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魚に噛まれるシャニ・アンドラス


 透きとおった浅瀬にシャニの足が浸かり、ぱしゃぱしゃと心地よい音を立てた。まくったジーンズから覗く白いふくらはぎが、強烈な日差しに照らされて光る。よく晴れた昼間だというのに、海辺には私とシャニ以外誰もいない。
 泳がなくても、海に足を浸すだけで充分気持ちよさそうだ。シャニの表情はここからじゃ確認できないけれど、冷たい海水のなかで歩き回る彼はいつもより楽しそうに見えた。
 私はビーチパラソルの下でラジオに耳を傾けた。ローカル局が天気予報を伝えている。今日は概ね晴れ、最高気温は27℃、明日は午後から不安定な天気となるでしょう。
 シャニがとても小さな声をあげた。どうしたのだろう。浜辺に向かってずんずん歩いてくる。乾いた砂浜にシャニの濡れた足跡が残り、小ぶりなカニがその足跡の間を横切る。
 シャニはカニなどには目もくれず、ビーチパラソルの陰で涼む私をじっと見下ろした。
「魚に噛まれた」
「さかな?」
「いっぱいいた」
 ほら、と彼は砂にまみれた足を上げる。見ると、指や甲に小さな噛み痕のようなものが三つほど刻まれていた。
「その魚、威嚇してなかった?」
「分かんねーよ、あんなちっぽけな威嚇なんか」
「手当てするから座って」
 足の甲についた砂をタオルで払うと、シャニはくすぐったい、と唇をゆがめた。
「我慢して」
 消毒綿で噛まれた痕を丁寧に拭く。血がほんの少し滲んでいる程度で、大したケガではなさそうだ。ちらりと彼の表情を窺う。シャニは手当ての様子をおとなしく見守っていた。
「はい、終わり」
 最後に絆創膏を貼る。海へ戻るかと思いきや、彼は座り込んだまま私の隣を動こうとしない。
「海に入らないの」
「もういい。魚がうぜえし」
「そう」
「海に入らないの?」
 私のこと? と聞き返すと、彼は波打ち際を見つめたまま静かに頷いた。シャニの足跡は直射日光に晒され、薄く乾きかけている。
「入らない。ここから眺めてるだけでいい」
 正直に答える。シャニは返事をしなかった。
 そう広くないビーチパラソルの下で、私とシャニは微妙な距離を保ったまま、砂浜に打ち寄せる波を見ていた。ラジオからノイズ混じりの知らない歌が流れる。脱ぎ捨てたシャニのブーツに、いつの間にかカニがよじ登っている。
 仮初めの平和は不気味なほどおだやかだった。

2023.05.04

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