夏の移籍市場で、結人がドイツへ渡ってからもうすぐで3年になる。今年の夏もまた、例年通りに大物選手の移籍騒動で持ち切りになるのだろうけれど、今の日本で一番関心が寄せられているのは、2014年ブラジルW杯出場へ向けてのアジア予選だった。今年の頭に行われたアジア杯を見事優勝し、日本中の心を掴んだ代表たちの次なる目標はW杯出場だ。



 8月の上旬に行われたキリンチャレンジカップでは、永遠のライバル・韓国を3−0で破った。代表のキーマンであった選手が代表を引退したことや、ベストメンバーではなかったことなんて、世間はそんなことお構いなしではやし立てる。選手はそのギャップに、戸惑いを感じたりもするみたいだけど。





 Jリーグはこれから折り返し地点だけれど、海外組のほとんどは8月中、全部が全部ではないがオフになる。ドイツももちろんその1つで、だから結人は試合が終わった今でも日本に残っている。


 ほの暗いくらいの照明が丁度良い。オレンジの光がぼんやりとテーブルを照らして、足元に影を落とした。個室のある少し落ち着いた雰囲気のバーは、結人が指定してきた。3年前には大衆居酒屋がよく似合ったハニーブラウンは、ドイツに渡ってしばらくすると落ち着きのあるダークブラウンに変わっていた。


 3年間で、わたしの知らない結人がたくさん増えたように感じる。昔はふて腐れたかのように怒るか、感情を抑えつけて笑う、そんな場面ばかりが目に付いたけれど、テレビの向こう、ドイツでの結人は、試合に負けたときには感情をあらわにして意見をぶつけ合ったり、ベンチスタートで試合に出られないときも、ベンチから虎視眈々と試合を見続け、何が足りないのか、監督の求めるものは何なのかを必死に酌み取ろうとしていたように思えた。



―カラン、



「結人、」
「ごめん、遅れた。待った?」
「ううん。さっき来たばっかりだし、ここなんか雰囲気いいね」
「そ?ここさー椎名が教えてくれて」
「椎名さん?珍しいね。結人うるさいから相手にされてないと思ってた」
「なまえちゃん俺のこと馬鹿にしてない?」


 それでもこうして会って話すといくらか安心する。わたしと会って話をするときにはいつもと変わらない。どれだけ日に焼けても逞しくなっても、この取っつきやすい笑顔だけは変わらなかった。



「何飲む?」
「あ、わたし先に頼んじゃった、ごめん」
「んーん、いーよ。俺どうしよっかなー。やっぱりここは生かなー」
「いいの?」
「だって一応オフシーズンだし」



 それでも、こういう会話をすればするほど、自分とは違う世界を生きているんだなあ、と感じずにはいられない。好きなときに好きなことをして、好きなものを食べて、そんな当たり前のことだって、気にして生きなければならない(mustではないけれど、一流の選手としてやっていくためには必要なことだ)。そんな結人と自分の間は、3年間という時間以上に開いているんだと思う。


 お酒と軽い料理が運ばれてきて、2人でささやかに乾杯をする。結人は何の乾杯かと笑ったけど、とりあえず韓国戦の勝利を、と伝えた。


 普段はお酒が入るといつも以上に饒舌になり、言ってはいけないようなことまでつい漏らしかけたりするくらいなのに(だからこそいつだってこういった個室のあるお店なのだけれど)、今日は珍しいくらい当たり障りのない会話しかしなかった。それがあまりにもよそよそしくて、不安に駆られた。



「なんか、……今日どうしたの?」
「……え?」
「なんか、なんて言うんだろ。いつもと違うよね」
「そんなことな、くはないかぁー……」
「どしたの?」



 やっぱりいつもの結人ではないと、思い切って聞いてみると最初はシラを切ろうとしたらしいけれど、やっぱり最後まで嘘を吐けないのが結人らしかった。首元に手をやり目線を少しそらすと、「やっぱりわかるか。あのさ、」と話を切り出した。


「俺、……もう3年目じゃん、あっち行って」
「うん、そうだね。来月で丁度?かな」
「もうたぶん今回がギリギリのラインだと思うんだよ」
「……?」
「リーガ、挑戦したいんだ」



 薄々は、感じていた。だって大抵の日本人選手は、外国人枠のないドイツ・ブンデスリーガを足掛かりとして、いずれは自分の憧れとするリーグに挑戦しようとしているから。結人が言っているリーガは、つまりスペイン・リーガエスパニョーラだということもわかっている。結人が、観る人を魅了する攻撃的なサッカーに憧れを抱いていたということは昔から十分よくわかっていた。だけど、



「……外国人枠のことも、わかってる。最初からビッグクラブで活躍できるとは思ってない。」
「……うん」
「背番号貰えるかだってわかんねえ、けど。年齢的には、これが最後だと思う」
「うん」



 わたしが心配していたことは、全部結人の中では折り合いが付いていたらしい。それだったらもう、挑戦するしかないじゃない。やってみなよって、行きなよ、って言えばいいのに。真剣な目を見ると、どうしても自分の卑しい気持ちが明るみに出てしまうような気がして、まっすぐに結人の目を見ることが出来なかった。



「だから、」
「……」



 目をつぶって、結人の言葉を待った。本当は耳を塞ぎたいくらいだった。また一歩先へ、結人は行ってしまう。いや、本当は一歩なんてもんじゃないのかもしれない。それくらいに、遠かった。



「その、一緒にスペイン、来てくんね……?」
「……え?」
「いや、なまえにもいろいろ事情があんのはわかってるし、言葉とかいろいろほんと大変なのもわかってるけど、でも」



 予期していなかった結人の言葉に呆然としていると、わたしを置いて結人は釈明(のようなもの)を始めた。それがなんだか可笑しかったのと、やっと言ってくれた嬉しさが相まって、笑ってるのに涙が出る可笑しな状況にわたしもなってしまった。



「笑うなよ!一緒に来て欲しいんだ、なまえに。」
「……ねえ、3年も待ったよ」
「……ごめん」
「遅いよ」
「ごめん」
「キッチンは使いやすいのがいい」
「……え?」



 本当に申し訳なさそうに謝る結人が可笑しくて、少しからかいたくなった。向こうでの生活はきっと大変だろうけれど、結人がいるならきっと楽しい、間違いない。そんな遠くない未来を思い描きながら。



「陽当たりが良くて、お部屋は収納がいっぱいあって、可愛い雑貨で統一して、大画面のTVを置くの。何にもない日は一緒に公園に行ったり市場に行ったりしてピクニックもしたい。」
「……わかった」
「3年分、ワガママ言うよ?」
「モチロン。……じゃあとりあえず、」
「?」
「指輪、買いに行きますか」
「……ありがとう」









20111120




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