年に1度だけ、池袋が確実に少しだけ平和になる日がある。
ほとんどの人間が意識をせずそれに気付かないが、その日だけは自販機が飛ぶ回数が1回少なく、標識の被害も1本少ない。低く叫ばれる三文字の言葉は聞こえず、黒いファーコートが絶対に街に現れないのだ。
それに平和島静雄が気付いたのは、今年の当日だった。
「静雄、今日誕生日だろ?おめっとさん」
「あ…ありがとうございます」
上司である田中トムに言われ、今日が自分の誕生日であることに気付いた静雄。
社会人になってからというもの、日にちに無頓着になってしまって、誕生日だという感覚が無かった。
忘れてたなあ、と思いながら、プレゼントだとトムに渡されたココアに口を付けた。
甘過ぎるほどに甘いココアは静雄の舌にはちょうどよく、口の中に広がった甘さにほうっとため息を吐いた。
1月もそろそろ終わりだというのにまだ少し肌寒く、ココアは体が暖まった。
今日はこのまま幸せな気分で、平和で静かに過ごせたら最高だ。誕生日くらいそれを望んでも良いだろう。
そう考えて、ふと気付いた。
毎年そう思って、それは叶ってきている気がする。
誕生日は決まって、上司がささやかに祝ってくれて、旧友や弟からメールが来て、夜は親友の家でご飯を食べる――それを邪魔されたことが、今まで無いのだ。
静雄の天敵は、そんなに頻繁に池袋にくるわけではない。だが、過去1度も誕生日には姿を現していなかった。
(…別にいいけど)
邪魔をされないなら、それに越したことはない…はずなのだが、どうしても違和感が拭えなかった。
何かを企んでいるのかもしれない。いや、もしかしたら気を使っているのかも。
後者の可能性は無いだろうなと考えて、静雄は不愉快だと眉を寄せた。
何故か今日1日が、とてもつまらないものになりそうだと予想して。
「波江さんも食べない?」
新宿の某事務局にて、折原臨也は秘書の波江にそう声をかけた。
パソコンでファイルをまとめていた波江は一度画面から目を離して、一人ケーキを食べている上司を見る。
机の上にあるホールのショートケーキはとても美味しそうだが、この上司とでは食べる気になれない。
「…結構よ」
「ざんねーん。じゃあ俺一人で食べちゃうよ」
丁寧に切り分けてから皿に乗せ、それをフォークで刺して口に運ぶ。
臨也は決して甘党ではないはずなのに、その顔は凄く幸せそうだ。
「ケーキなんて珍しいわね」
「今日誕生日なんだよ」
「あら、おめでとう」
「俺じゃないんだけどね」
ケーキを口に運びながら苦笑する臨也に、眉を寄せる波江。
ならば何故わざわざケーキなんて用意しているのかと思っていたら、臨也が裏の無い穏やかな笑みを浮かべて声を発した。
「シズちゃんの、誕生日なんだ」
「…平和島静雄の?」
天敵の誕生日となると、ますますケーキの意味がわからない。
折原臨也ならば、平和島静雄の誕生日はめちゃめちゃに台無しにしそうなものなのに。
――そう考える波江を他所に、臨也は尚もケーキを食べ続ける。
だがしかし、結局は自分に関係の無い行動だと結論を出した波江は、ケーキに向けていた意識をまたパソコンへ戻した。
受信された仕事のメールに目を通し、優先順位を決めて臨也に報告をする。
「今日の5時、粟楠会が取引をしたいらしいわよ」
「ああ、四木さんか…。池袋でしょ?今日はパス」
「…あら、粟楠会からの仕事を断るなんて珍しい」
一番の取引相手であるはずの粟楠会からの依頼を臨也が断ったことは無く、特に四木からのものは最も大事にしていた。
それなのに「池袋だから」というだけの理由で断ろうとしたことに、波江はもう一度臨也を見る。
「別に。今まで粟楠会からのは優先かつ完璧にやってきたんだ。今回くらい断ったっていいだろう?」
平然とケーキを食べ続ける臨也に、「消されても知らないわよ」とだけ忠告して断りのメールを送る波江。
「別にいいよ」と笑う臨也だったが、直後にズボンの中の携帯が鳴った。
「………」
「出なさいよ」
ムッとしたように携帯を取り出し、しかしそのまま画面を見つめている臨也に波江が声を出す。
渋々携帯の通話ボタンを押し、耳に当てる臨也。
「…はい、お待たせしました」
『嫌そうな声ですねぇ』
聞こえてきた声に思わずため息を漏らす。
明らかに不機嫌になった臨也に、電話の相手――四木は苦笑を漏らす。
『そんなに邪険にしないでくださいよ』
「…仕事の話なら、明日からにしてください。もしくは新宿で」
『おや…そうか、今日は…』
「ええ、1月28日です」
そう告げた臨也に、四木は暫しの間沈黙した後『明日かけ直します』と言って電話を切った。
通話終了ボタンを押して、座っている横のソファに携帯を投げ置く臨也に、波江が驚いたように眉を上げる。
「もう終わったの?」
「元々、1月28日は仕事を入れない約束してたから」
忘れてたみたいだけど、と苦笑する臨也。
ここまで今日を大切にするとは、と、波江も少しばかり気になってくる。
「そこまで仕事をしたくないのは何故?」
「池袋以外なら仕事するよ?…ただ、今日くらいは平和で静かな暮らしをプレゼントしてあげようと思ってね」
俺がいると、邪魔だろう。
少し寂し気にそう言った臨也。
なぜ天敵のために気を使うのか、波江には理解できなかったが、結局臨也がその日池袋に向かうことは無かった。
1月28日
▼あとがき
続きます。