(男鹿と古市)
『キスしてやるよ』
思えば最初から間違っていた。おれは男鹿が好きで、ずっと好きで、でもこっちを見ない男鹿にむかついて、童貞だのなんだのって罵った。したら、あいつもバカだから言葉に乗っておれで試してきてうんぬんかんぬん。あとは想像に任せる。とにかくそこからおれと男鹿の奇妙な、それこそ友達以上恋人未満の日々が始まったのだ。
「……リラックスしすぎだろ」
便所から帰ってきた男鹿は、ベッドの上でくつろぐおれを見てそう言った。だって仕方ないだろ、変わったのはおまえらだけで、おれもこの部屋も変わってない。男鹿のにおいもそのままだ。
「あのよ、ヒルダの話よくわかんねえんだけど、とりあえず、今おまえのこと知ってる奴は誰もいないんだよな?」
「んー、まあそういうことになるな」
「怖くねえのかよ」
「はあ?」
「自分のこと誰も知らない世界なんて、怖くねえのかよ」
なんだ、心配してくれてんの?見ず知らずのおれを?
「まあ、おまえがいるからねー」
「……は?俺おまえのこと覚えてないんだぞ?」
「それでもいーんだよ」
おまえがいてくれるだけで、おれは生きていけたりしちゃうんだ。だから、それでもいい。怖くなんてなかった。
「それよりおれは今日初めて出会った人間に、そういう優しい言葉かけちゃうおまえが不思議だよ」
「あ?あー……」
男鹿は少しだけ逡巡するように目を上に向けた。
「なんつか……そんな状況でうちに来るってことは、だいぶ仲良かったんじゃねえかと思って、」
「……へえ」
そんな純粋な友情じゃなくて、奇妙な関係だったけどね。言わないけど。ごめんね。