※静雄記憶喪失ネタ
『静雄は短気だったから、今までのストレスでだと思うんだけど
静雄の 記憶が−−−』
新羅からその連絡を受けた日、池袋から喧嘩人形が消えた。
仕事を終えて、いつもの事務所に帰る。
中で仕事をしていた波江に今日は帰っていいとだけ伝えると、波江は小さく「そう」と答えた。
「じゃあ私は帰るけど…彼待ってるわよ」
「そう」
軽く笑うだけの俺に溜め息をついて帰る波江。
玄関のドアが閉まる音を聞きながら、俺は自分の部屋に入った。
「ただいま、静雄」声を出すと、コーヒーを飲んでいた彼が振り返った。
「お疲れさん。コーヒーでも飲むか?」
「うん、貰おうかな」
頷いた俺に、パタパタとスリッパの音を立てながらコーヒーメーカーのほうへ行く静雄。
それを見ながら、着ていたコートをクローゼットにしまう。
Yシャツの第一ボタンを外しながらソファに座れば、静雄がコーヒーを机に置いて隣に座った。
「ありがとう。…今日は何か思い出した?」
「あ…悪い」
俺の問いに顔を曇らせる静雄。
安心させるように優し微笑んだ。
「大丈夫、ゆっくり思い出そうよ。焦らせちゃってごめんね?」
「……サンキュな」
少し困ったように笑った静雄にニッコリと笑顔を向けながら、リモコンをとってテレビをつけた。
『−−僕の兄がいなくなって、2ヶ月経ちました』
テレビに映った羽島幽平に、少しだけギクッとする。
静雄は何も言わないまま、テレビに流れる会見の様子を見ていた。
『もしも兄さんがこれを見ていたら、連絡をください』
そう言って深く頭を下げた幽君。
会見に来ている報道陣からは拍手が送られ、画面かスタジオに戻ってからもしばらく幽君の話題になっていた。
何か反応を示すだろうか、と横目で静雄を見たら、テレビ画面を見たまま口を開いた。
「コイツ誰だっけ?」
言われた言葉に思わず息を呑んだ。
そうだ、弟の記憶も無くて当然だ。
だけどあの彼の声で、何よりも大事にしていた弟を「誰?」と言われて、少し動揺してしまった。
俺の様子に気付いていないのか、言葉を続ける静雄。
「あ、羽島幽平だっけ?大変だよな。兄貴早く見つかればいいけど」
他人ごとのように、テレビを見ているただの視聴者のように(いや、今は間違いなくただの視聴者なんだけど)羽島幽平の兄の心配をする静雄。
そんな彼を少し見つめて、目を細めた。
「…うん。−−そうだね」
深夜−−新宿の街並みを見下ろしながら、事務所の椅子に座る。
静雄は俺の部屋にいるから、今は俺一人だ。
背もたれに体重を掛けて、ふぅ、と息を吐いた。
『コイツ誰だっけ?』
−−幽に貰った服を!!
「…変なの」
ポツリと呟く。
服に傷を付けるとそう言って怒った彼が、よりにもよって弟を他人扱いだ。
「ブラコンじゃないなんて、別人みたい!」
誰に言うでもなく、一人言葉を発する。
…ああでも彼は今、彼としての記憶を持っていないんだ。
「…そうだ、違う人なんだった。あいつだったら、隣に座ってテレビなんて見れないしねぇ」
自然に、俺にコーヒーを淹れて俺の横に座るなんて、彼じゃありえない。殺し合いになるだろう。
池袋の住民があの光景を見たら、一体なんて言うだろうか。
新羅は?セルティは?ドタチンは?田中トムは?茜ちゃんは?
−−彼を大事に思っていた、彼に大事に思われていた人達が見たら、なんと言うだろうか。
彼はどう思うかな。
やっぱり俺といるよりも、みんなといるほうが嬉しいだろう。記憶も早く戻るかもしれない。
彼が、彼らに向けていた笑顔を思い出す。
「…戻してあげたほうが、いいよね」
ポツリと呟く。
そうに決まってる。
だってシズちゃんは俺が嫌いだ。顔を見れば殺し合いが始まる。
そうしたのは、他でもない俺だけど。
−− 死 ね 。
何度も言われた言葉が頭をよぎる。
優しい笑顔なんて向けられたことが無い。いつも射殺すように睨みつけてきた。
「−−シズ、ちゃん」
久しぶりに口にした愛称に、涙腺が緩んだ。
零れる涙を拭って、それでも流れてきたから、両手で顔を覆った。
−−過去がやり直せるなら、何を捧げてもいい。
過去に手に入れた情報?広げた情報網?それとも積み重ねてきた人間への理解・関心か。
なんでもいい。なんでもやるから、シズちゃんを傷つけた馬鹿な過去をやり直したい。
君を好きになってから、笑顔が見たかったし一緒にいたいと思ってた。
記憶を失ったことをチャンスだと思った俺は、やっぱりシズちゃんには嫌われるだろう。
俺だって、何度手放してあげようと思ったかわからない。
それでもシズちゃんが微笑んでくれる現状を、俺には簡単に壊せなかった。
呼び名も変えた。
黒い服はもう着ない。
バーテン服はもう着せない。
池袋にだって帰さない。
「シズちゃん……ごめんね…っ」
シズちゃんのことが好きだけど、君の幸せは願えない。
ただの我が儘だけど、俺を愛して