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ダ・カーポ=最初に戻って繰り返す


彼女の十の指が織り成す聞き慣れたメロディが再び頭から始まる。
それにふっと我に帰った俺は、彼女に背を向ける形で頬杖をつきながら窓の外に泳がせていた視線を落とした。


「…それが嫌ならさっさと告れ」

「告れんだったらお前に相談しねえし」


ペンギンとの電話での会話が一言一句違わずぐるぐると脳内を回る。

結局奴に上手く丸めこまれて終話ボタンを押す前に"じゃあ明日言う"と、そうはっきり意気込んだはずの俺にその明日は未だに訪れていなかった。

言えた?

言えてない

またかよ

うるせえ


あの日から毎晩、お前は俺の彼氏かと言いたくなるくらいペンギンからのコールは止まない。

それが冷やかしではなくて心配故の行動だから余計性質が悪く、今晩も情けない返事をせねばならないかと思うと憂鬱で思わず溜息が零れた。

パカッと手にしていたケータイを開けばやけに大きく映った日付に、ああもうあれから5日も経つのかだなんて。

朝起床して今日こそはと意気込んで、毎日彼女と2人になれる絶好の機会があるにも拘らず結局俺は肝心な事が言えない。下校中は毎回自身のヘタレ具合に落ち込み、夜は決まり事のようにペンギンに不戦敗の連絡。

ダ・カーポ。俺の毎日はただの繰り返しだ。


「…ピアノ同好会?」


始まりは5日前に先輩の好奇心を揺らがせた事。本当に些細な事だった。

何の変哲もない日曜日。俺は1つ年上の幼馴染であるペンギンの家に足を運んでいて、その日はたまたまペンギンのクラスメイトのロー先輩も来ていて。つまり今回の俺を悩ます最大の原因のあの人は、先輩という以前に友達の友達というポジションにいるから余計ややこしい。

今初めて聞いたかのように聞き返されたけど、以前俺はしっかり説明した。

興味の無い事は即座にアウトプットされるロー先輩の脳は本当に面倒だけど、今まで1度もそれが再びインプットされる事は無かった。
だから何で今更と、ぼんやりとそう考えながらももう一度最初から説明する。


「昔から同じクラスで腐れ縁っていうか…、無理やり加入させられて…」


ピアノ同好会、会員2名。説明するまでもなくその2人は俺とシオ。

昔から彼女に勝てない俺が文句を言えるはずもなく、当初の目的だったモテそうな部活に加入するという夢は儚く散った。

活動は単純明快、放課後音楽室の隣の準備室でピアノを弾いて楽しむ、それだけ。

俺はピアノなんて全く弾けないけれど、放課後の2時間半彼女を独占できるその時間と空間は、俺にとってこの上なく有意義で価値あるものだった。


「…そいつ紹介しろよ」

「………え…?」


ロー先輩は基本的にずるい。

すらっとした身体に長い手足、整った顔立ち。おまけに成績は常にトップで運動まで出来てしまわれては欠点を探す方が難しい。だからモテるのは必然で。

だけど当人は寄ってくる女子を軽くあしらうどころかまるで相手にすらしない超クールときた。

そんな冷淡な一面が露呈されれば人気も落ちるかと思いきや、実際ロー先輩のそういうところがツボだとか言って持て囃される始末。女心ってマジで分からない。


「いや…え…、何で…?」


ぱらりと参考書を捲ったロー先輩に、動揺を悟られない事を祈って聞き返す。興味があるから、淡々とそう答えるロー先輩が悪魔に見えた。

普段あれだけ周りに興味を示さないこの人が、興味があるからだなんてよっぽどの事。興味ってどんな興味だなんて、そんな事は聞けなかった。


「連絡先知ってんだろ?」


どきり、

そこで初めて顔を上げたロー先輩と視線がぶつかれば全身が緊張した。

じゃあ一応本人に了解取ってから、なんて。無難な言葉でその場を濁す。俺の気持ちを唯一知っているペンギンは、はっきりしない俺にちらりと視線を寄こした。


「相当な腕だろ、そいつ」


再び視線を落として平然と言う。聞けば帰りに彼女のピアノを耳にする事があるらしい。


「………そうなの?」

「…さあ?俺は音楽分からないし」


ロー先輩の言葉に思わずペンギンに確認をとれば首をひねられた。

半ば強制的に同好会に加入した俺は勿論音楽の良し悪しなんて分からない。けどロー先輩の言うことは間違っていたためしが無いのは確か。

そっか、シオの奴ピアノ上手いのか。知らなかった。



次の日。月曜日の放課後。


「昨日さあー…ロー先輩が言ってたんだけど」

「え?」

「シオのピアノ…上手いって」

「ほんと!?」


いつも通り楽譜の準備をしていた彼女の方を見向きもせずに、何でもない事かのようにさらっと俺は告げた。


ブリランテ=光り輝いて


想像以上に彼女は喜んだらしかった。

その明るい声色に思わず盗み見るように視線を遣る。ブリランテ、顔を輝かせる彼女がいた。

そんな何気ない一言、お世辞とも取れてしまうような一言でそこまで嬉しそうに笑うのだったら、俺も言ってみれば良かった。

いやでもそれが技術に関してではなく言ったのがロー先輩だからかもしれないと思ったら、やっぱり言わなくて良かっただなんて。ああ、やっぱり先輩はずるい。

自身の言葉で他の男のポイントを稼いだ間抜けな自分に大きく吐息する。

彼女と会って話した事さえない先輩が、彼女の何を知っているというのだろう。

ピアノだなんて高尚な趣味に隠れた、強気なとこ、勝気なとこ。普段周りに振り撒く穏やかで優しげな表情などきっと偽物で、彼女の本性を知っているのは絶対に俺だけ。

ちゃんと分かってる。アグレッシブなその性格の更に奥底に、単純で騙されやすかったりすることも、案外涙もろいことも。ちゃんと、分かってる。

だからこそ俺はこの17年間彼女を放っておけなかったわけで、そのスタイルをこれから変えるつもりも毛頭ない。


「………………」


普段より明らかに上機嫌の彼女を横目に、俺は大して面白くもないケータイのアプリでゲームを始める。

ロー先輩がメアドを知りたがっているだなんて、そんな余計な事を伝えられるはずもなかった。



その月曜日から4日。

いつもは休日を目前にした1番好きな平日が、今日ばかりは重く気だるい。今日がきっと境界線で、ここで言い逃せば永遠にその日は訪れないのではないかとどこかでそう感じていた。

ガラッとドアの開く音で俺の思考は中断される。反射的に顔を上げた先に居たのは、帰り支度を済ませたペンギンだった。


「よっ」

「……………」

「…返事くらいしろ」


笑いながらそう零すペンギンに俺は分かりやすく嫌そうな表情を浮かべた。それを見て更にペンギンは笑う。

パタリと演奏が止まって、ペンギン先輩と、そう声を掛けた彼女とペンギンは二言三言会話を交わし、その後再び音楽が流れた。

以前からそう頻繁にではないが足を運んでいたペンギンは、彼女とも校内で合えば軽く声を掛ける程度の仲。

ロー先輩程ではないがモテるペンギンも出来れば出入り禁止にしたい所だけど、こいつの場合は歴とした彼女がいるから別。


「…ローが来る」

「は?」


突然何の脈絡も無く俺を真っすぐ見てボソリとそれだけ言ったペンギンに、思わず口から出たのは間抜けな一文字。

耳に届く彼女の軽快な演奏とは裏腹に、重い溜息を吐き顔を曇らせるペンギンに俺の脳内は整理がつかずに依然理解を掴めない。

どうせいつもの電話のやり取りを口頭でするもんだとばかり思っていた俺は咄嗟に固まる。


「…来るって…、どこに」

「ここ」

「え、」