シズちゃんが泣いているところなんか、初めて見た。
今までどんな嫌がらせをしても揺らぐことのなかった瞳が、涙で濡れている。

そんな彼を見てから、もう1週間が経とうとしている。


(…避けられてるなあ)


この1週間、仕事の関係で池袋には頻繁に来ているのに、彼に遭遇していない。彼は俺に対する嗅覚が半端じゃないから、きっと意図的に事前に避けているのだろう。
顔を見なければ、少しは耐えられると。…シズちゃんのくせになかなか考えたね。

前のようにわざわざ俺の事務所に来るようなこともないし、本格的に無関係になろうとしているようだ。


ふざけるな、と、池袋の街を歩きながらギリッと奥歯を噛みしめた。


高校からの8年間、ずっと殺し合いをしてきたのに、今更無関係になれると思っているのか。

シズちゃんのことだ、俺の顔を見たら我慢できなくて殴りかかってくるだろう。
期待のような推測を立てて、集めた情報を頼りにシズちゃんを捜す。シズちゃんは今取り立ての仕事中だから、俺を避けることもできないはず。


避けられてたまるか、と歩き続けていたら、前方からシズちゃんと田中トムがこちらに歩いてくるのが見えた。
ほっと安堵する。見つけた。

いつもの笑顔を作ると、シズちゃんは俺を見た瞬間に眉をひそめた。きっと匂いで近くにいることはわかってたんだ。
トムさんも俺に気づいたらしく、まいった、というように額に手を当てた。周りも犬猿の仲の二人が揃ったことに気づいて、避難体制として俺たちから数歩離れた。


誰もが、シズちゃんの怒声と、宙を舞う公共物を予想する。しかし


「………」


シズちゃんの瞳に怒りが浮かぶことは無く、不機嫌そうに眉を寄せているだけだ。
え、と予想外の反応に驚く。

間違いなく俺の顔は見た。俺の顔を見て、俺を折原臨也だと確認したうえで――


彼は、俺の横を通り過ぎた。


信じられなくて一瞬頭が真っ白になったが、金髪が視界から完全に消えたことでハッと我に返る。


「ちょ、え、シズちゃん!?」
「?」


振り返って腕を掴むと、彼の動きが止まる。
俺を振り返ったその顔は、心底不思議そうな顔だった。さっきまでの不機嫌そうな顔ですら、ない。

意味がわからない、と口を開く。


「どうしたの、シズちゃんが俺を見て殴りかからないなんてさあ」
「殴ってほしいのか?」
「そう言うわけじゃないよ。ただシズちゃんがらしくもなく我慢なんてしてるから――」
「我慢なんかしてねぇ」


俺の手を振りほどく彼の表情は、至って穏やかだ。トムさんも周りの人も驚いたように彼を見ているのに、まるでこれが普通とでもいうように。

我慢すらしてないと言われるが、信じられるはずもない。
だってシズちゃん、君は俺をあり得ない程嫌っていただろう。


「テメェの顔を見ても殴る気になんざならねぇ」
「……んで…」
「言っただろ、『もう関わらねぇ』って。お前の過去の所業は水に流してやる。もう正直疲れた。テメェに嵌められるのも、テメェを追いかけるのも、殺意出すのだって面倒だ」


面倒?面倒だって?あのシズちゃんが?
水に流すというのか、俺がやってきたことを。無かったことにするのか。

意味がわからない。

絶句している俺に、シズちゃんがフッと笑った。ただし嬉しそうとかではなく、どこか自嘲しているような、俺を嘲るような、そんな笑顔。


「テメェの前では、テメェの好きな人間になってやるっつってんだ。よかったな、

折原」


(…名字なんて、一度も呼んだことないくせに)


そのまま行ってしまった彼を追うことができず、ただその背中を見つめながらぼんやりそんなことを思った。

しばらく呆然として、呆然としたまま「帰ろう」と呟いた。












――そうか、シズちゃんはもう俺と関わる気は無いのか。
じゃあ俺がこれから何かを企てても、シズちゃんに邪魔されることはないのか。
やったね、超ラッキー!なんの気まぐれか知らないけど、シズちゃんは俺に興味を持ってないんだ。


(…好きの反対は無関心、か)


ありきたりな、よく使われる言葉だ。だけど、間違いなく心理だ。
シズちゃんの中で、俺はもう「嫌い」にすら値しない。

だってあの力が無くなったわけじゃない。情報を集めたら、シズちゃんは一般人にキレて公共物を壊してる。
――情報を写しだしている携帯を握る手に、グッと力がこもった。


シズちゃんの中で俺は、一般人よりも価値が無いのか。















――…シズちゃんの仕事が終わる時間に、シズちゃんの家の前で待ち伏せをした。


「やあ」


笑顔は作らずにそう声をかけたら、帰ってきたシズちゃんは少し驚いたように目を大きくした。だがそれもすぐに普通の顔になる。

「何の用だよ」と呟いた彼に、半ば彼を無視して口を開いて勝手に喋る。


「俺さあ?これでも頑張ったんだよ。シズちゃんに嫌われつづけるように」
「…アァ?」
「だってもうやり直せないところまで来てると思ったし、謝ってやり直そうとする程、俺には度胸が無かったし。だからって手を引いたら、シズちゃんは俺を見なくなるよね」


俺が言っていく言葉に、シズちゃんは困惑の表情を浮かべる。
何が言いたいかわからないんだろう。だから俺は簡潔に告げた。


「シズちゃん、俺はね、君のことが好きだよ」


大きく見開かれるシズちゃんの目。予想通りの反応に、俺はシズちゃんに数歩近付いた。


「気づいた時には俺はもう君に何度も嫌がらせをしていたし、シズちゃんは俺を嫌っていたし。せめてシズちゃんの目に俺しか映らないように、嫌がらせを続けたんだけど――やり過ぎて無関心になるなんて、思わなかったなぁー…」


最後のはもはや独り言だ。
後悔先に立たず。…ああ、これも心理だね。

驚いているせいか反応が無いシズちゃんの頬に触れる。その瞬間にビクリと震えたシズちゃんに、少し悲しくなって苦笑する。


「気持ち悪いよねえ、男が男になんて。だから俺は一生言うつもりなんか無かったし、一生嫌われる覚悟だったんだよ。
 どうやったらまた嫌ってくれるのかな。いっそこのまま強姦でもしようか?でも俺は極力シズちゃんを泣かせたくはないんだよねえ」


泣かれると、流石に胸が苦しくなるから。

そう囁いたら、シズちゃんの瞳が少し揺れた。そして静かにその目から涙が溢れて頬に伝う。
その涙を見て、拒絶を予想していたとはいえ少し傷ついた。


(泣くほど嫌か……当然だよね、嫌いな相手に好きって言われて、嫌ってくれなんて言われたら、脳内でパニックになってもおかしくない)


パニックが収まったら泣きやんでくれるかな、と親指で涙を拭う。
目頭もきゅっと拭ってやって、きつく閉じられた瞼にため息をついた。


「……嫌ってよ」

「…嫌だ」


俺の望みを否定する返答に、眉を寄せた。
昔は嫌ってくれたのに、なぜ。

この時間だとシズちゃんの家の前は誰も通らない。どこからか家族の談笑が小さく聞えている中、俺とシズちゃんは無言で向かい合っていた。


「……俺が」


しばらく経ってシズちゃんが口を開く。
はらはらと涙を流しているだけだったから、前のように嗚咽交じりの声ではなかった。


「俺がお前を嫌っていたら、またお前を殺そうとしなきゃいけねぇだろ」
「そうさせたのは俺でしょ。死なないし、大丈夫」
「大丈夫な保障がどこにあんだよ。死ぬかもしれねぇ。殺しちまうかもしれねぇのに、お前を嫌ってなんかいられない」


この彼の言葉に違和感を感じた。
これではまるで、昔から俺を殺したくなかったみたいだ。

涙にぬれた目のまま俺を見つめてきたシズちゃんに、ドキリと心臓が高鳴った。
月明かりが彼の涙と金髪に反射して、キラキラと光っている。綺麗だと、思った。


「だいたい俺を好きなんて嘘だろ」
「…嘘じゃないよ。それを否定されたら流石に怒るよ」
「嘘だろ。だって、同性愛者ってのはそうそういるもんじゃねぇ。…だから、成就するなんて、あり得ない確率だろ」
「嘘じゃないよ。それに俺は同性愛者な訳じゃない。普通に女の子相手でも勃つし、男で好きなのはシズちゃんだ、け――…え?」


普通に流そうとしてしまって、言葉を中断してシズちゃんの顔を見る。
多分俺の顔は驚いたものになっていると思うが、俺がシズちゃんを見つめたら、シズちゃんの顔が真っ赤になった。
まるで照れているような表情に、まさか、と震える口を開いた。


「…成就って…?」
「……ッ!…嘘なんだろ、俺がお前のこと好きだって気づいて、利用するためにこんなこと言うん、だろッ」

「……シズちゃん、俺のこと好きなの…?」


酷く間抜けな顔のままで尋ねたら、真っ赤だったシズちゃんの顔が更に赤くなった。
両腕で顔を隠したシズちゃんに俺は確信して、じわりじわりと俺の胸に喜びが広がった。
自然に緩み、熱を帯びる頬。

膝を抱えるように顔を隠してしゃがみこんだシズちゃんを、勢いのまま抱きしめた。


「シズちゃん大好き」


愛おしい気持ちを一杯に詰めてささやけば、耳まで赤くなっているのが見える。
ぎゅうっと俺の服を握りしめたシズちゃんは、確認するようにまた同じことをいう。


「…あり得ないだろ、確率として」
「あは。俺は無神論者だけど…ねえシズちゃんそのあり得ない確率を」



運命って呼ぶんだよ。


Please call my name.

さあ早く、いつものように俺の名前を呼んで。










▼あとがき
夜のテンションはダメだってあれほど言ったのにーーーー!!!
BL界ではハーレムとか総受けとか多いけど(いや大好きだけど)、実際同性愛者って少ないよね、ってことで。

タイトルあんま関係ないっていうね。