玄関を出てすぐ、濃く香る草花の匂いに包まれた。名前はわからない、でも力強い匂いだった。日中に焦がされたアスファルトからは、仄かに夏が見え隠れした気がした。でもその香りを運んでくる風は、まだ少しだけ春の名残を孕んでいて、わたしの少しだけ日に焼けた火照った頬を優しく撫でた。半歩先を歩く少し姿勢の悪い背中は、鬱陶しそうに襟足が伸びて隠された後ろ首を緩慢な動作で掻いた。

 髪、伸びたなあ。

 ぽつり、ぽつりと少し遠すぎるくらいの間隔で建っている街灯は心許ない灯りを道なりに落とす。わたしの家から駅まで、歩いて八分。いつもよりも少しゆっくりと、いつもよりも少し狭い歩幅で歩く。まだ夏には早いと言っても、まとわりつくような空気に汗をかきたくない。横目でそっと見た、スポーツをしているとは思えないくらい細い、いつもは大股で歩く脚が、こういうときはどうしてだか大人しい。

 ああ、なんだか、好きだな。

 また風が頬を撫でた。少し遅れるようにわたしの髪もそっとなびいて、暫くすると背中をくすぐるようにして元の位置へと収まった。新緑を湛えた木の葉がさらさらと音を立てる。虫の飛ぶ音がした。

 なんだ、わたしも一緒じゃないか。

 初めて出会った高二の今頃は、まだお互いに髪が短かった。少しは女らしくしろと言われて、形から入るみたいに髪を伸ばした。似合わねェことしてんな、と言われて、鏡の前で一人泣いた。いつだって馬鹿正直に、一挙一動に振りまわされていた。

 それでも、こんなに髪が伸びるくらい、一緒にいる。

 駅前の自販機はぼんやりとした灯りを放って、その四角い青い輪郭を曖昧にしていた。一番上の段、左から三番目。ほっそりとしているけれど、グローブ焼けの跡が残る、節くれ立った指が白っぽく濁ったボタンを力強く押した。電子音の後に足元でする小さな衝撃音。面倒臭そうに長い身体を折り曲げ、ボトルを取ったその猫背がなんだかやけに愛おしかった。

「あのね、駅前の自販機にしかないって言ったけど、本当はね」
「ンだよ」
「うちの近くのコインランドリーにもあるんだよ」

 少しでも長く散歩をしたかったわたしの、イタズラ。小さく舌打ちする音が聞こえる。襟足あたりをガシガシと掻く癖は、昔から変わらない。

「あちィんだから無駄に歩かせんな、バァカ」

 暑いと言いながらも絶対に離してくれない左手を、確かに握り締めたくて身じろぐと、離すかと言わんばかりの、今まで以上の力で握り返された。まだこの優しい体温を手放したくなくて、近くに感じたくて、我が儘なわたしを許してほしかった。




(帰りは行きよりもずっとゆっくりだった。そういうところがわたしをもっと我が儘にさせるのに。)



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