殉死する薬指

【クロネコ海賊団の副船長になる前のジャンゴはまた別の海賊のしたっぱをやっていたという設定】

運命さえ引き千切って僕ら駆け出してしまおうよ。
部屋に単身のりこんできた青年の主張することは要約するとそんなところだった。

ここはなまえに与えられた部屋。ジャンゴはその用心棒だ。
この町にしては良い方の調度品が揃えられた部屋は、二人を雇っている海賊の船長が所有する屋敷の一室だ。
もともと宿なしの二人である。かたや船長の愛人、かたやその用心棒。扱いの差こそあれ、雇い主の意に反するようなことをすれば行きつく先は地面の下だという点で二人は同じだ。いや、それすら高望みの世界だ、埋めてすらもらえない可能性の方が高い。
だからだろう。彼女の方を見ると、彼女はあっさりとジャンゴに一部始終を説明した。

なまえの説明と青年の主張をつなぎ合わせると、つまりはこうだ。

なまえの現在は暗澹とした身の上だが、町で彼女とそれなりの親しさでもって交流するうちに、青年はなまえがそのような状況におかれているべきではないと考えるようになった。
青年はなまえをそういう悪い場所から連れ出すと約束し、なまえは部屋に見張りが誰もいない時間帯を教えた結果が今のこの状況というワケだ。

さらにいえば、なまえが青年の期待に反してジャンゴをその時間に呼んでしまったために三人がこうして顔を突き合わせているというワケで。
ジャンゴとしては銃を青年の額に突きつけるほかないのだった。ジャンゴたちの雇い主は、愛人を攫おうという男が現れた時点で愛人ごと始末するタイプの男だろう。ついでにいえば、そんな状況になるまで女の自由を赦した用心棒の責任についても見逃さないタイプだ。彼の面子をつぶした時点で全員同罪なのだ。

でも、そんな悪党の倫理は青年には関係ない。青年は首にジャンゴのチャクラムを突きつけられたまま、薄情者!と叫んだ。
ジャンゴに言わせれば、青年が言うほどなまえは薄情な女ではない。情や恋といったよく分からないものに流されないというのは、この世界において信頼に値する人間の条件のひとつだ。

「つまり、運命というのは具体的に言えば俺たちと俺たちを雇ってる奴のことだろ。引き千切ってというぐらいだから全員ぶち殺すつもりで来たワケだ。だって、そうしなきゃ俺たちはなまえとおまえを死ぬまで追いかけるだろうよ」

「殺すなんて……」

「ならどうやってなまえを守るつもりだ?」

ジャンゴは武器の刃を青年の首に食い込ませた。誘拐の未遂犯の段階で殺されてしまうのはやや気の毒な気もしたけど、彼の存在そのものがもう既にジャンゴとなまえの命を脅かしているのだ。悪人二人と善人一人の命の重さについては、一般論としては議論の余地があるかもしれない。でも、ジャンゴにとっては天秤にかけるまでもない話だった。
「か……海賊め!」
結果として、それが青年の最後の言葉になったのだ。


「恋のために死ぬなんて考えたこともねェ」
ジャンゴは呟いた。彼の足元に転がっているのはいわばその殉職者なのである。誰へというワケでもない、いわば感想だったけどなまえは彼に話しかけられたと理解したらしい。「わたしもだよ」彼女はそう言った。

「誰だって、死ぬのは嫌だもんね」
「死ねなくて悪いね」
「そういう意味で言ったんじゃないよ。ジャンゴには生きてて欲しいもん」
「お優しいことで」

答えながら、ジャンゴはなまえが腰かけるベッドの脇に置かれた鏡台の上に、見慣れない繊細な細工の小箱があることに気づいた。
ジャンゴは興味を惹かれた。
その箱を手に取ろうとして、触れたらまずいものである可能性(たとえば、なまえの愛人たる我らが船長が彼女に贈ったものであるとか)に思い至って手を引っ込める。

「開けみていいよ」
「他の男に触らせたらマズいやつなんじゃねェの」
「そうだけど、バレないよ」

ジャンゴの推察は正しかったけど、なまえは妙に自信有りげだ。
ジャンゴがその小さな箱を開けると、入っていたのは指輪だった。
ピンクゴールドの可愛らしいデザインだ。

「婚約指輪か」
「似合うと思う?」
「だろうな」
「じゃあジャンゴが嵌めて」

なまえは手のひらをジャンゴに向けた。薬指を強請るように振る。
今日の彼女に倫理や常識といった理論は通用しないのだと分かった。悪党なりの仁義とか、そういったものですらだ。絶対なのは彼女の意思のみ。
ジャンゴが誘われるままに彼女の指に指輪を嵌めると、彼女の目に映る自分は神妙な顔をしていて、彼女に対して自分がどういう気持ちを抱いているか思い知らされた。

「ジャンゴのことが好き」
なまえの声はそんなに高いほうじゃない。でも、それが却ってジャンゴの耳には心地よかった。

「でも私は好きな人のために死ぬなんて出来ない」
「ああ」
「だって邪魔するほうが死ぬべきだもん」
「は?」

なまえは言うなり小さな拳銃を抜いた。ドレスの中に隠していたらしい。指輪を嵌めた薬指をもう片方の手で支えてその付け根を自ら撃つ。結果として薬指はなまえから切り離された。躊躇なくやると傷口はとても綺麗なものになるのだと知った。普段見慣れている血みどろと、彼女のそれは、違う。

「ジャンゴにあげる」
「なっ!何考えてんだよ」
「薬指は好きな人にって言うじゃん」
「あの人が傷物になったとかいって怒るぜ」
「だからやったの」
「一緒に逃げようってことかよ!失敗例があったばっかだぞ」
「失敗しなきゃいいじゃん」
「……」
「運命さえ引き千切って僕ら駆け出してしまおうよってやつ!」

なまえは言った。彼女の笑顔は魅力的だけど、最初にそう言った奴はそのせいで死んだワケで、はっきり言って不吉だ。返事は決まっていた。

「いらない?指」
「いるさ」

ジャンゴは血まみれの薬指を受け取って指輪を外す。細身の彼である。ちょっと浅い位置だったけど、自分の薬指に嵌めることが出来た。女ものの指輪はジャンゴの細く節ばった指の上でそれなりに見栄えがした。

複数の足音が聞こえてきた。駆け足。多分、さっきの銃声を聞きつけて仲間たちがジャンゴたちがいる部屋に駆けつけているのだ。あと数秒で元仲間になる連中の足音。

「全員殺して幸せになろう」
「怖ェヤツ!」
「海賊だもの」

あんまり力強くなまえがそう言ったものだから、まあそういうものかと納得してしまった。いくつかの命と二人の幸福。天秤にかけてどちらが重いかという話で、結論を言いきれるなまえは怖い奴だ。でも、ジャンゴはなまえのことが好きなのだ。同時に成立することはおかしくない。だってそんなの決まっている、ジャンゴだって海賊だからだ。