簡単なこと。浮かれきった空気の中で平常心であるフリをすること。簡単なこと。なんでもないように友達とおしゃべりをして、プレゼントを交換し合うこと。簡単なこと。チョコレートでいっぱいになった彼の少し大きめの紙袋に、自分のチョコレートを滑り込ませること。


 考えてはやめ、鞄に手を伸ばしてはやめ。何度同じことを繰り返しただろうか。お世辞にも綺麗とは言い難い包みに触れる度、指先にはぽっと火が灯り、でもその度に脳からの厳しい指令でサッと氷のように冷たくなりもした。


 つまりは頭の中がごっちゃになっていた。平常心ぶった顔の下では本当のわたしの顔は青くなったり赤くなったりを繰り返した。朝はあまりにもチョコレートの量が少なかったからバレかねないと避け、昼休みは人だかりを交わすことができないと避け、気が付けば五限の授業が始まる直前。これが終わればもう、ホームルームを終えて帰宅するだけとなってしまった。もちろん彼には部活があるから帰宅してしまう訳ではないが、わたしにとっての蜘蛛の糸である机の横に掛けられた紙袋は、きっと彼と共に部室へと行ってしまう。そうしたらわたしにはもう手渡しという手段しか残されていないが、これだけ臆病な自分に手渡しなどという芸当が出来るはずもない。きっと涙を飲んで帰宅するだけになるだろう。


 だからこれが、最後のチャンスなのだ。


 こっそりと机の下で手を握った、冷や汗でいっぱいの手のひらはいやにぬめった。移動教室の前、友達のわたしを呼ぶ声がしたけれど、戸締まりの確認をするから、なんて委員長らしい発言でこじつけて友達を先に行かせた。教室にはわたし一人きりになって、戸締まりの確認をする風に、そっと窓際の彼の席へと近づいた。一人きりだというのに、包みはセーターの下に隠すように持った。情けなくて少し笑った。


 そっと、気付かれないように。簡単なことよ。そっと紙袋の中へ。本当に簡単なこと。


 バクバクと心臓が煩い。シンと静まりかえった教室では、やけに耳について離れない。指先は小刻みに震えるほど冷たいのに、顔は馬鹿みたいに赤く火照った。こんなにも臆病なわたしを、誰が見てくれると言うのだろうか。情けなくって、涙が出そうだった。





 そっと紙袋に滑り込ませた瞬間、あんなにも遠かった廊下の喧噪が驚くくらい近くなった。ほんの一瞬の出来事が何十年にも感じるくらい、わたしの神経は一点に集中していた。無意識に止めていた息をフッと、それでも控えめに漏らし、時計を見上げれば時間はもう五限が始まるまでいくらもなかった。


「やば……」


 ギュッと床と擦れて鳴った上靴が、わたしを我に返らせる。慌てて五限の準備をまとめようと自分の机に近づこうとした瞬間、扉の向こうが動いた気がした。扉の端から見える黒い髪には見覚えがあった、ありすぎる、と言っても過言ではないくらいに。


「あれ、どしたの?」
「!……え、っと。戸締まり、見てて」
「なーんだ、」


 そう言って笑って近づいてくる、真っ直ぐな目をこんなに近くから見たことは一度だってなかった。少しずつ距離が縮まるけれど、わたしの脚は一向に動かなかった、いや、動けなかった。いつだってそっと目で追ってきた存在が、わたしの目の前にいるのだから。



「ちょっと期待してたのに」
「なに、を……?」


 彼の発した言葉の意味を掴みかねて、疑問をぶつける。俯きがちになって、目は見られないままに。一言告げるだけでもこんなに時間がかかる。またとないチャンスにこんなにあがっている自分が情けなかった。それにしても、授業までの時間はもういくらもない。それなのに彼の発した言葉の意味の方が気になって仕方なかった。


「んー?俺にはないのかな、って」
「……?」
「チョコ、くれたんじゃないの?」
「……!」


 バッと顔を上げると、自分の思っていたより近づいていた彼の意外と茶色っぽい目に吸い込まれた。ああ、これではそうですと肯定したも同然だ。そう覚るととたんに顔まで血が上ったのがわかった。そこからはもう、なにが起こったのかよくわからない、ただ少し意地悪く笑う彼しか。


「くれたらいいなって、見てたから」



 本鈴はもう、聞こえなかった。



20130214



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