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カレーうどんを食べる亀甲貞宗がこわい


 どんなに平穏な人生を願って生きていても、思いがけずに肝を冷やしてしまう場面が多く訪れるものです。
 例えば、一ヶ月に一回は、どうしても落ち着けない食事がやってきます。
 私の本丸では月に一度くらいの頻度で昼食にカレーうどんが出まして、これが絶品なのです。前日の夕食がカレーだった際に、ルーを一晩寝かせて、それをカレーうどんとして作り直します。もちろん、それだけでは肝なんか冷やしたりしません。近侍である亀甲貞宗と隣同士でカレーうどんを食べるたび、私は必要以上に恐れてしまうのです。その白い菊をまとったような優美な服にカレーの汁を飛ばしてしまわないだろうか、と。亀甲は食事中もふるまいが優雅そのものなので、私のちっぽけな心配事は毎回杞憂に終わります。無駄に神経をすり減らしてはいけませんね。分かっています。

 時の政府との会議を終えたある日の帰り道に、くたびれた身体でうどん屋に入りました。近侍の亀甲も一緒です。元々長時間を予定していた会議は更に長引き、厳めしい建物を出る頃には二人とも腹の虫がぐうぐう鳴っていました。出口のすぐ目の前にあったのがうどん屋だったので、何も考えずに真っ直ぐ入店してしまいました。
 私は釜玉うどんを、亀甲はなんとカレーうどんを注文しました。亀甲はカレーうどんがお気に入りなのでしょうか。二人掛けの狭い席に緊張が走ります。もっとも、この中で緊張しているのは私一人だけです。
 注文したうどんはあっという間に運ばれてきてしまいました。彼の目の前で湯気を立てるカレーうどんを見て、私は思わず席を立ちました。
「亀甲、紙エプロンをもらってきましょうか」
 亀甲の丸みを帯びた頭がゆっくりと動き、涼やかな眼差しがうろたえる私をとらえます。
「ああ……ぼくのご主人様はなんて優しいんだろう」
 私の提案を聞いた亀甲はうっとりと声を漏らしました。澄んだ湖のような瞳はいつの間にか恍惚の色に染まっています。
「でも遠慮しておくよ、このままの方がゾクゾクするからね」
 亀甲は一人で勝手に気持ちよくなっているようです。あんなにうるさかった腹の虫はどこかに消え失せて、私は突っ立ったまま亀甲の大人しいつむじを眺めてしまいました。亀甲に「せっかくのうどんが冷めてしまうよ」と声を掛けられるまで、その一点だけをずっと見つめていました。


2022.05.03

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