「――…おい、起きろシオン」

 あれ、何でだろう。なんだか物凄くナイスで豪華な美声が聞こえてくる。

「どんだけ寝坊助なんだよ、うん。もうすぐ10時だぞ?」

 さらに加わってきたそんな声に、いよいよ私の意識は浮上した。
 しぱしぱする瞼をこじ開け、私は何度か瞬く。妙にベタつく口内に眉をしかめ、しかし私はなんとかしゃがれた声で喉を震わせた。

「…この世界には、学校がない日は11時まで寝ていなきゃならないという法律があ」

「嘘だな。くだらねぇ」

 しかし、途端私に向かって放たれたものは全くもってすげない言葉。

「と言うか "ガッコー"ってなんだよ」

 …ちょいとそこのお兄さん方、人の言葉を遮らないでくれまいか。

 私は目がちかちかするような配色の二つの頭を見比べ、ぼんやりと思考をさ迷わせる。
 しかし容赦なく布団を剥ぎ取られてしまえば、私はぶるりと体を震わせるしかなかった。

 仕方がない、起きるか。

「オイラ腹減ったぞ、うん」

「あー…朝ご飯、やっぱり作らなきゃ駄目ですか? 私のお勧めとしましては、やっぱりシリアルなんかが…」

「良いからまず体を起こせ」

 ぐいっ、と。

 無理な力で引かれた私の腕は、危うくそれが繋がっている肩から外れそうになった。

 ちょっ、勘弁してくれ。

「――て、わっ…!」

 私は布団からはみ出した自分の体を見、慌てて飛び起きる。

 そうだ、すっかり忘れていた。

 サソリさんの手のひらからがばりと急いで奪った布団で再び首から下を覆い隠してみても、それは最早後の祭。

「うん? どうかしたのか」

「…っ…」


 かあああ。


 やはり、ツッコまれてしまった。私は自分の軽率な行動をいたく悔やむ。
 どんどんと頬に熱が集中していくのが、自分でもはっきり分かった。それだけで何かを察したのか、サソリさんがずいとその麗しいかんばせを私に向かってお近づけになってきやがる。
 その近さにまた羞恥を煽られた私は、意味がないとは知りつつも必死で顔を俯かせた。

「んだァ? …シオン、てめーいっちょ前に照れてんのか」

「ん? …ああ! 何だ。似合わないピンクのチェックーとか、別にオイラは気にしないぞ? うん」

 にやにやと三日月を描いたクリムゾンとブルーアシードの瞳に私はちらりと視線を持ち上げると、小さく嘯く。

「…いえ、別にこの色に照れてる訳じゃありませんよ、これっぽっちも」

 するとかくり、漫画でありそうな仕種でデイダラくんの肩が片側に落ちた。

「うん? …違うのか」

 こてり、可愛らしい動作で首を捻ったデイダラくん。

「…じゃあ、てめーは何に照れてんだ」

 怪しむようにしてその双眸を鋭く尖らせたサソリさん。
 ふうらふらと瞳を泳がしてみたところで、二人からは一向に私を解放する様子が見えない。私はきゅっと唇を引き結んだ後潔く諦め、そっと静かに唇を開いた。


「パジャマ……なので、はい」


「パジャマぁ?」

「…それのどこに照れる要素がある」

 しかし、話はまだまだ終わらない。結論を告げた私に対してしかし少しも追及の手を休めない二人に、私はぷいと熱を持った顔を背けた。
 こうなったらもう、自棄だ。私はそのままの状態で一気に、言葉を吐き出した。

「周りの人たちはみんな、寝るときはスウェットだって言うんです! …どうせ私はダサいですよう…」

 それっきり黙り込んだ私に一瞬の間をあけて、たっぷりとした金髪がさらり、再び私の目の前で流れる。

「…別に良いんじゃねーのか? うん」

「…………」

 私は何も言わない、言えない。

 …全く、この恥ずかしさが分からないって言うなら、一度学校の旅行行事ものでパジャマを持っていってみればいいさ。

「シオの照れるポイントはよく分かんねーな、うん…」

 取り敢えずといった様子で一つ頷いたデイダラくんを見上げ、その反応に不満ありありだった私はしかしそう言えばこの人たちには学校も何もなかったかと漸く納得する。
 そしてふと、不意に気になっていたことを思い出した私は、何の脈絡もないことを承知でするりと言葉を繋げ訊ねてみた。

「…――そう言えばデイダラくん。昨日の成果は如何でしたか?」

「昨日?」

 私の言葉に数秒間虚空を眺めたその瞳はしかし、ややあって私の目まで戻ってくる。

「…オイラ、何かしたか?」

 そして再度首を捻ったデイダラくんのその表情は、心底不思議そうなもの。私はさらりとまた口を開いて見せた。

「え、昨日の夜に言ってたじゃないですか。サソリさんのところへ夜這――」

「してねーよ!! うん!」

 瞬間、デイダラくんは必死に私の声を塗り潰した。だが、もう遅い。私はにやり、口端をつり上げた。

「ああ…? オレがどうした」

 ほうら、大魔人のお出ましだ。

「いや昨日デイダラくんと…」

「だ ま れ」

「イエスボス」

 しかし、一瞬でがしりと鷲掴みにされた頭蓋骨。きりきりと悲痛な金切り声を上げだしたそこに、私は早々にギブアップの意思を示した。

 ちょ、本当に私の頭いつかいかれちゃうってば。

「もういかれてるだろ」

「私、そんなに頭は悪くない方ですよ。――それにですね、別に夜中デイダラくんがサソリさんのところにこっそりひっそり足を運んでもにゃもにゃ、なんてことを考えるのは、何も可笑しなことでは…」

「いやほんっと訳分かんねーよ、うん! シオの照れの基準はどうなってんだ!」

「え、どこか変…なんですか?」

「…自覚がないのが一番恐ろしいんだよ、うん」

 いや、自覚はあるよ。変とは思ってないけど。

 話に着いていけないとでも思ったのかはたまた着いていく気もなくなったのか、サソリさんはふらり、私のベッドの側から遠ざかっていく。私はその様子をデイダラくんを楽しくからかいながらも横目で眺めていた。と、そのとき。ひたり、サソリさんの視線が何かの上で、止まる。
 それは、私の机の上に置かれた一枚の紙で。


 …何か、私は忘れているような気がする。

 凄く大切な、何かを。


 サソリさんの手のひらがそれをすっと掴む。そしてゆっくりと伏せられたそれを持ち上げながらも、くるりと上下をひっくり返し――…


「 あ、」


「…うん?」


 そう。一枚の紙。

 スケッチブックの中から一枚破り取ったようなそれは、私が昨日麻紀ちゃんからもらった――…

 私の顔面からは一気に、血の気が引いた。

 しかしとき既に遅く、サソリさんの瞳がぴたりとそれを捉える。

「…ああ?」

 くしゃりと、その柳眉が歪んだ。そしてその紙を支える手のひらには、ぐっと力が入って――…



「――止めてくださいッ!!」



 きいんと耳鳴りがした、…気がした。

 私の喉から迸ったその声は、大きく。自分でも驚く程の金切り声が、その場の空気を劈いた。
 ばっとサソリさんの手からもぎ取ったそれを私は必死に抱き締め、一心不乱に背中を丸める。

「てめェ、その絵――…」

「―――気分を悪くさせてしまったのなら、すみません」

 私はサソリさんが紡いだそれを、早口で遮った。
 デイダラくんは今の状況を全く理解できていないのだろう。困惑の様子をありありと滲ませながら、一触即発の空気の中に茫然と突っ立っているのが感じられた。

「だけどお願いです。これを破ったりとか、そういうことだけはどうかしないでください」

 低く抑えた声で、そんな中私は言う。
 サソリさんが呆れた表情で、しかし深く眉間に皺を刻んで何かを言おうと口を開いたのが分かった。だけど、私はそれを聞きたくなくて。
 くるりと鈍すぎるくらいのモーションでそちらを振り返った私は、深く頭を垂れ――…懇願する。

「お願いです。…これは、私の大切なものなんです」

 これにはサソリさんもそしてデイダラくんも、ひどく度肝を抜かれたようだった。
 おそらく命乞いさえほとんどしなかった私がこんなにも必死に頭を下げている、その様子が驚きだったのだろう。


「な…にしてんだよ、シオ」

 デイダラくんのひどく戸惑ったような声が、私の頭に降ってくる。
 だけど、私の脳には届いて来なかった。

「――…これは麻紀ちゃんが私の誕生日のお祝いにってくれたものなんです。麻紀ちゃんが私の為だけにって描いてくれた、初めてのものなんです」

「は…? や、え?」

「…"マキ"、ちゃん?」

 私は固く固く瞼を閉ざす。深く項垂れた私の喉は震え、それに倣って紡がれる言葉もか細く小さなものとなっていた。

「これ…は、」


 …――差し出された、一枚の紙。

 私は顔を上げられなかった。麻紀ちゃんの目を、見れなかった。
 受けとる為に持ち上げた両腕。指先が震えてしまわないかとそればかりを気にしていた。
 私は跳び跳ねて喜んだ。はしゃいだ声を上げて何度も何度もお礼を言った。麻紀ちゃんの顔はやはり見れなかった。

 …本当は泣きそうだった。

 嬉しくて。嬉しすぎて。


 サソリさんが小さく、その唇を開いた。

「お前…、もしかしてレ――」

「レズなんかじゃありません。私は、今まで普通に男の人に恋をしてきました。男の人にときめいたりもしてました」

 だけどその言葉を言われたくなくて、私は必死に言葉を紡ぎ出す。

「私は、麻紀ちゃんが女の子だから好きになったんじゃありません。私は麻紀ちゃんが麻紀ちゃんだから好きになったんです。…――好きになったその人がたまたま、女の子だっただけなんですっ…」

 さらりと何でもないことのように言いたかった。気丈な態度を崩さないでいたかった。だけど、私の声はどうしてもみっともなく震えてしまって。
 ずっと隠してきた想い。ずっとずっと誰にも言わずに、一人抱え込んできた想い。


 麻紀ちゃんにはこんなこと、言えるはずがなかった。

 例え、言ったところでどうなる。
 その顔は嬉しそうに微笑むか。いや違う。そんなの解ってる。
 気持ち悪いと言わんばかりに歪められるか。いや違う。麻紀ちゃんは、そんな人じゃない。

 きっと私の大好きなあの子は、困ったような顔をしてしまう。困ったように――…だけど、笑ってくれてしまうだろう。

 私はそんな顔が見たい訳じゃないのに。


「…そうか」

 そのときふわ、と。

 私の頭に乗せられたのは、やけに静かな何か。
 ひどく驚いた私は大きく目を丸め、思わず息を飲む。

 顔を上げた先に、見えた紅緋の色。それは私を蔑むでもなく、馬鹿にするでもなく、ただじっとこちらを見つめている。


「 …さ、そりさっ…」


 その手はひどく、優しかった。

 同じく少し離れたところから感じる青の瞳の視線も、やっぱりどうして温かくて。
 私はきゅうと軽く唇を噛み締める。だけど堪えきれずに、ころりと一粒の雫が頬を転がった。私は直ぐに自分の手の甲でぐいとそこを拭うと、小さく唇の端を持ち上げて見せる。
 この涙の意味は自分でも、直ぐに気がついた。

 きっと私は今、嬉しいんだ。

「…でも安心してください。今は麻紀ちゃんが好きですけど、私、」

 だから私は直ぐさま気丈に振る舞い、照れ臭い思いで笑った。

「うん?」

 相槌を打ったのはデイダラくん。心なしか、その一言だけの声までもが今だけは優しい。
 私はくるりとそちらを振り返り、ぐっと親指を突き出して見せた。


「女の子だけじゃなくて、男性の方でもいけます。つまりバイです」


 何かお得ですよね、これ。と話を締め括った私はしかし、あれと首を傾げる。

 …何だ? この妙に脱力したような雰囲気は。

「サソリさん? …デイダラくん? どうしたんですか。何だか、ぐったりしてるようですけど…」

 きょろきょろと代わる代わるに二人の顔を見回せば、その両方からじっとりとした視線がこちらに向けられて。私はきょとんと目縁を丸める。

「…折角人が気を使って、少しは優しくしてやったっていうのによ…」

「…そう言えばシオは、そういう奴なんだったな。うん」

 私はそんな妙に疲れたような雰囲気を撒き散らす二人を見、にっと唇の端をつり上げた。



苦手なものはおちゃらけそう



「ありがとうございました。お二人とも」


 ――ちなみにその後でデイダラくんにもその紙を見せたところ、綺麗な青色は歪み、その顔を盛大に引きつらせた。

 私はそんなデイダラくんをにこやかに見つめ、口を開く。

「大丈夫ですよ。ちゃんと私がこれから毎日隅々まで眺めておきますから…」

「うん、止めろ」

 瞬間私の頭に勢いよく降ってきたものは、言わずともがな。



 …ところで。

 こんな私のことをだけどやけに優しく認めてくれたデイダラくんとサソリさんなのだからこれは、二人にもそちらの方の気があると期待しては……いけないだろうか。



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