(男鹿と古市・死神パロ)
どうせ暇なんでしょ、コロッケでも買ってきなさい、と言われて外に放り出される。それがおれを気遣ってのことだということぐらい、おれにもわかった。
「母さんにも妹にも心配かけるって、おれほんとダメ兄貴だなー」
自嘲気味に吐き出す。自分では普通にしているつもりだけど、どうやら気分が落ちてるのはバレバレらしい。ほのかなんか事情を知っているから、おれより辛そうな顔をしたりする。おまえがそんな顔する必要なんてどこにもないのに。
久しぶりにゆっくりと近くを歩く。コートのポケットに手を入れ、マフラーからは鼻から上だけを出す。街全体が灰色で、静かだ。雲で覆われた空は太陽を迷子にする。
それにしても、コロッケを買って来いだなんて皮肉だ。あいつの影は薄れているはずなのに、時たまこうして顔を出すから困る。それに別に母さんに罪は無い。おれが勝手に落ちたり上がったりしてるだけだ。
「げ、降って来やがった」
肌に落ちる冷たさに驚き、空を見る。わずかにちらつく白い綿。それは少しずつ大きくなって、やがて大きな雪の粒になった。異常気象ってマジだったのか。酷くなる前に帰ろう。マフラーをきつく巻き直した。
お馴染みのフジノコロッケは、こんな雪の中でも元気に屋台で営業していた。久しぶりに見るおっちゃんの顔は変わっていなくて、少し安心する。
「兄ちゃん久しぶりだなー」
「へへ、ちょっといろいろあったんすよー。あ、コロッケ四つで」
「お、今日は多いんだな。いつも二つなのに」
おっちゃんのいつも、が二人だということに驚く。そんな頻繁に来ていただろうか。意識したことはなかった。
「いっつも嬉しそうに二つ買ってくからな、おっちゃんも覚えちゃったよ」
「、あ……そう、ですか」
「ほい、コロッケ四つ。まいどあり」
「……もう、いなくなっちゃったんです」
「ん?」
「何でもないっす!ありがとうございます」
コロッケを受け取って踵を返す。おれのいつもは、もう戻ってはこない。雪が染みて、無性に惨めになった。泣きたくなった。
降り出して間もないのに、もう辺りは白んで、雪が積もり出していた。抱き込んでいたコロッケの温かさだけが支えで、これがなくなったら声を上げて泣いてしまいそうだった。おれが泣くのは何か違うとわかっているのに、胸騒ぎは止まらない。もうおれの側にはいないのに、掻き乱される感情。
吐き出した息が白くなって消えてゆく。必死で殺してきた。なのに、この雪が、コロッケが、ああ、男鹿、
「会い、たい」
口にしたら感情があふれて止まらなくなった。会いたい。会いたい会いたい、男鹿。もう何も望まないから。もう一度会いたい。会いに来てよ。男鹿。
「男鹿っ……」
「コロッケ」
音が、消える。雪は音を吸収するという。しんしんと降り積もる雪が、耳の側を落ちていく。
「……コロッケ、ひとつ足りねーよ、アホ市」
そこを切り裂く、聞き慣れた、声。体が固まって動かない。必死で、必死で、振り返る。また、偶像?おれの作り出した妄想?幻聴?
違った。
真っ白い世界に一人佇む黒。
「……なんつー顔してやがる」
「っ、……っ、あ、っ、おっ、……が……」
「日本語喋れアホ、聞き取れねー」
「ど、こ、どこ行って、っ、ひ、」
「うわ、また泣きやがった。きたねーんだよおまえの泣き顔」
「う、お、おがあ、っ……男鹿ぁ……っ」
たまらず走り出して、飛び付く。触れる。偽物じゃない。男鹿が、そこにいた。帰ってきた。
「なんっ、なんで急にいなく、なったり……っ、すんだよっ、おれがどんな、どんな気持ちでっ!」
「すまん」
あっさり謝られると調子が狂う。相変わらずのスーツ姿。寒くねえのかよ、と胸の辺りを叩く。その腕を取られる。黒革の手袋。
「魔王に掛け合って来た」
「……え」
「俺も、もう、……ひとりじゃ、無理だから。だから魔王に掛け合ってきた。俺たちのトップは魔王だから。……おまえと、一緒にいられるように」
男鹿の手が震えている。寒さのせいじゃない。
「でも、無理だった。死神は、死神だから、っ、人間には、……なれねえ、って、」
「お、が」
「っ、なん、で、だよ」
片手で顔を覆う。その間から零れる、大粒の、涙。
「なんで、っ……俺は死神、なんだよっ……!」
男鹿が泣いていた。必死で声を押し殺して、ぼろぼろと、泣いていた。それを見て、心が潰されそうになって、また泣いた。ああ、おれたち、一緒だったんだね。死神も人間も関係ない、一緒にいたい、って、思ってくれていたんだね。
「っ、おが、こっち、見て、」
「やめ、……古市、っ」
「おれが、そっちに行くよ」
「、っ」
「おれを連れていって、男鹿」
顔を覆う指を一本一本外していく。情けない、子供みたいな男鹿の泣き顔。それが可笑しくて、笑う。
「後悔、すんぞ」
「しねーよ」
「もっと生きたかったって、思う。なんで簡単に死んじまったんだって、後悔する、絶対」
「しない。おまえに一生言えない方が、ずっとずっと後悔する」
「……大切なもの、全部失うんだぞ」
「おまえが全部くれた」
おれの大切なもの、誇りも、おまえがいたから捨てずに済んだ。思いっきり笑ったり、泣いたり、ひとを、好きになったり。
「男鹿、」
顔を近づけようとして、手の平で塞がれる。手袋のざらりとした感触がぶつかる。
「触れたら、連れてくから。……まだ、おまえにさよなら言いたいやつが、いる」
家族のことを指してるんだな、と感づく。変なとこ優しいな、ほんと。死神なんだからさっさと魂取ればいいのに。
そういうところが好きなんだ、きっと。
「古市、」
口をぱくりと動かす。三つの文字。おれは笑って、押さえられた唇でそれをかたどる。男鹿も照れたように笑って、そっと、唇を近づけた。手の平越しのキスだった。