(男鹿と古市・死ネタ?注意)
気がつくとおれたちに残された時間はあと数時間になっていた。世界が終わるとニュースで騒ぎ出して二週間、街の住人は逃げ出すか、もしくは滅亡の恐怖に怯え自ら命を絶った。おれはというと特に焦ることもなく、いつものように過ごしていた。学校や電車の公共機関はすべて機能しなくなったため学校も閉鎖、まるで長期休暇中のように自堕落な生活を過ごしていた。
「じゃあ、行くわね貴之」
スーパーに買い物に行く程度の荷物を持った母、父、そしてほのかを玄関先まで見送る。その目が赤いことには気づかないふりをした。三人は祖父母と共に最後を迎えるらしい。一緒に行くか、と問われたが断った。なんとなく、この街から出たくなかった。
「……ごめん、母さん」
「いやね、なんで謝るのよ。あんたが決めたことでしょ。文句なんか言わない」
「おれ、母さんと父さんの息子でよかったよ」
ふたりの目が見開かれ、瞳に涙が盛り上がる。泣かせるつもりはなかったんだ。ぎこちなく、笑って見せた。
「おにいちゃん……っ」
「ほのか、妹になってくれて、ありがとな」
「っ……おにいちゃんのばか!ばかっ……!」
三人が家を出ていき、おれはひとりになった。閉まったドアを見ていると鼻の奥が痛くなったので、リビングに戻る。
テレビに映されるのは終末までのカウントダウン。残りは、約六時間。ちょうど日没と同じ頃だ。わざわざそんなドラマチックにしなくとも。思い立って、電話をかける。相手は決まっていた。
「……あ、もしもし?いま何してんの?」
「俺様を呼び出すなんていい度胸してんな」
「うっせ、おれも出てきてやっただろーが」
お互い白い息を吐きながら、小学生のころ遊びに行くとき決まって待ち合わせをしていた場所で落ち合う。こんな日でも目つき悪いんだな、と言うと思いっきり殴られた。
「つーか、おまえもここに残ってたんだな」
「あ?あー、お袋とかは出てったけどよ。なんか富士山見に行くとか言ってた」
「なんで着いてかなかったんだよ」
「てめーが残ってると思ったから」
「……バカじゃねーの」
手袋を嵌めた手で、男鹿の肩辺りを殴る。手応えなんかちっともなかった。
太陽の傾きから見て、残り三時間くらいだと思う。おれと男鹿は何も言わず、ゆっくりと街を歩いた。思えば、この街の至るところで不良に絡まれたな。いまとなっては誰もいないこの街で、おれは、男鹿と共に育った。
中学の前を通る。入学式の日、教師に髪の毛のことを言われてなかなか門をくぐれなかったとき、割り込んできたのは男鹿だった。バカだから脈絡もなく、「キレーだからいいだろ」とか言い出して余計ややこしくなったが、おれはそのやり取りが可笑しくてひたすら笑っていた。絡まれるのが面倒で、半ば本気で黒に染めようか、と思っていたけど、そのときの男鹿を見てあほらしくなった。
懐かしくて、視界が歪みそうになったのをマフラーに顔を埋めて必死で隠す。そのまま男鹿にぶつかった。いてぇな、と言いながら頭をわしわしと撫でられる。くそ、逆効果だった。鼻水は寒さのせいにして、おれたちは、歩く。
「あ、コロッケ」
土手にコロッケ屋の屋台が出ていた。出しっぱなしでどこかへ行ってしまったらしい。揚げられたコロッケがいくつか並んでいた。
「これ、食っていいか?」
「盗むのかよ」
「どーせ全部無くなんだから関係ねえだろ」
あ、と言う前にコロッケを口に放り込む。こんなときだけ機敏だな。コロッケを咀嚼しながら、すでに二つ目に手を伸ばしている。
「うむ、冷めてる」
「あったりめーだろ!冬なんだから!」
「まあ食べたまえ古市くん」
「てめーが揚げたんじゃねーだろ!」
と言いながら、おれも食べる。確かに冷めていたが味はいつもと同じだった。すでに男鹿は三つ目を食っている。あまり欲のない男鹿がこうなるのはコロッケだけだ。それもどうかと思うけど。
「あーあ、人生の最後で万引きしちゃったー」
「俺も」
「しかも最後の晩餐がコロッケとか、しけてる……もっとフカヒレとか、キャビアとかフォアグラとかさあ」
「それって美味いのか?」
「……いや知らねーけど」
目がちかっとして思わず眇る。なんだ、と思うと太陽の光が川に反射したようだった。もうすぐ、日が沈む。
「そういや、おれおまえにごはんくんの三巻貸しっぱなしなんだけど」
「気のせいだ」
「あとゲームも」
「それも気のせいだ」
「ていうかあそこクリアした?何回やっても途中で死んじゃうんだよなー」
「あー、あそこはまず最初に敵をだな、」
土手に座り込んでいつもの会話をする。太陽は沈み続ける。おそらく、あと三十分ほどだ。それでもおれは取り乱さなかった。怖くなどなかった。
おれにとってもっとも恐ろしいことは取り残されることだった。たったひとりになることが何より怖い。けれど、そうではない。隣には、頼りになる最強の不良が鎮座しているのだ。もう何も怖くなかった。
「おがー」
「あ?」
「しあわせだなー」
「そりゃ良かったな」
「うん。よかった」
こてん、と体を男鹿の方に預ける。男鹿はまたおれの髪を掻き混ぜる。その手が、指先が、あたたかくてくすぐったい。
「まああれだ、古市くん」
目だけで男鹿を見上げる。まっすぐ向こうを見る横顔に夕陽が反射して、オレンジ色に見えた。
「また見つけるから、待ってろ」
太陽は沈む。おれが笑うと、男鹿も笑った。
それでは次の出会いまで
(しばしのお別れを)
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終末おがふる。終末ネタはいつでもおいしいです。静かな雰囲気が出せていたらいいなあと思います。
ふたりにとっての不幸はひとりになること(ひとりにすること)なので、べつにこのおはなしは不幸な話でもバッドエンドでもありません。世界が終わるとみんな一緒に消えちゃうのでどちらかが取り残されることはない。だからふたりはずっと笑っていられるという。そういうおはなしです。