(男鹿と古市・十年後)
電話の向こうはかなり騒がしかった。衝動的に通話を切ってしまおうかと思ったがなんとか耐える。喧騒の中必死に俺に助けを求めて来る通話相手に同情した部分もあった。
『と、とにかくやばいから、もうこれ止められるの男鹿くんしかいないから!だから早く来――――ちょ、もう呑むのやめて古市く、ぎゃあああああああ』
ぶつり、と切れてしまった携帯電話を見て、ため息。まったくしょうがない幼なじみだ、と呆れながら、上着を羽織る。
居酒屋に着いたとき、すでに古市は床でぐーすか寝ていた。腹が立ったので蹴ってやるがむにゃむにゃと何か口元を動かすだけで起きやしない。なんだこいつ。俺だって本当は今頃眠っていたはずなのに。幾つになっても迷惑かけやがって。
「ご、ごめんね男鹿くん……忙しいだろうに呼び出したりして」
さっき電話をかけてきた三木がへろへろになりながら俺に近づいて来る。どうやら大学の同期数人での呑み会だったらしいが、半数以上が疲弊して屍のようになっていた。恐らく古市に絡まれたのだろう。こいつは酒に弱い上に絡み酒で暴れるため、うざったいこと極まりない。さすがウザ市、と拍手したいぐらいだ。
「こっちこそ悪かったな。またキツく言っとくからよ」
「そうしてもらえるとありがたいよ……これからは男鹿くんも、今までみたいにこうして迎えに来れなくなるもんね」
「あー……」
「おがぁ」
ずしっ、と重みを感じてそっちを見遣ると、目覚めたらしい古市が俺の腰辺りにしがみついてにへらと笑っていた。顔が赤い。一体何杯呑んだんだ、と三木に尋ねようとしたが、頭が痛くなりそうだったのでやめておいた。代わりに腕を剥がして、靴を履かせてやる。
「なんでおがぁいんの?」
「うるせー、いいから靴履け、上着も」
「あーわかったあ、おがも酒呑みてぇーんだ!みきぃ酒ぇーっ!」
「いいから黙ってろアホ市!帰んぞ」
「アホじゃねーもん悪魔!鬼!デーモンあばれおーがぁー!」
何が可笑しいのか、きゃっきゃと笑う古市。殺意がふっと芽生えたのでマフラーをぐるぐる巻きにしてやるがそれでも笑い声は止まらない、寧ろ一段階上がった。うんざりしながら腕を引っ張り、強引に外に連れ出す。三木に向かって右手を上げると、苦笑いで返された。そりゃ、あんな顔になるわ。後ろ手で戸を閉め、冷たい風の吹きすさぶ屋外でまたため息をついた。
古市は千鳥足ではあるが歩けるようだったのでそのまま歩く。古市の家まで近いし、タクシーを拾う必要も無いだろう。と思っていた矢先、ぐいと腕を逆に引かれ、立ち止まる。所詮酔っ払いの力など微々たるものだった。
「もう歩けねー」
「は?歩けてたろ」
「あるけねえ!」
さっきまでの上機嫌はいずこへ、古市は、口を曲げて座り込んだ。しかし依然腕は掴まれたままなので自然と中腰になる。この体勢はなかなかつらい。
「ど、どうしたいんだよ」
「おんぶ」
「は?」
二度目の聞き返しで余計に不機嫌になった古市は、大声で叫ぶ。
「おんぶじゃなきゃ帰らねえ!おんぶしてくれなきゃ帰るぅ!」
言ってることが矛盾していることにこの酔っ払いは気づいているのかいないのか。多分後者だが、とにかく深夜だから近所迷惑だ。仕方ない、と腕を解いて背中を向ける。
「ほら、おんぶ」
「……いーの?」
「てめーが言ったんだろ、はよ乗れ」
数秒の間のあと、勢いよく背中に飛び込んで来る。衝撃に耐え切れず前に転びかけたが根性で耐え、立ち上がると古市はまた耳元で高い声を上げた。だから夜中だっつーの。
「おがー上着あつーい」
「酔ってるからそう感じるだけだ」
「おがーおさけくさーい」
「それはてめーだ」
「おがーねむーい」
「寝たら落とす」
その声は本当に眠そうだった。酔いが落ち着いて来たのと、定期的な揺れのせいだろう。あと、背中の部分が暖かい。俺が暖かいということは古市にもその熱は伝わっているわけだ。
落とす、と言いつつ、どうせ寝るだろうとも思っていた。しかしそうなると家に着いたときに古市の家族を起こさねばならない。自分のせいではないが良心は痛む。
「つか、今年で26になる大人がおんぶとか、恥ずかしーなあ古市くん」
「んー?んー……んふふ」
「きめぇ」
「おがだってたいがい、恥ずかしー」
「……まあ、そうだな」
「恥ずかしい人生だったなー」
「否定はしねーよ」
「しろよバーカ!」
あまりにもきゃいきゃいとはしゃぐので落としそうになる。首に回った手が締まって、苦しい。おんぶして窒息死とかそっちの方が恥ずかしい。
「おい古市!締まってるから!」
「ぎゃははは、そのまま死んじまえーっ!」
酔っ払い、ヨクナイ。そんな標語が頭で点滅しだした頃、急に腕の力が弱まる。思わず心配になり、「古市?」と声をかける。すると、頭が下りてきて、俺の肩口に落ちる。柔らかな銀髪が頬をくすぐった。
「寝たか?」
「寝てねーよバカオーガ」
「バカはおまえだ」
「なあ男鹿」
やけにはっきりした口調になり、少し横を向く。けれど見えるのは古市の丸い頭ばかりで、回った腕に少しだけ力が入ったことしかわからなかった。
「いっぱい迷惑かけて、ごめんな」
「まあ、今更だな」
「これからは、お酒控える」
「そうしろ、体にも良くねえ」
「女の子にフラれてもヤケ食いしない」
「食えねーくせに買い込むから、後処理は全部俺がやったしな」
「仕事もがんばる、し、上司に厭味言われたぐらいで、へこんだり、しねえ」
「おまえの髪のことでなんか言ってきても全無視だ、おまえは悪くねー」
「っ、お、おがあっ」
「おう」
「結婚、おめで、と」
ぎゅう、と力が入る。後ろから抱き着いてきた古市の涙には気づかないふりをした。俺は明日、式を挙げる。高校を出たあとに出会った、優しくて気立ての良い女だった。不良と恐れられた自分を受け入れ、愛してくれた。
付き合い始め、結婚を決めたとき、気掛かりだったのは古市のことだった。幼いころから一緒で、これから先もその関係は崩れないと思っていた。しかしそれは幻想で、結婚してしまえばろくに会うことも無くなるだろう。ずっと変わらなかったことが変わってしまうことに不安感を覚えた。
だが、それだけではなかった。ただ変わってしまうことが恐ろしかったわけではない。けして口には出さなかったが、俺も、古市も、多分。
「おがぁ」
涙声を隠すことなく、古市が俺の名を呼ぶ。もうすぐ古市の家に着く。もしかしたら古市はこれが言いたくて、わざと酒を呑んだのかとさえ思えた。素面では言えたものじゃないのだろう。思えば、古市から祝いの言葉を受けた記憶はない。
「おまえさ、たぶん、知らなかったとおもうけど、さあ」
「ああ」
「おれ、さ、おまえのこと、好きだったんだよなあ」
「……ああ」
俺もだ、とは言わなかった。俺の中の古市への感情は、すでに惚れた腫れたのそれではなくなっていた。それ以上に、大切なものだった。
「ありがとな」
ずる、と洟をすする音がする。俺はそれを慰める術を持たず、またその権利もなく、ただ古市が泣き止むまで、ほんの少し足の速度を遅めた。
前夜の伝言
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おがふる結婚企画もあるのにこんなの書いてすみませんマジすみません表記もなくて本当にすみません
男鹿さんがどうも煮え切らない感じですがそれはわたしの文章力がないせいで、男鹿さんはちゃんと結婚相手のこと愛してます。ただ愛を知らなかったから古市への恋心に気づくことが出来ず、結婚相手に愛してもらって初めて、ああもしかしてあのときの感情は、って気づくわけです。古市はずっと自覚してました。多分なんやかんや結婚後もこの二人はこんな感じだと思います。奥さんが優しくてよかったねー。