(男鹿と古市)
燃える夕焼けを見ながらそれを願ったら途端に喉が渇いて、あわてて水道から水を捻り流し込むとそれきり止まらなくなった。口に注ぎつづけながらおれは窓の外を必死で見て、まるでこの世の終わりのような空をひたすらに眺めつづけた。
「おい、男鹿」
鞄を掴んだところで呼び止められる。振り返ると神崎が悪人面でこっちを見ていた。まあ俺が言えた義理じゃないか。
「最近古市見ねえけどよ、どした?」
「あー……うちで寝てる。心配ねーよ」
「おまえんちで?風邪か?」
「そんなとこ。んじゃな」
早々に会話を切り上げ教室から飛び出る。面倒なことはごめんだ。途中でコンビニに寄ってポカリを三本手に取り、少し迷ってから成人コーナーの本も一緒にレジに置いた。一瞬怪訝な顔をされたが、俺の顔を見るなりそそくさと袋に入れた。こういうときは得だ。
コンビニを出ると日がだいぶ傾いてきていた。もうすぐ12月だから仕方ないか。ポケットに手を突っ込み、足を早める。
ざざ、と波の音を聞きながら、誰もいない砂浜を歩く。靴の中に砂利が入って気持ち悪い。が、構わず歩く。見慣れた銀の頭を探して。
「……古市!」
叫ぶと、遠くに見えた小さな影が振り向く。後ろの夕陽が眩しくて表情は見えない。
俺が近づいていくと、古市もざぶざぶと水を掻き分けながら海から上がってきた。足首のあたりまで水位が下がると、俺を見てへらりと笑う。
「よー、おはよ男鹿」
「もうコンバンハの時間だっつの、バカめ」
コンビニ袋を突き出すと、ありがとう、とまた笑う。その中のエロ本を見て一気にテンションが上がったらしく、水を蹴飛ばす。俺はぎりぎり波が来ないところに腰を下ろし、古市はぎりぎり波が来るところに腰を下ろす。ぱちゃぱちゃと水を跳ねさせながら、古市は楽しそうに笑う、笑う。
古市が海に住むようになったのは二週間前からだ。夜中に突然呼び出されたのが石矢魔郊外にあるこの海で、それなりに寒いはずなのに海に浮かんでいる古市を見てそれは驚いた。あわてて連れ戻そうと海に入ると身を切るような冷たさを感じて、それなのに笑っているこいつはとうとう頭がおかしくなったか、と本気で不安になったころ、古市はいつもの、まっすぐな瞳で、「おれはここじゃなきゃ生きられないみたいだ」と言った。その言葉に嘘はないようだった。
話によると、夕陽を見ていたら急に喉が渇き、最初は水を飲めばいいだけだったものが段々と我慢できなくなり、ふらりと家を出て気づいたら海にいたらしい。海に浸かっていれば不思議と喉は渇かない。体が潤っている感じがして心地がいいのだそうだ。怒鳴って連れ帰ることもできただろうが、嘘でもこんな極寒の海に浮かぶことはできないだろうし、なにより滅多に見ないしっとりとした髪を頬に張り付かせて語るその顔が、いままで見たいつの表情よりそれはそれは穏やかなものだったから、口をつぐんだ。
古市は俺の家に泊まってることにして、学校は行かなくとも特に問題はないだろう。俺はどこかで、これは一過性のものだろうと感じていたからそれほど心配はしていなかった。古市自身に変わった様子がなかった、というのもある。古市は古市で、幼い頃から知っているあいつそのものだった。
「おおっ!男鹿ぁ、おまえセンスあるじゃねーか!いいおっぱいだなあうへへ」
「キモいぞキモ市」
「うるせーっ男なら当たり前だ!」
嬉しそうに笑う古市をぼんやり見る。そう、だよなあ。何も変わりないのに。頭ではわかっているのに、この胸騒ぎは、なんだ。
「……ん、あれ」
夕焼けが古市の髪に反射するのはいつものことだが、なぜか古市の向こうに夕焼けを見た気がして、目を擦る。気のせい、か。
「どした?」
「いや、なんもねー」
「そっか?」
波の音がする。古市は笑っていた。だから俺も笑った。
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