※臨也が声を失う話







「――臨也、残念だけど……」


表情を曇らせて俺にそう告げた新羅に、少しだけ眉を寄せた。

その表情を見た新羅が悲痛な顔をしたので、級友の心の重りを取ろうと口を開く。
開いただけで終わったその行動。はくはくと口を動かして、意味がない、と口を閉じた。


俺の声が出なくなった。


理由は自業自得だ。昔嵌めた奴らに襲われて薬を口に流し込まれた。

死んでしまうほどの毒と言うわけではなかったのは幸いだが、その毒のせいで喉が使いものにならなくなってしまった。
新羅の治療を受けたけど、治る見込みもないらしい。

わざとふざけた仕草で肩をすくめて、何でもないかのように見せる。
だが付き合いが長いだけあって、新羅にはそんな演技も通用しないらしく、悲しげな表情を変えることはなかった。


ならばと、座っていたソファから立ち上がる。運び屋が『出ていくのか?』と文字を打ったPDAを見せてきて、頬笑みながら頷いた。

俺はPDAを持っていないので、部屋のパソコンに勝手に文章を打ち込む。


『治る見込みがないなら、いても仕方ないでしょ
 仕事も滞ってるし』
「まだ情報屋を続けるの?」


こんなことがあったのに、と言われて、クスリと笑った。

当然だ、これは俺の行き甲斐なのだから。


『声を失ったくらいでやめないよ
 まともな職業に就けるわけないしね』


それだけ打って玄関へと向かう。
心配してくれているのか玄関までついてきた二人に、バイバイと笑顔で手を振りながらドアを閉めて外に出た。










池袋の街を歩きながら、これからどうしようと考える。
新羅には余裕を見せたが、言葉を使って人を操ったりからかったりしてきた俺にとって、声を失うのは大打撃だ。

ドンッとすれ違った人と肩がぶつかる。
「すみません」と謝られ、反射的に「いえ」と答えようと口を開いて、声が出ないことを思い出して閉じた。
賑やかに騒がしい池袋の街。自分が喋れない分、周りの人間の声が煩わしくてしかたがない。


とりあえず、人に意思を伝える手段を手に入れなければ。

運び屋と同じPDAは駄目だ。あれは彼女の影があるからこそ会話ができるほど速く打てるわけで、俺では慣れるのに時間がかかるだろう。
なら小型のパソコンにしようと決めて、新宿に帰るために駅へと足を向けた。だが



「いぃいざぁあやぁああ!」



…聞き慣れた低音声に、若干うんざりした思いで声のした方向を向いた。


――もう帰ろうと思ってたんだけどなー。


そんな俺の事情なんか関係無くズカズカと近付いてくるシズちゃん。
手に持っている「止まれ」の標識にため息をつきたくなった。お前が止まれ。


「池袋には来んなっつったよなァ?」
「………」


だからぁ、別にシズちゃんとケンカするために来てんじゃないの。
ていうか、俺今日は帰る予定なんだけど、シズちゃんどんだけ間が悪いわけ?


言ってやりたいが、この言葉を自分の声で伝えることはもうできない。
今まで煩わしいと思っていた言い合いも、できないとなると寂しく感じた。

標識を俺目掛けて振りかぶったシズちゃんに、慌ててそれを避ける。
ちゃっとナイフを取り出してシズちゃんに向けるが、そのときに俺はいつもの笑みを作れなかった。


これから俺はずっと無言で、彼は無言の俺に怒鳴りながら殴りかかるのか。


考えたら滑稽で、でも少し寂しくて、笑えなかった。

暫くシズちゃんは俺に攻撃をしてきたが、俺はそれを避けるだけ。

するといつもの嫌味が無いからか、シズちゃんの攻撃が止まった。
少し苛立ちが軽減したらしく、落ち着いて話しかけてくる。


「今日はやけに静かだな」
「……」


言われた言葉に肩を竦めて苦笑した。これからはずっと静かになるよ。

持っていた標識を道の端に置いて、俺にさらに近付いてくる。額にあてられた手に、驚いて目を丸くした。


「……」
「熱はねぇな…あ?なんだよ」


思わず『なに』と口を開くが、声が出るわけでもなく、シズちゃんが怪訝そうに首を傾げた。
説明もできないし、別に、と視線を反らす。


俺の額に当てていた手を離して、今度はそっと喉に触れてきた。ピクリと体が動く。


「…声出ねぇのか。風邪なら大人しく寝てろよ」


風邪じゃなくて、もう一生治んないだって。


思わず眉を寄せると、シズちゃんの手が離れた。
胸ポケット取り出したタバコを口にくわえ、火を付けたシズちゃん。ふう、と一度煙を吐き出すと、また俺に話しかけた。


「萎えた。今日は見逃してやっから帰れよ」


そう言って背を向け、立ち去ろうとするシズちゃんに「待って」と口を開いた。

当然音が発せられることは無く、気付かずに離れていくシズちゃん。


よく考えれば、今までのケンカは、俺がシズちゃんを挑発していたからおきていたわけで、無言の俺を殴るようなことはきっと無い。

今ここでシズちゃんを帰したら、関係が消えてしまう気がした。心底嫌だと思った。


喉に力を入れて、なんとか声をだそうとする。


「――」

「―――」

「―――――」


待って

待ってよ

シズちゃん


音になることの無い言葉を繰り返す。
声も出さずに叫ぶような表情をしている俺に、周囲の人達は怪訝そうな視線を送ってきた。

くそ、と顔をしかめて、足を出してシズちゃんを追いかけた。何人か人とぶつかったが、気にしていられない。


ガシッと腕を掴んだら、シズちゃんが驚いたように振り返った。


「うおっ!まだなんか用かよ!」
「    」
「アァ?」


シズちゃん、と、彼が嫌がっているニックネームを口にしても、意味がわからないと首を傾げられた。


シズちゃん、シズちゃん、シズちゃん


なんども無意味に口にする。
不思議そうな顔をするシズちゃんに、次第に泣きたくなってきた。


なんで聞こえないの。
なんで喋れないの。

俺の声は、言葉は、君の中で最低な意味しか持っていないままなのに。


ああ、くそ――よりにもよって今、気付いてしまった。

言葉を伝えられないのが、相手にされなくなるのが、こんなに辛いことだと。


声が出るときじゃない、
声が出ないことを受け入れたときじゃない、

よりにもよって、なんで今。

きっとずっと前からだったのに。
きっとずっと前から、俺は――


シズちゃんの腕を掴んだまま、シズちゃんの顔を見つめて精一杯叫んだ。




「 君が、好き 」



もう一生言えないけれど



▼あとがき
伝えられないからこそ気付くんですけどね。