「あの、さ。」
「……うん」
「俺、みょうじさんのこと、前から好きだったんだ」
「……」
「だから、そっちがもしよければなんだけど、……俺と付き合ってください」
「……」
「返事は、いつでもいいから」


 朝、学校に着いたとき、たまたま会った隣のクラスで野球部の杉下くんに、昼休みに裏庭に来て欲しいと言われて、まさかあたしにそんな青春イベントがあるわけないよなぁ、とぼぉっと思っていた。今日の晩ご飯なんだろう、とかと同じようなレベルで。でもこうして裏庭に来て、いつもははっきりものを言う(それこそ試合中ミスした選手を叱責するほどの)杉下くんが、どこかに目線を泳がせたり、言い淀んだりする様子を見ていると、午前中の疑念がだんだんとに現実味を帯びてきて、杉下くんが少し照れたような、でもそれを隠すような顔をしてこちらを見てきたとき、疑念が確信に変わった。


 杉下くんはうちの学校の野球部で最近レギュラーに定着し始めたそうだ。地区一の強さを誇るうちの学校で、2年生からレギュラーになるのはなかなか大変なことで、2年生でレギュラー入りを果たしているのはショートの杉下くんと、中学時代から名を馳せていたピッチャーの三好くんくらいだ(と友達のがっちゃんに聞いた)。



「なかなかの物件なんじゃない?」
「物件って、がっちゃん」
「だってそうでしょ?レギュラーだよレ・ギュ・ラ・ア!」
「そうだけどさぁ……」
「なによ?」



 好きって、何だろう?高校2年生にもなって、好きとか、付き合うとか、まだよくわからない。そうありのままをがっちゃんに伝えると、がっちゃんは呆れたような、でもどこかで納得したような声で、あたしの頭をくしゃり、と撫でて「まぁ自分でよく考えなよ」と言った。



「(がっちゃん、男前……)」




「はぁ、」



 家に帰って、自分の部屋に入るなりベッドへと倒れ込む。制服を着たまんまで、きっとママに見つかったらスカートがぐちゃぐちゃになるでしょう、って怒られるに決まってる。でもそんなことすら気にならないくらい、あたしはもっと別の、考えても考えても、答えなんて出ないようなことに気を取られていた。


 好きって、何だろう。みんなそれなりに恋をしてきて、誰かと付き合ったり別れたりして、それなのにあたしはいつも立ち止まったままで、まだスタートラインにすら、立てていないみたいだ。ずっと前、好きになるってどんな気持ち?ってみんなに聞いたことがある。みんなはその人といると心のどこかがあったかくなったり、一緒にいて安心することだって言っていた。


 あたしにだって、好きなのかな、これが恋なのかな?と思う人がいたことはある。そりゃあ17年、まだほんの17年だけど、ちっぽけなりにしっかり生きてきたんだから、そういうふうに思える人がいたことだってある。



 でも、その人―幼なじみで今は他校で寮生活をしている誠二―といると、心の中がどうしてもざわついたまま落ち着かなかったり、穏やかな気持ちでなんていられなくなったり、時々どうしようもなく泣きたくなったりして、いつだって誠二を遠くに感じるばっかりだった。だからあたしが誠二のことを好きだったのか、なんて、正直よくわからない。だってみんなの言うことが本当だったなら、あたしがこんなにつらい気持ちになったり、そんなことはないはずなんだ。



 結局、好きって何かわからなくて、杉下くんには返事を返せないまま長期休暇に入った。





 小学生の頃は当たり前に毎日一緒に過ごしてきたのに、あたしたちが中学に上がるのは、一緒じゃなかった。でもあたしの中でそのこと―同じ中学には上がれないだろうな、ということは、なんとなく、本当にぼんやりとだけど、想像が付いていた。だってあたしたちの住む地域のちょうど隣の地域には、サッカーの強豪校である武蔵森学園があるというのはあたしだって知っていたし、そこは中高一貫校で誠二がサッカーに集中出来るだろうし、ひとつ上の学年にすごいGKとMFが入ったことも、なんとなくだけど噂に聞いていたから、ああきっと誠二はサッカーのために行くのだろう、と割り切ることが出来た。


 でもまさか寮に入るとは思ってもいなかった。武蔵森は全国区の強豪校で日本中からサッカーの為に入学する人がいるから、寮があることは知っていた。それは自宅通学が出来ない生徒のためにあるものだとあたしは思っていた。でも、それは違っていて、サッカー部の生徒がより良い環境でサッカーに集中出来るようにと作られたものだった。サッカー部に入ると言うことは、寮にはいることを意味する。


 誠二が寮に入る前の最後の夜、あたしは誠二の目を見て話すことが出来なかった。誠二が見ている未来の風景の中に、あたしがいるとは到底思えなかったから。





 長期休暇になると、ほんとに短い間だけど、誠二が寮から帰ってくる。


 久しぶりに会った誠二は、前よりずっと身長が伸びていて、腕も脚も何もかも、あたしの倍くらいに逞しくなっていて、なんだか全然知らない人に会ったみたいだった。それでも声や仕草、匂いは誠二そのもので、なんだかまたどうしようもなく泣きたい気持ちになった。



「……おかえり」
「ん、ただいま」



 別人だけど、別人じゃない。知っているはずなのに、知らない。そんな誠二をあたしはまた、直視出来ない。会える時間は限られているのに、変によそよそしい態度になっちゃうのは、どうしてだろう。もっとたくさん話したいことも、教えたいことも、聞きたいこともあるのに、同じ空間にいるというだけで、掌がじっとりと汗を持ち始めた。



「ママが、会いたがってたよ」
「そっか、後でおばさんに挨拶行かねえと」



 変な沈黙が部屋に充満して、息がしづらい。昔はこんなこと、なかったのにな。そうだ、中学に入って最初にあった、誠二の試合。それからだんだんと、二人の間に距離が出来た。


 中学に入学したばかりの頃、誠二が寮から電話を寄越した。ほんの数ヶ月声を聴いていなかっただけなのに、受話器越しに聴く誠二の声がなんだかくすぐったくて、思わず笑ってしまったのを覚えている。4月の終わりの練習試合が、武蔵森のグラウンドであるから、観に来ないか、という誘いだった。あたしはそのときまだ、誠二の実力というか、サッカーセンスを見くびっていた。まだ入学したばかりで、ついこの間までランドセルを背負っていたひよっこで、しかも武蔵森はサッカーの強豪校。例え練習試合であろうとまだ1年生の出る幕なんてないだろうと思っていた。そう心のうちで思いながらも、「観に行くね」と電話口で言った。誠二は出る気満々だった。



 武蔵森の整備されたサッカー部専用グラウンドは、ギャラリーのためのスペースまでしっかり設置されていて、なんだかただの部活動ではないような雰囲気すらも醸し出していた。練習試合だというのにギャラリーもすでにたくさん来ていて、あたしは少し身構えてしまった。それでも幼なじみの誠二がいるなら、大丈夫だと思えたのだ。




 グラウンドに次々と出てくる選手を見ていると、やっぱりガタイもよくて筋肉のしっかり成長した無駄のない体つきの人達ばかりだった。誠二はその列の半ばくらいにいて、背丈は他の選手たちに比べていくらか小さかったけど、顔つきは他の選手と変わらない、それ以上の真剣な顔つきをしていた。そんな誠二を見て、少し心がざわついた。


 試合が始まる。でも誠二はスタメンではなかった。でもあたしにとって、入学して間もない誠二がベンチに入っていることがもう驚きで、スタメンでなくてももう既に、チームに必要とされている人材だということを知って、なんとなく誠二が、もう幼なじみの誠二ではなくなってしまったと感じた。後半になって、武蔵森は既に相手に大差を付けていて、きっと様子見を兼ねてだろうと思うけれど、誠二を交代出場させた。



「あれが××小から上がった藤代誠二か」
「夏にはもう出てくるだろうな」



 どこかから聞こえてきた誠二の名前。そしてそれに続く声は、誠二の知名度や実力をあたしにまざまざと知らしめてきた。そうして完全に誠二は、あたしを置いたまま遠くへ行ってしまった。


 それからあたしは、誠二をどこか遠くに感じるようになった。友達に、誠二と幼なじみであることを聞かれると、きまって家が近いだけだよ、と答えるようになった。それは自分に言い聞かせる意味合いの方が強かった。あまり連絡も取らなくなった。向こうから連絡が来たときだけ、あたしに話すことが許されているように感じた。




「なまえ?」
「……え、あ。何?」
「何難しい顔してんの?」
「そんなこと、ないよ」
「そ?」



 まだ何か納得していないような顔で、誠二はあたしの頭を撫でた。ぐしゃぐしゃとかき回すようにするそれは、どちらかと言ったら撫で回すと言った方が相応しかった。昔からの誠二のクセ。髪の毛がぐちゃぐちゃになると何度言っても治らない、でもどこか優しい手。いつまでも変わらないその手に、思わず涙が一粒、落ちた。



「え?ちょっと、なまえ!?」
「っ、ごめん、なんでもない……」
「なんでもなくないじゃん!」



 ダメだ、我慢していたのに、誠二の前では泣かないって決めてたのに、ぽろり、ぽろり。涙は止まらない。焦ったような声で、どうしていいのか解らないでいる誠二は、あたしに目線を合わせるように屈んで、さっきよりもずっと優しく、あたしの頭を撫でた。



「ごめん、……っ違うの、誠二は悪くないよ」
「何?」
「あたしが勝手に、……遠くに感じてるだけ」



 そう言うとあたしの背中をさすっていた誠二の手が、ぴたりと止まった。怒らせたかな、と少し不安に思っていると、誠二はあたしに目線を合わせて、少し低い声であたしの名前を呼んだ。肩が、震えた。



「なまえ」
「……っ何?」
「俺は、遠くに行ったつもりはないよ」
「……」
「どんだけ遠くに遠征行って、普段は寮にいたって、俺が帰ってくる場所は、ここだから」



 そう言ってまた、ぐしゃぐしゃとあたしの頭を撫でるのだ。あたしが勝手に、置いて行かれたように感じて、勝手に遠くに行ってしまったと錯覚して、ほんとはいつだって、あたしのそばを歩いてくれていたのに。誠二が眩しすぎて、あたしは見失っていただけだった。



「ほんっとに昔っから泣き虫だなあ、なまえは」
「そんなこと、ないよ」
「だって俺いっつも母ちゃんに怒られてたもん!またなまえちゃん泣かして!って」
「……ふふ」
「やっと笑った」
「え?」



 そう言うと誠二は、でこぴんであたしの眉間の近くを弾いた。ジン、と広がる柔らかい痛み。いたずらが成功したときに見せる、あの独特の笑みをした誠二が、少しぼやけた視界にいる。



「……いったぁ」
「俺が帰ってきてからずーっと、険しー顔してた」
「ほんとに?」
「ホントに!」



「でもさぁ、きっと笑顔になっちゃうようなこと、そろそろ起こるから、てか起こすからさ」




 そう最初に言われたとき、あたしには誠二の言っていることが何のことだかまるでわからなかった。でも、絶対観に来い!と言われた8月の高校総体決勝戦、それは起こった。誠二のいる武蔵森学園は、決勝戦まで難なく駒を進めた。でも相手は関西のサッカー名門校。苦戦を強いられるという周囲の予想を覆して、優勝を決めた。MVPは大会最少失点だった武蔵森のGKへ。そして得点王は、決勝戦でハットトリックを決めた誠二に送られた。表彰を受けて子供のように笑った誠二は、スタンドのあたしを見つけると思い切り手を振ってきた。そんな姿に思わず笑ってしまいながら、控えめに手を振り返した。








20110810




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