追憶 | ナノ

03


時計塔。魔術教会の本部であり、ケイネス殿が講師を務める。主は現在、講義の最中で、俺が待つように言われた執務室にはいない。もっとも、霊体化している状態であるので、ここでずっと待つ必要はない気もした。

「(あれは…)」

足音が近づき、扉の前で止まる。主が帰って来たのか、そう思った。しかし、扉が開いた先にいるのは別の人物だった。ケイネス殿の妹、ナマエ様。
扉を開ける為に片手に集めた書類が、危なげにその細い腕の中で揺れている。

「よいしょ…ッ!?」
「危ないッ」

恐れていた事態は、思っていた以上に早く起きた。両手に持ち直そうとしていた書類が、ナマエ様の手から滑り落ち、雪崩の様に崩れていく。それを止めようと傾けた身体は、自身で止めることが出来なくなり、書類同様、前へと崩れていく。

「あなたは…」
「怪我はないですか?」
「は、はい。何も…!?ご、ごめんなさい!」

咄嗟に霊体化を解き、ナマエ様へと手を差し出した。腹部へと腕を回し、抱き止めたお陰で、怪我はしていない。
ナマエ様は現状に気づくと突き放す様に、俺の腕から離れた。

「はしたないことを…本当に、」
「いえ、それは。それよりも、ナマエ様にお怪我が無くて良かった」
「名前。覚えていて下さったのですか?」

嬉しそうに言うナマエ様の姿は、まるで子供の様に純粋そうだった。

ケイネス殿が講師を務めているから、ナマエ様もそうかと思い訊ねると、彼女は違うと首を横に振った。ナマエ様はケイネス殿の庶務的サポートをしているだけだと言う。

「そもそも、私は魔術は使えませんから」
「そうなのですか?」
「はい。魔術を教わるのは、魔術刻印を継ぐ一人だけ。私にも、魔術回路はありますが、教わったことはありません」

語るナマエ様の様子に、引け目に思っている姿はない。きっと、それが当たり前と思っているのだろう。

しかしそれなら何故、ナマエ様は俺の呪いを受けないのだろう。魔術師であれば、それを遮断することも出来るが、彼女は―――
俺に対し恥じらう姿はあっても、それは魅了されたのとは違う。

「それなら、きっとこれのお陰です」

そう言って見せてくれたのは、ナマエ様が首に下げているネックレスだ。

「これは、ここでお手伝いすることが決まった時に、お兄様から頂いたものなの。抗魔力を施してあるって」

言われて気付いた。確かに、このネックレスから魔力を感じる。これで納得がいった。

魔術は行使出来なくても、ナマエ様は他に優れた人だ。学問でも、芸術面でも、才色兼備を兼ね備えた人物であるとケイネス殿は言っていた(その時のケイネス殿の顔はどこか誇らしげに見えた)。では、何故このような仕事をしているのかと訊ねれば、彼女はクスリとまた小さく笑った。

「私が、お兄様のお手伝いをしたいから」
「ケイネス殿の?」
「お兄様には小さい頃から、本当に良くして頂いています。大したことではないと判っています。でも、これが私からのお礼のつもり」

ケイネス・エルメロイと言う人物を、自分はまだよく理解しきれていない。ただ、少なくとも妹のナマエ様からは、とても良く思われているのが判った。表情は勿論、言葉を発する声色にもそれは現れている。

「ところで、ランサー様はここにいらして宜しいのですか?」
「ケイネス殿にここで待つように言われました。それと、私のことはランサーで構いません。ナマエ様」
「あ、はい」

床に散らばった書類を拾い上げ、ナマエ様は机に置いた。もう問題はないだろう、そう思って再び霊体化しようとした時、視線を感じた。勿論、感じた先にいたのは、ナマエ様だった。

「ナマエ様?」
「あの、…」

困った様に見つめている。何かあったのかと思って、彼女の方を向けば、今度は考え事をする様な仕草を取る。小首を傾げて考える姿は、愛らしく感じた。意図してしたものでは決してない。だから余計にそう感じたのだろう。少ししてナマエ様は「ランサー」と青い瞳をこちらへ向けた。

「その、ナマエ“様”と呼ぶのを止めて頂けませんか?私のことはナマエで構いません」
「それは、」
「私はそんな偉い人でもない。屋敷で働いている人にも言っているのだけど、誰も呼び方を変えて頂けなくて。私は、主とか、使用人とか、そういう括りで関わり合うのが嫌なのに」

ケイネス殿で丁度、九代続く魔術師の家。本人はそれと全く関係ない環境で育ったとしても、周りは家柄から彼女を本当の意味で慕う人がいなかったらしい。人間関係に不満とまでは言わないが、それでももう少し分け隔てなく、家族以外の人と接したかった。それがナマエ様の考えだった。

「友達になって頂くことが出来ないのは判っています。でも、せめて呼び方くらいは、私の望みを聞いて頂けませんか?」
「……、判りました。ナマエ」
「有り難うございます」


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