(土方と初期沖田)
煙草と女。それがあのひとの匂い。
「えらく遅いお帰りで」
偶偶、偶然、なんて言葉を使えば使うほど嘘っぽくなるが、それは事実であった。着流しの土方が帰宅したのとわたしが湯殿から出てきたのがほぼ同時刻で、玄関で履物を脱ぐ背中を見つけた為にちょっかいを出してしまう。それはもう癖のようなものだった。
「総悟か、おまえも早く寝ろ」
「ハイハイ、自分のことは棚に上げて部下を叱る上司を持つと大変でさ」
振り返った土方さんから香るのは女の匂い。わたしとはなにより縁遠いそれの匂い。
「人が汗水垂らして働いてる間、アンタは遊郭ですか。楽なもんですねィ副長って。なんなら代わってやりやすよ」
「テメーは働いてねえだろ。仕事だ、仕事。大人の付き合いってやつがあんだよ」
わたしにそういったものと関わらせたくないのか、手短に説明すると部屋に戻ろうとしたので腕を掴む。怪訝な顔で振り返る土方、女の匂い。
この男は遊郭に行くことが本当に仕事であろうとなかろうと、わたしには必ず「仕事だ」と言う。牽制のつもりか、エゴか、何なのかは知らないが、それに無性に腹が立つ。
「そんなに女に飢えてんですか」
「……仕事だっつったのが聞こえなかったのか。離せ」
「女ならここにいまさ。わざわざ金なんか払わずとも、わたしはあんたになら」
「総悟」
名前を呼ぶのは狡い。わたしが言葉を噤んでしまうことを知って、それをするのだから余計に質が悪い。開いた瞳孔がこちらを見ていた、憐れんでいるのだ。無知であるわたしを可哀相に思っているのだ。
「莫迦にすんな」
腕を引いて唇をぶつける。しかし触れたのはほんの一瞬で、離れたかと思うと浮遊感が襲った。そして気づくと頭の後ろには床があって、顔の側には腕があって、その腕は一回り大きな手に縫い付けられていて。
まだ乾ききっていない髪が頬に張り付いている。誰もが逃げ出しそうな程に凶悪な目をした男は、わたしを真っ直ぐに見据える。
「……欲情したんですかィ?」
「巫山戯るのも大概にしろ。大人を嘗めっと痛い目見るぞ」
「大人?嘗める?それは一体誰の話で?アンタは大人じゃねえし、嘗めてんのはアンタでしょう」
戦なら、こんな下手は踏まなかった。一瞬で床に捩伏せられるなど。縫い付けられた腕はぴくりとも動かない。腹が立つ、自分自身に。今ここで反撃できたならきっとわたしは、このひとの側にいられるだろうに。
「襲いたけりゃ、いつでも大歓迎でさ。アンタのその貧相なモン食いちぎってやりやすよ、わたしが」
「……いい加減にしろ」
ふ、と力が緩み、影が遠退く。反撃できないわたしは、毒を吐くしかないのだ。詰まらない。下らない。
足音が遠ざかる。匂いだけはしっかりと残していって、くさい、くさい。煙草と、女。煙草ならいくらでも我慢できる、女でも本当は、我慢できた。
わたしは知っていた、女の匂いがするときもあのひとは女を抱いたわけではないことを。恐らくそれが我慢ならないのだ。まるで女の存在を全否定しているかのようで。わたしが女である以上、あのひとの側にいられないことをまざまざと知らされているかのようで。
「……抱いてくればいいのに」
残っていたはずの匂いは、いつの間にか屯所の石鹸の匂いに消されていた。
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土方に興味を持たれないという事実が悲しいけれど、それでいい、と思うしょきた。