(男鹿と古市)
吐く、と思ったときには遅くて、おれは胃袋にあったものを全部吐き出した。見られた。男鹿に、見られた。吐いたあとの饐えた匂いが鼻をついて、生理的な涙で視界が滲んだ。そんなこと、より、見られた。吐いた瞬間を、男鹿に見られた。
「待ってろ」
男鹿は静かにそう言ってどこかへ行った。おれは死にたくなった。なにも、男鹿のまえで吐かなくても。絶対引いたよな、くそ。なんでこんなことに。
けれど男鹿は帰ってきて、吐いたあとの処理もしてくれて、おれの世話までしてくれた。意外にテキパキした行動に困惑しながらも、一言も発さない男鹿にやっぱり嫌われたんだと思うと泣けた。
全部片付いて、おれの気分もある程度落ち着いてくると、隣に男鹿が座った。いたたまれなくて、ほんと、どうしようもなかった。
「なんでそんなに、我慢してたんだよ」
「、え」
「調子悪かったんだろ。なんで俺に言わねーんだよ」
「……だって、言ったら心配すんじゃん」
「心配させろよ」
ときめいた自分が情けなくてため息。何年一緒にいるんだってば。
「古市、こっち向け」
キスだ、と反射的に思って顔を背ける。いやだ。吐いたあとのキスなんか気持ちいいはずがない。
「おい古市、」
「や、だ、変な味するし」
「いいって」
「おれが良くねえの!」
「てめえに拒否権はねえ」
腕をぐいと引かれて頭を引き寄せられた。重なる男鹿の唇、ぬるりと入り込んでくる男鹿の舌。男鹿、男鹿。ああ、おれ、こいつのこと好きなんだな、と場違いにもそう思ってしまった。
「っ……ぷ、はっ、く、苦しいわボケ!」
「うん、古市の味だ」
「っはあ?!」
「大丈夫大丈夫」
抱きしめて、ぽんぽんと背中を叩かれて、泣きそうになった。全部見透かされてんのかよ。ちくしょうめが。
「次からはちゃんと言うんだぞ」
「……ん」
「おまえは危なっかしいからな」
でもそのすべてからおまえは守ってくれるんだよな。その一言は言わずに、抱きしめられた手をぎゅうと握った。
やさしいひと