない、驚かせてしまったか?」
「ううん、大丈夫。おかえりキラー君」
「ただいま、義姉さん」

静かに扉を閉めてダイニングテーブルに鞄を下ろすキラー君は、私の義弟。
数年前、進学の為部屋を探していた彼に「近くだから家に来ないか?」と声をかけたのが、彼の実兄である私の夫だ。
はじめは多少の抵抗はあったけれど、夫よりキラー君との方が年齢が近かった事もあり、互いに打ち解けこの生活に慣れるのは案外早かった。以来、私達はずっと三人で生活をしている。

バイト帰りだからか、珍しく一つに括られたキラー君の金髪が歩く彼の広い背中で揺れるのを、テレビの電源を落としつつ目で追った。相変わらず傷みの少ない、綺麗な髪だ。
冷蔵庫から水の入ったボトルを取り出し、蓋を開けようとしたところで、ふと彼の手が止まる。

「そういえば、兄貴は?部屋か?」
「あ、ううん。今日から5日間出張なの。言ってなかったっけ?」
「…聞いてない。と言うか、一人で居るのに玄関の鍵開けっ放しだったのか?」
「え。うそ…」

また忘れてしまっていた。普段から私は、その手の事に関して警戒心に欠けているらしい。鍵の閉め忘れ、夜の一人歩き。幾度となくキラー君に咎められているにも関わらず、これがなかなか治らない。

「……ゴメン、開いて、た?」
「開いていた。まったく、不用心だと何度言えばわかるんだ」
「ほんっとうにゴメンなさい」

「義姉さんはこういう所が本当に抜けている」だとか「何かあってからでは遅いんだ」とか、小言を言いながらツカツカと私へ詰め寄るキラー君に、ソファから立ち上がり頭を下げた。
溜息混じりのキラー君を恐る恐る見上げてみる。
目が合うと、呆れきった表情を浮かべた顔が少しだけ哀しげに歪み、ゆっくり伸ばされた彼の右手が私の頭を捉えて引き寄せた。突然の事に驚く私の頭にダイレクトに響くのは、押し付けられた胸の、速い心音。キラー君に比べたら遥かに小さい私を強く抱きかかえたまま、彼は低く囁いた。

「頼むから危機感を持ってくれ。あまり心配させるな」
「う、ん……」
「…………やはりアイツに譲るんじゃなかったな」

僅かに距離が離れ、替わりに塞がれた唇。噛み付くようなキスは、次第に深くなり生温い舌が口内を犯す。暈ける視界と痺れる手足。抵抗する事も叶わない程の拘束と与えられる刺激に考える事を放棄しかけた時には、身体はすっかりソファに沈められてしまっていた。

「ぁ…っは、キ、ラーく…」
「なまえ」
「……っ。なん、で…」
「兄貴なんかになまえを任せておけないと言ったんだ」
「そうじゃなくてっ…」

唇は離れたものの、先ほどより更に身動きが取れない状態で、鼻先が当たりそうなほど彼との距離は近い。長いキスと緊張のせいで、うまく呼吸が出来ない。彼の重たく長い前髪は、互いの顔を覆うように下がり私の頬を擽った。
初めて名前を呼ばれ、鼓動は高鳴り身体は強張る。それが何故なのかいまいちわからないまま、只じっと感情の読めない顔を見据える事しか出来なかった。
否応無しに再び落とされる口付けに、何とか抵抗しようと彼の胸を押したが、結局それはキラー君の手に阻まれ、その手によって身体をソファにしっかりと縫い止められた。

「………気に入らない」
「…、なに…が…」

不意に離れた唇から紡がれたのは、意味のわからない不満。身体を起こした彼を、整わない呼吸で見上げる。不機嫌を隠す事もせず、私の左手を凝視するキラー君の姿がそこにあった。

「外せ、こんなモノ」

突如引き抜かれたのは、薬指に鎮座していた指輪。私の指から彼の手に渡ったそれは、あまりにも無造作にフローリングへと投げられた。何をするのかと抗議しようと彼を睨みつけたが全く動じず。くっきりと残った跡を一度撫でると、彼は徐ろにその指を口に含んだ。

「いっ……つ、ぅ…」

跡を消すように指の根元に歯を立てられた。鋭い歯が容赦なく食い込み、痛みで身体が震える。次に姿を見せた指には、指輪があった場所に歯型が付き僅かに赤色が滲んでいる。キラー君はそれを舐め取るようにもう一度そこに口付けた。

「なんで…こんな事するの…」
「俺が先に出会えていたら、あんな奴には渡さなかった」
「なに、言って…」
「ずっとなまえを見ていた」
「………キラー、くん」
「アイツなんかより、ずっと、なまえの事を想っていた」

絡ませられる私の左手と彼の右手。低い声で名前を呼ばれる度、じくじくと痛む指。真直ぐ見据える双眸。目を逸らす事は許されなかった。



どうしてこんなに、心臓がうるさいんだろう。



「本当に嫌なら、止める。――なまえ、俺では、駄目か?」


「―――……っ」




嘘でも嫌いだなんて言える筈がなかった


(そんな聞き方はずるいよ)






ネガティヴランナー/ナナ様


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