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うちの学校には外国人の先生が何人かいる。
その中の一人、金色の髪をしたマルコ先生は特に目立つ存在だった。

マルコ先生は日本画の講師をしている。金色の髪は西洋を思わせていい筈なのに、顔立ちはどことなくシルクロードにある彫刻の様な雰囲気があった。青い色をした目も、自然の色であるのに不思議な透明感がある。岩絵の具にありそうな綺麗な色だ。
そんなマルコ先生は当然の様に生徒に人気があった。見た目の雰囲気加えて、話し方も少し可愛いからだ。

『○○よい』

いつどこで覚えたのか、マルコ先生は言葉の最後に必ずといっていい程『よい』という言葉が付く話し方をする。それが生徒には可愛いと言われていた。
しかし、本人は生徒達に対していつも飄々とした態度を崩さない。そんなマイペースなところも人気の理由の一つでもあった。
そして、私もそんなマルコ先生が好きな生徒の一人。…だけど周りに対しては気付かれない様に振る舞っている。

恥ずかしいからだ。

みんなからとても人気のあるマルコ先生。そんな先生に恋しているなんて…

恥ずかしい。

誰にも言えない私だけの秘密だ。

***********


ただでさえ苦手なデッサン。講評会の日は無情に迫って私の焦りを毎日煽ってきている。一緒に居残りしていた仲間達は一時間程前に帰っていた。

(あああ…何でこんな簡単な物も書けないんだろう…)

イーゼルに立て掛けた紙はあまりに広く大きい。たったB2サイズの紙は、今は大海原よりも広く感じていた。

(せめて木炭だったら誤魔化せるのに…)

シャープなタッチが出にくい木炭なら、塗りつぶして紙の白さを埋められるだろう。しかし今回はまさかの鉛筆デッサンだった。そして追い討ちをかける様にモチーフは石膏で出来た球体に円柱に大きな正方形の立体。…人物像や花や果物の様に雰囲気で誤魔化す事が出来ない品揃えだった。

(難しい…)

見たままをそのまま描けばいい。モチーフは白いだけで柄もない。陰影だけを追えばいいと分かっているのに、自分の手は頼りない線を勢いも無く残すばかりだ。

(…ダメだ。暗くなってきちゃったし…)

近付いてくる夕焼けが、更にこの白いだけのモチーフから描く為のヒントを奪っていく。

「…はぁ」

真っ暗になるにはまだ少し時間があるが、もう描こうという気持ちが消えてしまっていた。溜め息を吐いて握っていた鉛筆をペンケースに仕舞う。その時に背後でドアの開く音がした。

「まだ残ってンのかよい?」

「!」

静かな教室に聞こえた声。それがマルコ先生だと気付いて立ち上がった。

「熱心だない」

「もう帰ります!」

近付いてこられて慌てて片付けを始める。何よりも先にこの下手過ぎるデッサンを隠してしまいたい。マルコ先生に見られるなんて恥ずかしいと慌てるが、焦った手は何とイーゼルを倒してしまった。

(しまった!)

「大丈夫かよい?」

「大丈夫です!」

本当は大丈夫じゃない。イーゼルは常に同じ位置に置いたままにしておかなければならない。ただでさえ苦手なデッサンに、イーゼルの位置までズレてしまうなんてとどめを刺された気分だった。

(どうしよう。…椅子の位置は変わってないから…大丈夫かな?)

座ってみればまだ何とか感覚で直せるかもしれない。いつもはテープで位置を判る様にしておくのだが、講評会が迫っていたので先に剥がしてしまっていた。倒れたイーゼルを起こし、椅子の前に置き直す。しかし、椅子に座る事が躊躇われた。一人きりなら直ぐにでも座れる。それが出来ない。マルコ先生の視線が気になっているからだ。

そんな事を考えていると、マルコ先生がゆっくりと近付いてくる。そして椅子の背もたれに手を掛けた。

「座ってみろよい」

静かに言われて固まってしまう。そんな私にマルコ先生は今度は手を伸ばしてくると柔らかく腕を掴んで言った。

「ちゃんと位置を直しとかねェとない」

「…」

(なんて…)

…柔らかい声だろう。

そう感じると頷いていた。『はい』という一言も言えずに椅子に座ると、マルコ先生がイーゼルを少し動かす。次にカルトンバッグに仕舞った紙を引っ張り出した。

(…見られた)

イーゼルに再び置かれた白過ぎる画面を見ると思わず目を背けてしまう。ただでさえイーゼルを倒すという失態を見られているのに、今度は一番見られたくなかったデッサンまで見られてしまう。何とも言えない気持ちになっていると、マルコ先生が私の真横に立った。

「締め切りは近いのかよい?」

「…はい」

居残りまでしている割に、画面は驚く程に白い。締め切りが近いのかと尋ねられて、私は絞り出す様な声で返事をした。どうにもならないこの状態を見て、マルコ先生は何と思うのだろう。そんな後ろ向きな事ばかりを考えていると、マルコ先生が溜め息を吐いた。

「鉛筆、どれ使ってンだ?」

「!…こ、これです」

不意に訊かれて慌ててペンケースから鉛筆を取り出す。先程まで握っていた2Hの鉛筆を差し出すが、マルコ先生はそれを手に取りはしない。それでも私の手に顔を近付けてじっと見ている。そして近付いた顔は私の顔へと向いた。

「4B、持ってるかよい?」

「ぇ?あのっ…たぶん!」

静かに言われて慌ててペンケースを漁る。内容は正に事務的だが、声に含まれている色気に胸が痛い位に高鳴ってしまう。差し込んでくる夕焼けの色が顔の赤らみを誤魔化してくれないかと、そんな事を考えながらペンケースから4Bの鉛筆を取り出す。芯の折れた鉛筆を見ると、マルコ先生はそれを受け取って投げ出す様に置いていたカッターで削り始めた。

「…贔屓は良くねェが、これも何かの縁だない」

床に削りカスを落としながらマルコ先生は言う。本当に外国人かなと思う程に日本人らしい言い回しで言う独り言を、ぼんやりと見ていた。

「これ、持てよい」

あっという間に削るとマルコ先生は鉛筆を差し出してくる。それを握ると、今度はマルコ先生が真後ろに立った。

「どうだい?同じ位置になってるかよい?」

「…はい。たぶん…」

答えない訳にもいかず、小さく返事をする。すると右肩の上辺りにマルコ先生の顔が寄せられた。

「!「前向いてろよい」

囁く様な声が耳元で聞こえる。それに逃げ出すどころか固まってしまうと、今度は鉛筆を握る手を上から握られた。

「っ!ぁのッ!「もたもたしてたら日が沈む。よく見とけよい?」

「…」

それからは何も言う事が出来なかった。マルコ先生は薄暗くなりつつある教室で、私の白過ぎる画面に線を引き始めていく。頼りない薄い線だらけの画面の上から描かれていく4Bの線は中心に十字の線を描いた後に斜めだった土台を平らに描き直した。土台に接した部分から描かれるモチーフは荒々しくも正確な位置に乗っていく。
それは全てが日が沈む前に終わってしまう位、あっという間の出来事だった。





「さて、そろそろ終いにしろよい?」

「ありがとうございます!」

日が沈みかけてくると、マルコ先生は教室の照明を点ける。明るくなった教室で私は頭を下げた。それを見て何と思ったのか、マルコ先生は再び近付いてくる。

「デッサンはやった分だけ上手くなる。今日の事はみんなには秘密にしとけよい?」

「は、はいっ!」

飄々とした顔が浮かべているのは優しい笑顔だ。それに改めて顔が火照る様な気がしていると、マルコ先生が小さく首を傾げる。

「ところで、お前。デザイン科だよない?」

「はい」

改めて尋ねられて頷く。何故担任でもないマルコ先生が私の事を知っているのか少し不思議だと思った。マルコ先生は日本画の講師だ。外国人が日本画の講師をしているという事で授業は受けた事は無いが、私もマルコ先生の事は知っている。しかし、生徒が先生について知っているのは普通としても、受け持ち以外の接点の無い生徒の事を知っているなんて珍しいのではないか。そんな事を思っていると、マルコ先生が薄く笑みを浮かべる。

「デッサンは大事だよい。日本画には特に大事な要素だない。日本画に路線変更しろよい。お前はデザインよりも日本画が似合うよい、シオ」

「!」

あまりの言葉に驚かされる。何故名前まで知っているのかと目を見開くと、マルコ先生は少し屈んで私の顔を覗き込んだ。

「お前の作品を見たよい。そしたらお前に興味が湧いたンだ。近くで見りゃ、俺の好みだった。だから贔屓したンだよい」

「!!」

あまりにストレートに語られる理由に後退る。しかし、それを知っていたかの様に手が伸びてきて上向かされた。

「レッスン代、もらうよい?」

「…ッ!」

迫ってくる顔を見ていられずに目を閉じる。直ぐに唇に感じた柔らかい感触に自然に顔を背けようとすると、マルコ先生は離れた。

「それじゃ、気をつけて帰れよい?」

「!!」

楽しげにそう言ってマルコ先生は教室から出ていく。
一人になった教室で、私はしばらく椅子に座ったままだった。

目の前の画面には、力強い4Bの線。私の2Hの線はその黒い線に捕らえられた様に力がない。


それは、あっという間に掠め取られる様にして奪われた唇も同じ気がした。



★おしまい★
リクエストをありがとうございました。セクシーなマルコ先生を意識したつもりでしたが、何か黒い先生になってしまいました…orz
学パロ、難しいですね



××××××

いえいえ、物凄く素敵です!千夜さん、本当にありがとうございました…!