この世の中に、同性愛者はいったい何人いるだろう。数え切れないほどだろうが、全人類の数に比べたらちっぽけだろう。
異性愛者よりも同性愛者のほうが稀なわけだから、想いが成就するなんてのは絶望的なほどさらに稀だ。








視線の先に臨也の姿。
――池袋には来んなっつったのによォ。

少し眉を寄せるが、幸い横を歩くトムさんは臨也に気付いていない。それをいいことに、本来“しなければいけない”暴力を、俺はやらなかった。

視線を逸らして、変わらぬ足取りでトムさんの横を歩く。わざと臨也のほうは見ないように。
少し移動してから視線を戻してみたら、もう臨也はいない。人知れずホッと胸を撫で下ろした。

――俺は臨也が好きだ。


このことは誰にも言っていない。弟にも上司にも友人にも親友にも…ましてや本人になんて、言うわけがない。これからも一生言うつもりは無い。

言ってどうなる。知り合いの奴らは全員いい奴だから、応援してくれるだろう。
だが肝心の想い人はどうだ。無理だろ。
俺のことを嫌っているし、そもそも人類愛を叫ぶような奴だから、化け物な俺では駄目だ。


化け物で同性愛者で――…どこまで異端なんだろうな。


内心で自嘲しながら笑ったが、それを表に出すようなことはしない。高校からずっと隠してきたのに、今更そんなヘマをするわけもない。













――仕事が終わって、もう暗くなった道を歩いていく。
この俺が不審者の心配をするわけがないが、しかし夜特有の雰囲気に不気味さを感じていた。

そして暗闇に紛れて、前方から全身黒ずくめのアイツが来るのに気付いた。この暗闇でもわかるなんて、好きすぎる自分にバカみたいだと思った。

シャツが白いからか臨也は俺に気付いていたらしく、表情が見える位置にきたら、いつもの笑みを浮かべていた。
顔が見えて、ようやく俺は“いつもの演技”をした。


「臨也…テメェ池袋になんの用だ…!」


ギリッと奥歯を噛み締めて睨み付ければ、臨也は「まいったなあ」と肩をすくめる。


「もう帰ろうと思ってたのに、最後の最後でシズちゃんに出くわすなんてさあ」


まいったのはこっちだ畜生。今日は臨也を殴らなくてすむと思ったのによォ…。

殴りたくない、なんて心境は悟られてはいけないから、殺気を飛ばし続ける。
臨也は気付いていないらしく、俺にナイフを向けてきた。仕方なく近くにあった標識を手に取る。

引き抜いた標識を臨也に対して降り下ろすが、臨也は楽々それを避けた。


――これから、“わざと見失う”まで追いかけなきゃいけねぇのか…。

面倒だし、臨也に暴力を振るいたくもない。だがここでいつも通りに振る舞わなければ、臨也はきっと俺なんなには目もくれなくなる。
せめて、無関係にはなりたくない。


だけど、だけど、だけど――好きな奴に、これ以上嫌われて、俺は何がしたいんだ。


「あはは!標識振り回すなんて――」


いつものノリか、臨也が俺に嫌な笑みを向ける。
それに「やばい」と感じた。だって、今、ちょっと後悔してたところだったのに――今、その言葉を聞いたら。



「本当に化け物だよねぇ!…だから俺は君が嫌いだよ」



言うな、と思っていた言葉を言われて、思わず体の動きが止まった。止めてしまった。

臨也はいきなり動きを止めた俺に怪訝そうな顔を向けるが、その表情は次第に驚いたときのそれに変わっていった。
その顔を見てやっと、自分の頬に伝う涙に気付く。


「…!」
「シズ、ちゃん?…いきなりなんで泣くわけ?」


やばい、と標識から手を離して腕で涙を拭う。
臨也の声は、最初戸惑っていたようだが、すぐにいつもの声色に戻っていった。
理解できない、というように肩をすくめた臨也に、更に涙が溢れた。


所詮は天敵だ。
泣こうが喚こうが、臨也は自分に同情も心配もしない。


ついに嗚咽まで混ざってきて、臨也が不愉快だと言わんばかりに眉を寄せた。


「意味わかんないんだけど。ああ、もしかして化け物って言われて悲しかったのかな?今更、何を人間らしいこと言ってんだか」


今日のシズちゃん、つまんない。
そう言って背を向ける臨也。その背がまた暗闇に戻る前に、声をだした。


「…も、…っ俺に、近付くな…っ!」

「…はあ?」


顔だけ振り返ってきた臨也に、涙でぐしゃぐしゃな顔のまま精一杯声を発する。嗚咽が混じるのも構わなかった。

もう嫌われたくない。嫌っていたくない。


「俺、も…もう、近づかねぇ…か、ら」
「…無理でしょ。シズちゃん短気だもん」
「……じゃあな」


決して無理ではないことを、臨也には伝えずにその場を後にした。


無理なわけがない。元々短気な演技をしていただけなのだから。
代わりに諦めてしまわなければいけない。


「…臨也……」


これが最後だという覚悟で、俺はポツリと名前を呟いた。
暗闇の中に溶けた声。返事があるわけでもない。


Call your name.

こんなに愛しいのに、俺はどうやって諦める気だ。