トン、と規則的に音を立てて野菜達は一口には少し大きいくらいに切られていく。ぶつ切りにした鶏肉、乱切りにされた人参、椎茸、タケノコ、色とりどりの野菜達。桶の中では灰汁抜きをしているゴボウが泳いでいて、味が染みるようにと手でちぎられたコンニャクも並ぶ。ほんの少しの廊下の先、薄い扉の向こうからはただひたすらにテレビの音だけが聞こえてくる。集中してテレビを見ているのか、はたまた寝てしまっているのか。こちらからは様子を伺いかねるけれど、気にせず夕飯の支度を進めた。いつものことだ、週末になると勝手に人の家に来て我が物顔で居座っていく。下ごしらえを終えて鍋を取り出し、調味料の準備をする。砂糖と塩、みりんに酒、そして醤油。目印のような赤いふたをつまみ上げると、いつものような重量感はなく、拍子抜けしてしまうくらいの軽さ。


「……あちゃー、」


 醤油を切らしている。ボトルの底を見てみると、薄く張った赤褐色の液体が見える。脇に置かれた醤油差しの分を足しても、到底必要な量にはならなかった。第一にこんないくらも入っていないような醤油を元に戻したのは誰よ、と悪態を吐く。この部屋のこのキッチンを使うような人間なんてわたし以外にそうそういないというのに、なんでこういうタイミングの悪いときに料理なんてしたんだろうかと扉の向こうを睨み付ける。なくなったらなくなったで言ってくれればいいのに。それともこのお情け程度に残った醤油でどうにかなるとでも思ったのだろうか。仕方なくわたしは扉を開けて、ラグの上で至極楽な姿勢を取ってテレビを見ている亮に向かって声をかけた。


「ねえ、」
「んだよ」
「お醤油切れてるなら言ってよ」
「あー、そうだったか?」


 振り向くことのない頭に向かって重たくため息を吐くと、亮はちらりと窺い見るようにこちらを振り向いた。それでも意識はテレビの中の試合に集中していて、らしいっちゃらしいけれど、なんだか少し悲しくなった。


「今から買いに行くから夕ご飯遅くなっちゃうけどいい?」
「何?醤油なしじゃ作れねえの?」
「煮物作るつもりだったんだもん。もう野菜切っちゃったし」


 どうしてこういう言い方しか出来ないんだろう。またため息を吐きかけると、さっきまでテレビに向かっていた亮はリモコンを操作していた。どうやら試合は録画していたもののようで(それもいつ勝手に我が家のレコーダーに録画したのか、という話なんだけれども)、それを一時停止にしてからテレビの電源を切った。立ち上がり、テーブルに置いていた携帯と財布をポケットに入れると、さも当たり前のように玄関へと向かう。そうして少し面倒くさそうな顔をしながらも、ほら、と差し出された手を握ってしまう、わたしもわたしだと思った。亮には全てわかってしまう。本当は文句を言うために話しかけた訳じゃないと言うこと。本当は一緒に買いに行きたいと思っていることも。



 玄関を開けると、濃縮されたようなむわりとした空気がわたしたちを包んだ。濃い夏の匂いがした。連日熱帯夜だった気温も、今ではいくらか落ち着いてきて、それに比例するかのように蝉はジワジワと鳴くことを止め始めた。なんとなく高く感じる空の下を、惰性で手を繋いで歩く。わたしの住む安いアパートから、一番近いコンビニだって歩いて10分近くかかった。亮の背中を見る、そうして視線を少しずつ落とす。繋いだ手はじっとりと汗ばんでいたけれど、何故だか不快ではなかった。


「んでこんなコンビニ遠いんだよ」
「だってしょうがないじゃない!コンビニとか近いと家賃高いんだもん!」


 それにそもそも買い物は仕事の帰りにまとめてするから、よほどのことがない限りコンビニなんて使いやしないのだ。仕事帰り、駅方向から歩いてくる道なりにスーパーはあるし、そこなら割となんでも揃ってしまうから、いつもはそこで買い物をする(いつもは!ね)。


「つか部屋も狭いし、いいことねえなあの部屋」
「人の家になに文句言ってるのかな?」
「壁も薄いし」
「関係ないでしょ」
「お前の声絶対隣に聞こえてっから、声でかいし」
「ちょっと!」


 冗談もほどほどにして欲しい。制止の声を挟むと、頭の上からくつくつ笑う声が聞こえた。どうしてこう、デリカシーというものがないんだろうか、それとも端から期待する方が間違っているのか。


「なあ引っ越さねえの?」
「はあ?そんなお金ないよ!今だって結構カツカツなのに」
「もっと広くてコンビニ近い方がいいだろ」
「ねえ聞いてる?」
「コンロ二口がいいっつってたろ」
「それは……そうだけど」


 そこまで言うと亮はぴたりと歩を止めた。急に止まるからわたしはびっくりして、亮の右のかかとを左足で蹴ってしまった。もう、何?と声をかけようとすると、追撃のように言葉が降ってきた。


「俺、リビングとキッチンに扉あんの嫌いなんだわ」
「は……」
「ここまで言ってもわかんねえのかよ」


 何言って、まさか、そんな。


「一緒に住みゃいいだろ」
「ほんと、に?」
「嘘言ってどうすんだよ」


 繋いだ手が熱い。さっきまでとは違った熱さで包まれる。ぴくり、と指先を動かしただけで、今以上の力で、でも壊れ物を扱うように指を深く組まれた。こんなちょっとした動きにだって、わたしはどうしようもなく泣きそうになる。


「お前は金とかそんなん気にしねーで俺についてくりゃいいんだよ」
「何それっ……」


 こんな道端で、真っ赤な顔をして泣いているわたしがバカみたいに感じるくらい。亮はさも当たり前のことを言うかのように言い放った。そっと熱い手を握り返して返事の代わりに、明日は早く起きてね、とだけ伝えた。だって物件見に行かなくちゃ。






20120911



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