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フィーネ=終曲


頭が真っ白になる。

あの日から、俺はロー先輩を校内で見かける度に彼の視界に入らないように故意に出会う事を避けていた。

それは勿論彼女の連絡先の件で催促を受けたら困るからであって、運良くバッタリ遭遇する事など無かったし心配していたメールでの追求も無かった。

あの人の事だからやはり単なる気まぐれだったのだろうかと、そう安心しきっていた俺に不意打ちでこの仕打ち。


「……お前が悪い、さっさと決着つけないからこうなる」


フィーネ。そんなの冗談じゃない。

直談判だなんてロー先輩はいつからそんなにアクティブになった。


「先輩…、いつ来んの」


呟くように放った声は自身のものとは思えないくらい低い。

ちらりと目の前に居るペンギンに目を遣れば、ペンギンは左腕にある腕時計を確認する。


「あと5分後」


驚いている暇など無かった。


「…っ、シオ!」

「!」


俺の大声か、それとも勢いよく立ったために大きな音を立てたパイプイスが原因か、シオはビクリと身体を震わせて演奏を止める。

驚いた顔でどうしたのだなんて言いながら顔を向けたシオを横目に、俺は無言で歩み寄って全開だったピアノの蓋を閉め始めた。


「…帰るぞ」

「へ?」


ピアノの片付け方なんてもう手慣れたもの。わけも分からず呆然としているであろう彼女になんて目もくれずに続けて譜面台を倒せば、さすがにそこでストップがかかった。

批判的な眼差しを向けられればその揺るぎそうにない態度に少し怯む俺。


「また来週弾けばいいだろ!」

「来週でいいなら今日だっていいでしょうが!」

「…いや、そうじゃなくて、…」


言葉に詰まる。

意味不明な彼女の理屈に、いきなり帰るなんて言い出した自分も相当意味不明なのだと自覚する。

いやでも今日ばかりは屈するわけにはいかない。再び譜面台を起こそうとした彼女の手首をパシリと掴んだ。


「駅前のクレープ」

「……………」


はたと彼女の動きが止まる。

もうひと押し。


「1週間分」

「今すぐ帰ろう」


パッと顔色を明るくした彼女の単純さはこういう時ばかりは有難い。

さっさと楽譜を戸棚に仕舞う彼女を横目に俺はちらりと時計を確認する。あと3分。あの人がきっちり時間を守るとも思えないけれど何かの間違いで定刻に扉が開くかもしれない。

しかしながら焦る俺を目の前にシオが鞄から取り出したのはメイク道具。殴ろうかと思った。


「…っ、何やってんだよ!」

「あー、あと5分待って、ちょっと直したい」

「はあ!?いいよ別に!大して変わらねえんだから!」

「ちょっ、…傷ついた!」


そんな彼女を一々気にしている暇など欠片程も無く、一瞬にして広げられた何だかよく分からない道具達を彼女の鞄に適当に押し込む。

俺の行動に勿論彼女は抗議の声を上げたが聞き流し、彼女の鞄を左手に持ち替えると同時に自分の軽い鞄も左手で掴んだ。


「ねえ…何をそんなに慌てて、」


驚きや怒りを通り越して疑問を抱いたのだろう、探るように聞く彼女の左手を空いた方の手でパシリと掴む。


「!」


説明は後でいい。適当な理由なんていくらだって思いつく。


「ペンギン!鍵頼んだ!」


視界の片隅に映ったペンギンにそう言葉を残す。

彼女の手を取ったまま足早に音楽準備室を後にする俺の耳に届いたのは、了解の言葉ではなくて小さな笑い声で。

それは思いの外俺に大きな違和感を与えた。



準備室を出て数分後。

昇降口に近づくにつれて、その違和感はますます大きくなって。気が付けば次第に速度が落ちていた足も止まる。

そもそもあのロー先輩が見た事もない人間のためにわざわざ自分から赴くだろうか。しかも俺に何の連絡も入れずに。

興味があるからだなんて無難すぎる理由も、冷静になって思い返せばどこか怪しい。本当に興味など持ったのだろうか。たとえシオのピアノの腕が良いとしても、あの人は何もそこまで音楽に精通しているわけでもない。


「………………」


ささくれ立った1つの疑問が次々に別の疑問を派生する。

おかしいと言えばペンギンもおかしい。いくら幼馴染だからと言っても、俺に肩入れし過ぎている。

普段のペンギンなら、ロー先輩にしっかりと自分の気持ちを話して分かってもらうようにと、きっとそう諭すに違いない。間違っても今回のように俺にばかり加担するなどあり得ない。

偶然、だろうか。2人の奇行のタイミングが被ったのは、偶然なのだろうか。最後のペンギンの笑みが頭に過り、ハッとする。


「(……まさか、)」


瞬時に脳内で引っかかっていたものが一気に晴れる。

まさか、あの2人。いやでも、それは考え過ぎの気もする。しかし偶然で片付けるにはあまりにも伏線が上手く敷かれすぎている。


「…キャス、」


ドルチェ=甘く、甘く


後ろから小さく聞こえた自分を呼ぶ声に我に帰り、彼女の存在を思い出して慌てて振り向く。

手が痛いと、視線を逸らしながら気まずそうに言う彼女の顔はほんのり赤く、繋がれていた右手が瞬時に熱を帯びた。

















青春協奏曲。

(…あ、もしもし?ローの言った通り…ははっ、人間窮地に立たされると弱いな)


××××××

相互リンクの記念として、『花盗人』のkanonさんよりいただきました!
いやもう…何ですかこの文章の完成度!!
キャスのむずむず焦れったいヘタレっぷりから、駆け出すあの瞬間…!!青春だー!!とやけに手に力が入りました。(照)
彼氏のペンギン(おい)と格好良すぎてはらはらしてしまうロー先輩も、ご馳走様でした!ヒロインちゃんの赤面っぷりも可愛かったです。
kanonさん、大好きです結婚してくださ(殴)……ありがとうございました!