踏み入れたそこは、以前とは別世界。 想像を遥かに上回り整然とした様子で片付いていたその光景に、おれは大層驚いた。シャチに任せた日には、こうはいかない。そこからは確かにバンダナの努力が窺えた。 しかし、肝心のその金髪頭が見えない。おれは僅かに首を捻りつつ、静まり返ったその空間へと一歩、音もなく踏み出す。 「…!」 そして、見つけた。 長い足を投げ出し壁に背を預けているその姿を。 ひどく無防備な――その、寝顔を。 一瞬固まってしまったおれはしかし、慌てて辺りを見回す。滅多に人の寄り付かない、少し埃っぽい地下の一室。当然、人影はなかった。おれは何故だかそのことにひどく胸を撫で下ろし、再度そっとその伏せられた瞼へと視線を向け直す。 「……………」 それからそろり、何となくその距離を縮めてみた。 バンダナは起きない。その頬にあと少し手を伸ばすだけで易々と触れられるであろうところまで歩み寄ったおれは、しげしげとその顔を眺めた。 すーすーと微かな寝息に合わせ、上下する肩。 存外長い睫毛。 深く陰影を落とす通った鼻筋。 それらの…――それも、バンダナのパーツをこれほどまでにじっくりと眺めたのは当然ながら、おれには初めてのことで。 それは、ちょっとした衝動。常よりも格段にあどけなく見えるその顔を見つめている内にその気持ちは、おれの中でむずむずと徐々に抑えきれない程の大きさに膨れ上がっていく。 おれはこくり、小さく喉を鳴らし、僅かな照れの思いに若干視線を伏せながらそうっと左手の人差し指を持ち上げた。 ―――つん、 指でつついたそこは、バンダナの右頬。 何をしているのかと一気に気恥ずかしさを覚えたおれは、一人赤面する。 「…ん……」 すると同時にぴくり、震えた二つの瞼。 おれは慌てて手のひらを引っ込め、体の後ろに隠す。やけに子ども染みた仕種のそれは、咄嗟のことだった。自分の動揺が窺える。おれはまたそれに焦った。 バンダナが意識を沈めていたのはおそらく、熟睡と呼べるまでの深い眠りではなかったのだろう。 …ゆるり。 二つの瞳がその、まだ重たげな瞼の隙間から姿を現した。 「ペ…ン、さん?」 そこは暫くしぱしぱと瞬かれた後、ぱっとおれに唐突な――バンダナの驚いたような視線が向けられる。どうやら、漸く意識が戻ってきたらしい。 先ほどの余韻で僅かながら頬に残る熱を逃がしつつそんなことを考えていたおれの目の前で、バンダナはひどく動揺した様子で唇を半開きにしていた。 「…疲れていたんだろう。別に、怒りはしない」 サボりと見なされることを恐れたのだろう、そう判断したおれが静かにそんな言葉をかけてやれば、バンダナはそこで全ての状況を察したらしい。再度その目が驚きに見開かれた。 そして、次の瞬間。 「……っ…」 「!」 ――…かぁあああ、と。 そんなありきたりな効果音が似合いそうなほど俄に、赤く色づいたバンダナの頬。 おれは思わず、目を見開く。 驚きと感心。そして、少しの動揺がおれの唇から溢れ落ちた。 「な…」 「…………煩い」 「いや…な、何故……」 「、だって……さ」 少しばかり顎を引いた状態から、ちらと窺うようにこちらを見上げてくるバンダナの表情。 それは、ひどく分かりやすいもので。 「寝顔、見たよな…?」 ―――剥き出しの何かが見えた、ような気がした。 あの後僅かに残っていたいくつかのものの整理はおれも協力し、バンダナと二人で手早く片付けてしまった。 時間はそろそろ夕食どき。食いっぱぐれては堪らないと、おれたちは少し早いながらも食堂に向かうことにした。 「…いや〜まさか、人に寝顔を見られるなんてなァ」 話題になったのは当然、つい先ほどのこと。 おれはたかが寝顔を見られたくらいでやけに照れるバンダナをひどく、意外に思った。そのままの気持ちでじっとおれが隣に並ぶその横顔を見ていれば、バンダナはそこに薄く笑みを浮かべ困ったような様子で僅かにその柳眉を下げる。 「ま、それがペンさんだったから良いんだけどね」 ぴくり、おれは思わず反応してしまった。そして数秒の逡巡の後、至極真面目な気持ちで口を開く。 「――お前は、キャスが好きなんだろう?」 同郷出身。そして過去には二人で暗殺業を行っていたこともあると言う。普段そこまで仲が良いとは思えない二人だが、その絆は計り知れない。 バンダナはシャチのことが好き。――それは十分、考えられることだった。 そしてそんな思考がいつもおれの中に妙に息苦しい感情を呼び起こし、もやもや…していた。 「好きだよ」 そんなおれの唐突な問いに対して、バンダナは至って何てことないような口調でそれを紡ぐ。 …ああ、ほら。 またおれの中には、重たい暗雲が立ち込めて――… 「ベポも船長もキャスも、勿論―――ペンギンも」 「……」 しかし、続けられたその言葉。 それを聞いたおれの心の中からは何故か、なにか分厚い雲のような――もやもやと燻っていた――ものが一気に霧散するのが分かって。 しかし、どうにも釈然としない。上手くはぐらかされたような気がしてならない。 そんなおれの思いを見透かしてか、バンダナはやけに楽しそうな様子でにやり、笑みを溢す。急な角度でつり上がったその口端が、妙におれの心を波立たせた。 「おれがどういう風に好きか、知りたい?」 おれは、息を詰める。そしてほんの一秒程度の間にどう答えるかを考えあぐねていれば、――へらり、バンダナは不意にその顔をいつもの笑みに崩した。 「――ペンさんが生足を見せてくれるって言うなら、そこんとこ詳しく教えてあげる」 …最早通例となりかけている、そんな戯れの言葉。 おれは一気に気が抜けてしまった。 「…お前はまたそう、脈絡のないことを…」 がっくりと肩を落としおれがため息と共にそう溢せば、バンダナは妙に様になった仕種でその両肩を竦めて見せる。 「えー? 別に、脈絡がないこともないでしょ」 色々と反論したいところはあったが話すだけ無駄だろうと、おれはじろりとそちらに一瞥をくれてやるだけに済ませた。バンダナにもそれが伝わったのか大人しくその口を閉ざし、――他に人気のない通路、そこには水のようにひたりと、沈黙が満ちる。 「…バンダナ」 しかし、ふと思い出した。おれは口を開く。 そうだ、これだけは言っておかねばなるまい。 「何?」 唐突に表情を引き締めたおれを、バンダナが不思議そうな様子で見てくるのが分かった。 おれは、そっと唇を開く。 「――今日は、早く寝ろ。万が一戦闘の最中にでも倒れられたら困る」 おれは意図的に前のみを見つめ、けんもほろろにそれだけを告げる。 普段船員のことに関してはひどくお座なりな船長に代わり、おれは当然のことを言ったまで。ただ、それだけ。 しかし。 何を思ったのだろうか。 バンダナは――不意にがしりと、おれの片腕を取った。 「!」 驚き軽く目縁を広げたおれの、文字通り"目の前"に、感情の読めない――…やけに真剣な眼をしたバンダナの顔が迫る。 …何をされるか。 そんなことは、直ぐに分かった。 そしておれにはおそらく、それを避けることもできただろう。 だけど。 絡んでいたバンダナの視線が不意にふうと、おれの瞳よりも僅かばかり下の方に流れる。焦げつきそうな熱視線。どこか色気を感じさせるその伏し目がちな表情を見、おれの心臓はまたふるり小さく震えた気がした。 息遣いが、重なる。バンダナの吐息を僅かながらおれは、自分の口吻に感じて。 ――…ふわ、と。 あのときと、同じ。 意外なほど柔らかなそれが、おれの唇に触れた。 ひとつ食むようにしておれのそこを噛み付けていったバンダナの唇は、ややあってゆるりと遠ざかっていく。 ただそれだけの動作がどうしてだか、焼けるように……熱い。 「…――逃げないんだね」 「……」 「あはは、顔赤いよ」 馬鹿言え、さっきのお前の方がよっぽど、という言葉は、今の自分の頬に集まる熱を考慮した結果あまり自信が湧かなかった為、渋々ながらおれの中だけに留めておくことにする。 脈打つ心臓が悔しい。 ゆるり、口端を持ち上げるバンダナの顔がニクい。 だけどこちらを見つめるその瞳に嘘はないと――確かに、そう思えた。 剥き出しハートは仄かな朱色 120127 ![]() Dearリンちゃん with my heart! Byソウ リンちゃんもうほんとに大好きです! …結婚してください!(ぽ/何) 30万hitおめでとうございます。 そして何だか本当に色々とすみませんでした…。 |