彼の声は、人を落ち着かせる声だ。第一に彼が慌てるようなことがまずなくて、そんな彼から発せられる声だからこそ、みんなを安心させられるのかもしれない。大学で聴き慣れていたはずの彼の声は、いつの間にか液晶を通してしか聴くことが出来なくなっていた。ざわつくゼミ室で聴いていたあの声は、どこか遠いものになって、ゴールマウスからチームメイトに檄を飛ばす、そんな姿をテレビで見つけるので精一杯だった。





「えぇ……、うん、うん、わかった。お大事にね。」



 週末こっちに出てくると言っていた妹の体調が変わって(どうやら風邪をひいたらしい、酷い声をしていた。)、二人でショッピングに行くはずの予定が来週に繰り越しになった。急に予定がなくなったあたしは、ざわつく雑踏の中、戸惑っていた。まだ家に帰るには時間がありすぎるし、かといって別段すべき事もない。今日は妹の欲しいモノを買おうと思っていたから、先週末に欲しかった雑貨とかはすでに買ってしまったし、夕飯の買い物といっても、特に不足している食材もなかった。……仕方ないから一人でウィンドウショッピングでもしようか。


「みょうじ?」



 懐かしい、けど聴き慣れていた声があたしを呼んだような気がして、ゆっくりと振り向いた。そこには大学時代から変わらない、でもちょっとだけ日に焼けた、落ち着きを孕んだ微笑みがいた。



「あぁ、やっぱり、」



 間違っていたらどうしようかと思った、とでも言うかのような、安心したような声。当のあたしは驚きを隠しきれずにいた。表情に出てしまっていたかもしれない。だっていつも液晶を通してしか見ることの出来なかった、彼―渋沢克朗がそこに立っていたのだから。



「渋沢、くん。久しぶり」
「あぁ、卒業式以来か?」
「そう……だね、チームは順調?」



 動揺を悟られないように、ありきたりな言葉を彼に返した。チームが順調かどうかなんて、聞かなくてもわかり切っていた。彼の所属する、あの燃えるように紅い色をしたチームは、J一部のトップをひた走っていた。最近ではナショナルチームの黒いユニフォームも、板についている。



「おかげさまで、たいした怪我もなく順調だよ。そっちは?」
「まぁ普通にOLやってますよー」



 おかげさまで、なんて。学生時代も、どんな小さなことでも感謝の気持ちを忘れることはなかったなぁ。なんて思い出してみたり。そう言えばテスト前にノートを貸したときなんて、お礼にランチに連れていって貰っちゃったりしたな。あのときはホントに申し訳なかった、そんなたいしたノートじゃなかったのに。



「そういえば、今時間あるか?」
「たった今予定なくなっちゃって、暇だよ」
「ちょっと約束の時間まで暇なんだ」



 付き合ってくれるか?



 そう言いたげな彼の表情を見て、断れるはずもなかった。





 落ち着いた雰囲気のカフェに来た。渋沢くんは常連なのか、店員さんは彼の顔を見るとすぐに、奥の席へと案内した。よくよく考えてみれば、あたしみたいな超一般人が、渋沢くんみたいな日本の未来を担うJリーガー(と言っても決して過言ではない)と一緒にいて大丈夫なんだろうか。ぐるぐると頭の中で考えていると、あたしの頭の少し上から、クスリと笑う声がした。



「……何?」
「いや、相変わらずだなと思って」
「……?」
「いっつも考え事してるとき、顔に出てる」



 …… 嘘。驚いて目を見張るあたしに対して、「ほら、また」と苦笑いした。そしてあたしの考えをくみ取ったのか、「ここ、知り合いの店なんだ」と、まるで大丈夫とでも言うかのように、さっき案内してくれた店員さんを軽く指差した。知り合いだという店員さんはこちらに気付いて、メニューを持ってこちらに近づいてきた。



「久しぶりだなー、1ヶ月ぶりか?」
「それぐらいになるか」
「んだよ彼女なんか連れてきやがって」



彼、女?



「ち、違いますっ!!」



 慌てて訂正すると、店員さん(どうやら店長さんらしい)が驚いたように目を見開いた。少し声が大きかっただろうか、と考えあぐねていると、うつむいたあたしの頭上から我慢しているような、喉を鳴らして笑う声がした。「くっ……ハハ。だとよ、渋沢」



 あ、ちなみに俺のおススメはケーキセットのBな。うちのパティシエは優秀なんだー。と言い残して、店長さんは去ってしまった。あたしはなにか可笑しなことでも言っってしまっただろうか。伺うように渋沢くんを見ると、また困ったような顔をして微笑んでいた。



「あたしなんかが彼女と間違えられるなんて、渋沢くんに失礼よ。」
「……、俺はそうとは思わないが」



 その場を繋ぐために紡いだ言葉に、まさか返答が来るとは思っていなかった。渋沢くんのその言葉を頭の中で反芻する。『俺はそうとは思わない』と言うことはつまり、あたしがさっき言った、渋沢くんの彼女に間違えられたことについての返答だ。あたしは自分自身が渋沢くんの彼女には到底ふさわしくないと言う意味合いで紡いだのだが、その意図が彼に伝わっているのなら、彼の返答は、あたしが彼の彼女にふさわしくないことはない、と言うことだろうか。


「それ、って」
「時間を潰すだけなら、別に誰でもよかったんだ。それこそ、藤代でも」



 いや、あいつはちょっとうるさすぎるか。そう言って渋沢くんは少し目を細めた。藤代くんというのは大学時代に何度か話に出てきた高校時代の後輩、だったはずだ。じゃあどうして、なんて聞けなかった。大学時代には見たことのない様な瞳をして、そう、まるで試合中に見せるような強い瞳をしてこちらを見ていたから。



「久しぶりにみょうじ逢えたのも、こうして一緒にお茶してるのも。少し、いや、大分期待してるんだが」






(貴方が私を射抜いた瞬間から)
(もう止まれないと思った)




:)20101202




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