オレが産まれた時、両親はどんな気持ちだったんだろう。喜んだ? 動揺した? それとも――


 今のオレみたいに、怖くなった?


 「今、三ヶ月だって」と言われた時、嬉しさ半分、怖さ半分だった。イヤ、正直言うとちょっとだけ怖さが勝っていたカモ、しれない。そっか、予定日いつだって? 次いつ病院行くの? と平静を装って尋ねている自分に心底驚いた。ヤることヤってたんだからデキるに決まってんじゃんと言うオレと、そりゃそうだけど心の準備ってモンがあるじゃんと言うオレ。頭の中はこんなにもごちゃごちゃなのに、よく冷静な態度でいられるもんだ。オレの問いかけに、少しだけ安心したように笑うなまえをよそに、オレの心にはふと影が落ちた。


 ウチの親みたいになったら、どうしよう。


 この左手に指輪が光るようになって、もうすぐ一年が経とうとしている。結婚すると決めたとき、両親に相談はしなかった。この子と結婚するから、となまえを紹介しただけだった。それに対して特に何か――別段文句や指図などを言うでもなく「そう、よかった」と微笑んだお袋に、なんだか拍子抜けしたのをよく覚えている。「ウチは忙しくてどちらも家を空けがちだけど、何か困ったことがあれば言ってね?」となまえに話しかけるお袋を、何か違う生き物を見るような目で見ていたんだと、思う。


 少なくとも、オレを一度アイドルにしたお袋とは、違うように見えた。


 今までオレの行動には、必ず親の監視がついて回った。実際に見張られていたワケじゃない、誰かが報告していたワケじゃない。それでも常日頃からイヤでも耳に入って来る親の話題と、知らない人間がオレを知っているという感覚に、頭がおかしくなりそうだった。オレの一挙手一投足が誰かに見られていて、噂になって親の耳に入るのだ。親の評判を落とさないように、あの人たちの子供に相応しいように。ずっとそうやって生きてきた。そしてそうやって生きていくには、親の言うがままにするのが一番ラクだと思っていたんだ。




「……ただいま」
「あら? どうしたの」
「……いたの。ちょっと荷物取りに来ただけ」

 たまたま用事があって実家に寄ったら、居るはずがないと思っていたお袋がいた。家の中でも相変わらず小綺麗にしていて、なんだか落ち着かないのはいつものことだ。あのバカに貸したジャケットを、無断で部屋に入って引っ張りだす。返す返すと言いながら先延ばしにするのはアイツの悪い癖だ、なんて思いながら散らかった部屋を後にする。階段を降りると、リビングからオレを呼ぶ声が、扉に遮られながらも聞こえてきた。仕方なく扉を開けると、光がよく入るリビングに、少しだけ目がチラついた。

「……なに」
「頂き物のフルーツ、ダメになっちゃいそうだから食べて行ってよ」
「袋入れてくれればそれくらい持って帰るし……」
「ダメよ!そんな傷みかけのなまえちゃんに食べさせられないわ。綺麗なやつは包んであるからそれを持って帰って」

 俺ならいいのか、と思わなくもないけれど、いつまでも子供みたいに駄々をこねているのも格好悪い。観念して言われるがままに食卓に着く。慣れ親しんでいるはずの食卓を、家族全員で囲んだ記憶はあまり無い。どちらか片方が居れば良い方だった。大抵の記憶は弟と二人で食べた夕飯のものだった。それが今、あのお袋と向い合うようにして座っていることが可笑しかった。真っ白な器に盛られた少し不格好なフルーツをオレの前に持ってくると、お袋は当然のようにオレの向かいに座った。いや、当然なのは間違いない。それを勝手にややこしくしているのはオレ自身だ。考えながらフォークでブスリと刺した。

「ねぇ」
「なあに」
「……」

 今、言うべきなのかも、オレから言うべきなのかもよくわからなかった。でも、このどうしようもないモヤモヤを晴らすには、オレから言うべきなんじゃないかとも思った。確信はなかった。この言いようもない気持ちが、どうなるのかもわからなかったけど、なにかがわかるかもしれないと思った。

「子供、出来た」
「……へっ?」
「三ヶ月だって」

 少し驚いたように目を見開いたお袋は、暫くの間オレの言ったことを咀嚼するみたいに反芻しているようだった。少し考えるようにしてからこちらへと向き直り、あのとき――結婚すると伝えたときのように、目を細めて微笑んだ。その目元に細かくだけど、確かに刻まれた皺に、ああお互いに年を取ったな、なんて思った。

「貴方も父親になるような年齢になったのねぇ……」
「あの、さ」
「何かあったら言いなさいよ?ああ、何もなくても……」
「そうじゃなくて」

 よく見ると本当に年を取った。そりゃあそうだ、かつての人気アイドルも今や成人した二人の息子を持つ大女優サマになったんだ。それだけの年月が経ったのだ。今なら、今だから訊けることがある。

「ねえ、オレがさ……」
「うん?」
「その、オレを妊娠してるってわかったとき、どんな気持ちだった?」
「そうねぇ……。」


 考え込むだろうか。言葉を濁すだろうか。


「嬉しかったし、待ち遠しかった。でも……」
「でも?」
「少し、少しね。怖かった」


 決して目を逸らすことなく、お袋は言った。


「ちゃんと、親になれるかなって怖かった。わたし、長いこと芸能界にいたでしょう、小さな頃から。だから常識なんて本当になかったし、周りがなーんでも全部やってくれるの。でもねぇ、産まれてくる赤ちゃんの母親になれるのは、わたししかいないの。だーれも代わりになんてなれない」


 だから、と続ける。困ったように眉を下げながら、少し遠い目をして昔を懐かしむかのようだった。小さい頃によく見た、アイドルでも女優でもない、お袋の「母親」の顔だった。

「だから、怖かった。でも、きっとね、みんなそうなのよ」
「……え?」
「みーんな、嬉しくて、待ち遠しくて、たぶんちょっとだけ怖いのよ」


 お父さんなんて本当にオロオロしちゃってねぇ、と続けるお袋の声はあまり耳に入ってこなかった。本当はわかってた。何に対しても無気力だったオレに、お袋は居場所を与えたかっただけなんだって。そして、オレがそれを間違った形で受け取ってしまっただけだ。言いなりにしたかったんじゃない、あの場所でオレなりのやり方を、輝き方を見つけて欲しかっただけだって、今なら言える。
 初めてフレマのライブを見に行ったとき、ありきたりな表現だけど雷に撃たれたみたいな衝撃を受けた。本当にオレがやりたいことは、オレ自身を、オレの言葉で表現することだって。誰かに割り当てられた役割じゃなく、オレ自身のそのままで伝えたいことがあるって、気が付いた。自分の言葉で、歌いたい。今となってはおかしな話だ、あれだけ親の敷いたレールを走らされるのがイヤだと言っていた癖に、結局親と同じ音楽の道に進んだ。


 ああ、なんだ。一緒なんだ。オレも、お袋も、きっと親父も。みんなちょっとずつ不器用で、たぶんちょっとずつ怖がりなんだ。どう足掻いたって、オレはこの人達の子供なんだ。時間がかかっても、少しずつしか進めなくても、焦る必要はない。

「……とりあえず」
「ん?」
「親父ほど慌てないようには、頑張るよ」
「……そうね」


 すぐになまえに会いに帰ろう。身体のことが落ち着いたら、二人揃って、家族みんなに報告をしよう。今日みたいにじゃなくて、ちゃんと出来るように。次の検診には必ずついていって、スケジュールのことは、まあパンダさんのことだからギリギリになって色々予定を詰め込まれるカモだけど、なるべく強気に出られるように、今ある仕事をしっかりこなそう。ああ、今なら、今ならば、きっとこう言えるはずだ。


 嬉しさ半分、怖さ半分、だけど嬉しさがちょっと勝ってるって。









「オレ、頑張るから、ちゃんと父親になれるように。だから、……一緒に頑張ってくれる?」
「……ユゥくんは、いつも頑張ってくれてるよ? 一年前にさ、約束したよね」


 そう言うなまえの顔は、もう既にオレの知っているなまえの顔とは少し違っていた。確かにオレより小さな身体をしているのに、なんでかなあ、力強いんだ。ああ、これが母親の顔なんだ、と昼間に会ったお袋を思い出していた。


「……嬉しいと、楽しいと、愛してるは二倍にして、つらいと、さみしいと、悲しいは半分こにしようって。……ユゥくんの今までの『つらい』ってきっと、いっぱいあったよね? わたしが全部、わかってあげられないくらいに。だから、これからの『つらい』は、わたしに全部くれてもいいよ?」
「……馬鹿、なまえだけがつらいのは、イヤだよ」
「じゃあそのつらい、半分こ、しよ?」


 泣かないで、とオレの瞼にゆっくりと唇を落とす。小さな唇がそっと、目元に残った涙を吸い上げた。本当に、馬鹿だ。


「これは、嬉しいの涙だよ」



:)20161107


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