(男鹿と古市)



あれから、海に行っても古市は姿を見せなかった。大声で名前を呼んでも、エロ本五冊ほどを引っ提げていっても、あいつはいなかった。

古市が俺の把握できない行動をするのが怖かった。今までは、距離的に離れていてもあいつが何を考えているかわかっていたのに、この前の件でそれがわからなくなった。ずっとそばにいた幼なじみが遠く、遠くへ行ってしまった気がしていた。だから今すぐにでも腕を掴んで、アホと罵って、いつものように口喧嘩をしたいと思った。会いたいと願ったのだ。


学校帰りに日課のように海に寄る。夕陽は沈みかけて、海は真っ赤に染まっていた。相変わらず古市はいない。風も出ているし、帰るか、と足を逆に向けた。

「おが」

小さな声が聞こえた。本当に微かで、俺じゃなければ気づかなかったと断言できる。でも聞こえたその声は、何よりも望んだ。

「……古市!」

振り返ると、腰まで海に浸かった古市がいつものように笑って立っていた。久しぶりに見たその顔に感情が高ぶり、思わず声を荒げる。

「おまえっ、今まで何してた!ここに来てもいねーし、呼んでもっ……この、アホ!バカめ!」

「はは、ごめんって男鹿、そんな怒んなよ」

「っ怒るに決まってんだろ!いつもいるやつがいねーと調子狂うんだよ!だからおまえは一生俺と一緒にいろ!今後一切離れることは許さん!」

古市はびっくりしたように目を丸くする。姉貴も古市も、考えすぎた。一緒にいたいから、一緒にいるんだ。二、三日も一生も変わらない。

「昨日と同じ今日が来るわけなんてねえに決まってんだろ!それでも一緒にいたいんだ!だから一緒にいたいんだ!明日の保証なんてできねーけど、おまえと俺の保証はしてやる!おまえと俺は一生一緒だ、なぜなら俺がそうしたいからだ!」

一緒にいたいから、一緒にいるんだ。それでいいだろうが。頭固いんだよ、アホ市。

古市はしばらく黙っていたが、やがて泣きそうな顔で笑う。小さい頃によく見ていた表情だった。

「……やっぱ、おまえすげーわ」

「あ?」

「ほんと、尊敬するわ。そういう、シンプルに考えれば、……ああ、もー、今になって、なんで」

片手で顔を隠す。遠くて、声が消えていく。同時に、古市の姿が、透ける。その向こうの、赤く燃える夕焼け。

「っ!」

ばしゃ、と海の中を走った。夢中で。冷たさなんか少しも感じなかった。広い海の真ん中で立ちすくむ古市のそばに、いたいと思った。だから。

「古市!」

透けている腕を掴んだ。瞬間、ひやりとしたことに驚く。冷たい。氷のような、温度。透ける。

「……男鹿、おれな、なんでこんな体になっちゃったか、ほんとは、知ってるんだ」

「……な、」

顔を伏せたまま古市は言葉を吐き出す。空が燃えている。それに反射する海、古市の髪。

「おれ、あの日、沈んでく夕陽見ながら、この世の終わりみたいだなって思ったんだ。世界が終わるとき、おれはどこにいるんだろうって考えた。わかんなかった。けど、おまえのそばにいたいって思ったんだ。おまえのそばで生きて、死にたい、って、そう思ったんだ。そうしたら、急に喉が渇いて、水がなきゃ生きられなくなった。本能的に悟った、おれは、いつか海になる。海になれば、いつでもおまえのそばにいられる。だって海は繋がっているから、おまえが飲む水分も、おまえに降り注ぐ雨も、ぜんぶぜんぶ、おれなんだ」

何を言ってる。海になる、?それでどうなる。それは、おまえじゃない。古市じゃない。おれは古市のそばにいたいんだ。古市と共に在りたいんだ。

「そんであの日、おれがもう浅瀬にはいられなくなった日、気づいたんだ。おれはおまえのそばにいたいと願いながら、それが無理だって知ってたんだ。だから、怖かった。おまえがいなくなる日が来るのが怖かった。その日から必死に逃げるために、おれは海になったんだ。一生一緒にいられるように」

古市がすっと顔を上げる。視線が絡む、透ける。ぼたりと落ちる雫。

「昨日までも、おまえがここに来てくれてるの、見てたよ。もう透けちゃって男鹿には見えてなかったみたいだけど、おれはずっと見てた。ずっとそばにいた。おれ、おまえのそばに一生いられるようになったんだよ」

「そ、んなの」

氷の手を掴む。消えてしまわないよう、俺の体温が伝わるよう。海になんかなるな、俺のそばにいろ。おまえはだれだ、古市貴之だろ。

「ね、おが、おれ、バカかな、今になって、すっげー後悔してんの。一生一緒にいるって、無理でもなんでもないよな。今までだって、一緒にいたのに、ね、おが、」

「っ古市!」

古市の輪郭が震える。強く、掴む。行くな、行くな行くな。一生一緒にいるんだろ。なんでおまえから、消える。

海の水か古市の涙か、それがころころと転がっていく。透き通る。夕焼け。古市の髪。水面。

「お、が」

古市は笑う。よく笑うやつだった。辛いのも悔しいのも全部笑顔の下に隠して。その笑顔が好きだった。古市の笑顔を見れば、安心した。

「海になったら、ね、ずっとそばにいられるけど、男鹿がこっちを見てくれないのって、寂しいね」

ぱしゃん、と、水の音だけが響く。この世の終わりのような空だ。





また海で会いましょう



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