ブラウンの毛足の長いラグに、胡座をかいて座ってる後ろ姿が見える。その背中はいつもより少しだけ丸まっていて、白い首筋が襟足から覗いている。


 ぽろりぽろりとこぼれ落ちるような、爪弾くギターの音色が耳に心地いい。意地を張ってギターに触れまいとしていたあの頃とも、ぎこちなく歩み寄るように触れ始めたあの頃とも違う顔で、直央の傍で弾くギターの音は、その顔つきと同じようにただただ優しい。
 その優しい音がお皿を洗う音に紛れてしまうのが惜しくて、極力音を立てないようにゆっくりと洗う。泡を洗い流して、水切りに乗せる。その動作のひとつひとつを、いつにも増して優しく丁寧に行う。
 直央が産まれてから、こういう場面が多くなった。お互いに忙しい時間が増えていく中で、もっともっとユゥくんのことを愛おしく思うようになった。相手の些細な動作も、音も、何もかもを余すことなく受け取りたいと思う。そのためにずいぶんといろいろな動作が、心が優しくなった。まるで子供を扱うみたいに。

 少し高めの歌声が、ギターの音と溶け合うようにして耳に届く。それは決して不愉快な高さじゃ無くて、わたしの耳によく馴染んだ大好きなユゥくんの声だった。でもその声色は、いつもの気持ちをぶつけるような熱量ではなくて、はちみつを溶かしたみたいに甘くて、ちょっとだけ直央をずるいと思う。こんなんじゃ、ママ失格だな。
 お皿洗いもそこそこに、指先から滴る水滴を拭ってダイニングへと足を運ぶ。洗い上がったお皿を拭くのは、今じゃなくてもいいよね? スリッパの音は極力立てないようにして、きっと直央はもう寝ているから。ラグの中央、愛おしいその背中に、寄りかかるようにそっと腰を落とす。触れた背中からじんわりと伝わる、体温がひどく心地良い。

「何、なまえ?」
「んー……、羨ましいなって」
「なにそれ」
「だって、わたしの方が……」


 ずっと好きなのに。子供にヤキモチ焼くなんて馬鹿げてる。頭ではわかってても、でも、だって。


「……馬鹿じゃないの」

 呆れたような声と一緒に、その声色とは裏腹な唇が落ちてくる。いつの間にか縫い止めるように重ねられた指先は、タコが出来て固くなっていたけど、昔と変わらず熱かった。わたしを見つめるその目の温度も、何もかも昔と変わらないままだって言うのに。ああ、やっぱり馬鹿だったなあ、わたし。

「馬鹿なのかも」
「は?」
「ユゥくん馬鹿、だもん」

 何を言っているんだか。昔と変わらないままに、立派なパパに変わってくれたユゥくんに、胸の奥がじんわり熱くなってなんだかふわふわした気分になる。だから、変なことを口走っても、そこは大目に見てほしい。
 少し恥ずかしくなって下げた目線に、ぐっすりと眠る直央が映る。大切な、わたしの宝物。湿度が高いと言うことを聞かない髪の毛はユゥくんにそっくりで、見たことはないユゥくんの子供時代に思いを馳せる。握られた指先に少しだけ力が入ったのを感じる。不思議に思って顔を上げると、何とも言えない顔をして、こっちを見ているユゥくんがいた。

「それを言うなら、オレはなまえ馬鹿なわけ?」
「……そうなの?」
「言わせんなよ」

 照れたような様子のユゥくんに思わず笑みを溢すと、気にくわなかったのかいつもの意地悪な顔になって、わたしの頬をぎゅっとつまんだ。口から出た「痛いよ」は、なんだか上手く思っていた音にならなくて、それを聞いて、二人顔を見合わせて笑った。さっきまでぐっすり眠っていた直央が、すごしぐずるように声を上げた。笑うのを我慢して唇にそっと指先を当てると、同じポーズをしているユゥくんと目が合った。


 ああ、もうどうしようもなく愛おしい。この二人でじゃれつくような昔から変わらない時間も、直央を見つめる父親としての顔つきも。変わらないものと、変わっていくもの。全部全部、取りこぼすことなく受け止めたい、感じたい。知ってるでしょう? わたし、すごく我が儘だもの。


(だから)



:)20170125


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