※「ただの我が儘だけど、俺を愛して +」の続き
静雄と暮らすようになってから、一年が経った。
静雄は相変わらずシズちゃんとしての記憶を取り戻さず、俺に優しげな笑顔を向けてくれる。
その笑顔に、未だ俺は罪悪感を抱えていた。
(俺も、わりと人間らしいところがあるんだな)
静雄は俺の物だと、開き直ってしまえば早い。
だが、池袋から彼の噂が消えてきている現状に、どうしようもなく苛立ってしまう。
今では池袋最強はサイモンで、最近出てきた人達は「喧嘩人形」という単語すら知らない。
違うだろう。
最強はシズちゃんだ。
喧嘩人形を知らず池袋を歩くなんて、なんて馬鹿なんだ。
人々の中からシズちゃんが消えることが、たまらなく嫌だ。噂が無く、日に日に彼の名前が消えていくのに苛立ちが募る。何故。
自分だけの物になっているのに、どこか違う。最近はまったく嬉しくない。
皆に見せていた笑顔は俺だけの物に。――ああ、なんだか違う。
「臨也?」
考えに耽っていたら、静雄が俺の顔を除き込んだ。
わ、と目を丸くしたら、静雄が眉を寄せる。
「考え事か?」
「ああ、うん。まあね」
「何考えてたんだ?」
君のことだよ。
なんて、ギザな言葉は言う気になれない。
怒りを宿していない瞳がまっすぐに俺を見る。
この目は嫌いじゃない。むしろ、俺がずっと向けてほしいと願っていた目だ。だがこの1年、俺はこの瞳に苦しんできた。
怒りが宿っていないのは、俺がしたことを覚えていないからで、俺はそのことを黙っている。
「騙す」という慣れた筈の行為が、辛い。
記憶を取り戻すように、今からでも全力を尽くそうか?
―― 死 ね 。
脳裏をよぎる一年以上前のシズちゃんの言葉。今でもズキリと胸が痛くなる。
ああ、でも。でも。
…勝手だとは思う。1年前は幸せなんか願えないと思って、勝手に愛されたがっていたのに、今度は。
横にいる彼に違和感を感じるのは、喪失感を感じるのは、
(俺は、)
愛されている彼が好きなんだ。
「街に行ってみようか」
「え?」
二人で夕飯を食べているときに、そう話を切り出した。
突然の俺の言葉に、静雄は驚いたように俺を見て、食事の手を止めた。
「でも臨也、前に『記憶の無い間外に出るのは危ない』って言ってたじゃねぇか」
「うん、俺も一緒に行くからさ。最近じゃ街も落ち着いてるから…」
俺が動いていないからこその今の街は落ち着いている。“喧嘩人形”も消えかけているし、行くなら今行ったほうがいい。
完全に消えてしまう前に、平和島静雄を戻さないければいけない。
「喧嘩人形が戻ってきた」と言われるように。
静雄は少し悩んだ後、「わかった」と頷いてまた食事を再開した。
街に行くとき、俺は久しぶりに昔の服を来ていった。
黒いファージャケットにVネックを着て街を歩けば、1年前に戻ったような錯覚に陥る。
静雄は俺の服装に「珍しいもん着てんな」と言ったけれど、白いYシャツを着ていた自分のほうが、今ではなんだか自分ではないように感じた。
「何か思い出しそう?」
池袋駅を降りて、久々に帰ってきた彼に尋ねる。彼は少し困ったような顔をしていた。
まだか、と少し落胆しかけたが、気を取り直して「焦らずに、ちょっと歩いてみようか」と微笑む。
歩き出した俺に、静雄は無言でついてきた。
あまり変わらない街の様子。落ちついたと言っても相変わらず人は多いし、賑やかだ。
とりあえず、シズちゃんと喧嘩した場所や、来良学園に連れて行ってみた。だがシズちゃんは大人しく俺についてくるだけで、思い出しそうではなかった。
やっぱり1年も記憶を放置していたから、思い出すのは困難なのかもしれない。
「どこか行ってみたいところがあったら言ってよ」
「いや…特にねぇな」
困ったように眉を寄せながら言われ、「だよねえ」と苦笑する。記憶もないのに行きたいところもなにも無いだろう。
もっと早くに思い立つべきだったな、と少し後悔をしていたら、この街ではお馴染みの馬の鳴き声が聞こえてきた。
「……おや」
振り返ると、首なしライダーこと運び屋のセルティがバイクに跨ったままこちらを見てきている。
やあ、と笑顔で手を振るが、運び屋はバイクから降りると俺を無視して静雄に話しかけた。
『静雄!久しぶりだな!』
「セルティ…久しぶりだな」
心底嬉しそうにする彼女に、静雄も嬉しそうに微笑む。
久しぶりに見る“愛されている平和島静雄”に、俺の頬も自然と緩んだ。
ここはなにも言わず、しばらく二人で話をさせようと、黙って二人の様子を見ていることにした。
『まったく、心配したんだぞ。まったく顔を出さないから』
「悪いな…」
『…いや、いいんだ。臨也と一緒とは思わなかったけどな』
「そうか?」
本当に仲がいい。静雄の顔はずっと嬉しそうだ。
だが二人の様子を見ていて、何かが引っ掛かった。
―――あれ。おかしい。
別にセルティを知っていることがおかしいわけではない。
もともと新羅が診察したのだし、そのとき知り合っていてもおかしくはない。
そうじゃなく、もっと小さいことだ。
「ねえ」
『なんだ?』
「『元気だったか?』とか、『今までどこにいたんだ?』とかは聞かないの?」
素朴な疑問を口にした。
シズちゃんを心配している彼女なら、絶対に訊くであろう質問だ。なのに何故か会話の中に入ってこない。
これじゃまるで、連絡だけは取ってたみたい――
考えて、「え?」と声をあげてしまった。
連絡は取っていた?
まさかとは思うが、静雄は俺の疑問に対して「しまった」という表情を作っている。
いや、そんな。馬鹿な。
「…普通さあ、1年も消えていたらもっと心配して、1年間のことを訊くものじゃないかな?」
『何を言っているんだ。この一年、静雄はちゃんと』
返事として運び屋が俺に向けたPDAを、静雄が奪うようにしてセルティの手から取った。
だが向けられた文章はしっかりと読み、頭に入ってきている。
“静雄はちゃんと、連絡をしてくれていた”
「…ねえ静……シズちゃん。…記憶戻ってるの?」
恐る恐る尋ねたら、シズちゃんの目が大きく揺れた。
その口は開かないが、その態度で全て理解する。――彼は、ずっと前から記憶があった。
なんだそれ。
あまりの衝撃にすぐには言葉が出てこない。
俺の様子に運び屋がシズちゃんからPDAを取り返して『どうした』と訊いてくるが、返事ができなかった。
記憶がないと思って接してきたのに。
俺の立てていた前提はそもそも間違っていて、俺はシズちゃんにただただ優しくしていたことになる。
彼がどんな気持ちで、どんなことを思っていたのかなんかわからない。だが一つ、考えられること。
俺を真っ直ぐ見て笑ったあの瞳は、嘘か。
――はあ。と、重いため息をひとつ落とす。
それに対してシズちゃんは何か言おうとしたけれど、その口が言葉を発する前に顔に笑みを作って俺が言葉を発した。
「――ざぁんねん!もう戻ってたの?折角俺が愛してる人間になってくれて、嬉しかったのに!」
「臨、」
「えー?何?言っとくけど化け物の君には興味無いよ。シズちゃんも、よく1年間も大嫌いな俺と暮らしてたね。短気ですぐ物壊す君がさあ!本当は顔見るだけでもイラついただろうに…おかげで騙されちゃった」
ベラベラと喋る俺に、シズちゃんは何か言おうとしたけど俺は聞く気になれなくて背を向けた。
まだ俺は嘘がつける。大丈夫。
「荷物とかは処分しておいてあげるよ。どーせ家には自分のあるでしょ?次に会うときは1年ぶりの殺し合いかあ!死なないようにしないとねー。じゃ!」
いきなり終わったことに泣きそうだなんて、背中だけ見てわかるわけがない。
そのまま帰ろうと歩き出した俺に、シズちゃんがやっと言葉を発する。
「…違うっ!」
言われた言葉に、思わず足を止めてしまった。
振り返って意味を聞きたいが、今自分がどんな顔をしているかわからない。
辛いんじゃない。悲しいんじゃない。悔しいんじゃない。
ただ“記憶があった”という事実に、どうしていいのかわからなくて。
シズちゃんの言葉の意味に、酷く怯えている自分がいた。
「……」
「確かに…テメェの家に行って暫く経った頃に記憶は戻ったけどよ、でも、……イラついたことなんかねぇよ」
その言葉に目を丸くした。
イラついてない?
俺のしたことを覚えていて、大嫌いな俺の顔を毎日見ていたのに?
脳内で思考を働かせるが、実際に口に出すことはしない。できない。
そんな俺にシズちゃんは小さな舌打ちをして、言葉を続けた。
「テメェが、俺がもう邪魔しねぇように記憶喪失のままにしようとしてたことはわかってっけど」
「………」
何を言っているんだろう。
確かにシズちゃんの記憶が戻らなかったら、今後俺の計画を邪魔する奴はいない。…そんなこと今思い出したのに。
「でもそれでよかったんだよ。理由はどうであれ、テメェが俺に優しくしてくれて、一緒にTVとか観れるだけでよかった」
嘘だ。
だってそんなの、まるっきり俺と一緒じゃないか。
「…でも今回、街に行こうって言われてわかった。イラついてんのはお前だろ。大嫌いな俺の世話が嫌になったんだろ。だったら俺は、もう…。
…やっぱ、テメェみたいに上手くは喋れねぇな」
俺が喋らないからか、シズちゃんにしては珍しく長く喋っている。
その言葉は必死に俺に伝えようとしてくれていることがわかったが、言われている言葉は納得できなかった。
――俺がイラついてた?何を勝手なことを。
罪悪感さえなければ、かつてないほど幸せだったのに。
勝手な言い分に言い返そうかと思ったが、シズちゃんの言葉で喋ることができなかった。
「上手く言えねぇから簡潔に言うぞ。
俺はイラついてねぇ。演技も我慢もしてねぇ。…お前が好きだから、一緒にいたかっただけだ」
勝手なこと言うな。と続いた言葉に、頭が真っ白になった。
――は…?
好き、と言ったのか、今。
ありえない。
…と思いつつも、期待して煩くなる心音。
もしも、
もしも彼が本当に俺が好きだとして、
一緒にいたいから、記憶の無いふりをしていたのだとして――
考えて、幸せすぎて泣きそうになった。
ギュゥッと胸が苦しくなる。溜めていた想いが溢れてくるようだった。
(…好きだ。好きだよ。俺も、君が…好きで堪らない)
過去の出来事を含めて、俺を愛してくれているのなら――俺も、伝えていいだろうか。
正真正銘の平和島静雄に、笑顔を向けて貰えるだろうか。
彼が愛している、彼を愛している人の中に、入っていいだろうか。
君を愛してもいいですか
君も間違ってるよ、と呟いて、俺はゆっくり振り返った。
▼あとがき
あれ…ハッピーエンドを所望されたはず…エンドはどこへ…?
いつも尻切れトンボで本当に申し訳ないです。
オチとセルティは一体どこへ行ったんだ…←
「ただの我が儘だけど〜」はサイト開設前に考えた話なのですが、前に考えた物中では気に入っている作品です。
正直続きは考えておらず、この機会で考えられて楽しかったです!
この後、お互いの誤解が解けて、晴れてお付き合いします。何故そこまで書かない。←
無駄に長くなってしまったわりにテンポ悪くてすみません…!
リクエストありがとうございました!!