風邪をひくと途端に自分が世界で一人きりのような、そんな極端でどうしようもない衝動に駆られる。実際留学して来てからあまり人を招き入れていないけれど、ひとりぼっちだと感じることはそこまでなかった。普段は暖かいこの部屋も顔色を変えて、その時だけはわたしについさっき出会ったばかりの他人のような扱いを施す。


 視界が歪んで、ぼやけて、足元も覚束ない。なにをするにも一人だ。枕元には水の入ったコップと風邪薬、そして体温計。風邪をひいたときの最低限度のそれらは、誰が用意したわけでなく、すべて自分で用意したもの。


 そういえば、ここドイツで一人暮らしを始めてから、初めて風邪をひいた。大学の寮に入っていたときは度々風邪をひいてはみんなを困らせたなあ、と、今更ながら、人の暖かみを実感している。実家で暮らしていた頃は、常に誰かしらが家にいて、何かにつけて様子を見に来てくれていたものだった。当時のわたしはそれを少し鬱陶しく思っていたけれど、今思えばありがたいものだったと気付かされた。今はひとり、1K、だけれども広すぎるこの部屋の中で布団にくるまっているだけだ。なんとも淋しい。


 そんなことを考えていると、無性に淋しくなって、どうしようもなく逢いたくなった。だけど今日は、ダメだ。きっと逢えないだろう。


 逢えないことが辛くて、淋しくて、なんだか視界がぼやけてきた。風邪をひいて熱が出てるからだと自分に言い聞かせてみるけれど、加えて頭も痛くなってきた。気をまぎらわそうと携帯を弄る。それでも辿り着くのは、平馬のアドレス、少ないながら交わしたメールや、着信履歴。メール作成画面に切り替え、打っては消し、消しては打ってを繰り返す。それでも勇気のないわたしは、結局平馬にメールを送れないんだ。仕方なく午後のゼミ欠席のメールを友人に送る。こんなに簡単にメールは送れるのにね、指先ひとつ、ボタンを押すだけなのに。


 そんな自分が情けなくて、涙が零れた。頭も痛い。ああ、どうにかベッドまでもってくれないかなあ、と考えているうちに、わたしの記憶は途切れた。





 おでこにひんやりとした心地の良い重みがかかって、不思議に思って目を覚ますと、そこにはいるはずのない平馬がいた。ベッドにたどり着けず、ソファーにもたれて眠っていたわたしを、平馬がベッドまで運んでくれたらしい。



「なまえ?起きた?」
「なん、で……?」
「なまえの友達からメール来た。えーと、何だっけ?」
「ビアンカ?」
「あ、そう。それだ」



 何での意味を履き違えているらしい平馬は、いつものマイペースを崩さずに質問に答えた。わたしが知りたかったのは、そっちじゃなくて。



「今日、二部練習じゃない、の……?」
「ああ、そっち?」
「そう、そっち」
「監督気紛れだから、急に一部練になった」



 よく見ると平馬は練習着であるチームのジャージのままで、普段はぼーっとして何を考えているのかよく解らないけれど、こうしてみるとちゃんとサッカー選手なんだなあ、と実感した。


 こっちに来て初めで出逢った日本人が平馬で、サッカーをよく知らなかったわたしは、最初平馬が何をしている人なのかわからなかった。年齢を聞くと大学生ではないし(よっぽど浪人したわけでなければ!)、平日はほとんどヒマしてて、何の仕事をしているのかもわからなかった(そもそも仕事をしているのかすら)。日本のサッカー好きな友達が、「フライブルクの横山平馬がA代表デビューするんだけど、フライブルクに住んでるよね!」と興奮気味で電話をしてきたとき、わたしは初めて平馬がプロのサッカー選手だと言うことに気が付いた。サッカー選手だったのね!と平馬に聞いたとき、「知ってるのかと思ったから言わなかった」とけろりと言ってのけた平馬を見て、ああ、こういう人なのか、と呆れたのを思い出す。



「風邪ひいてるから、来ないで欲しかったのに」



 なんて、思ってもいないことを言うと、なんだか少し心が痛んで、止まっていた涙がまたぶり返してきそうになった。レギュラー争いで大変なこの時期に、風邪でも移してしまったら、平馬を応援してくれている人に頭が上がらない。



「そんなにヤワじゃないよ、」
「でも……」
「たまには頼ってよ。そんなに頼りない?」



 頼りないわけない。自分が情けないだけだ。ここで平馬を頼ってしまったら、きっとわたしは、平馬がいなくちゃ何も出来なくなる。不安で、孤独に押し潰されそうだったとき、声を掛けてくれた平馬に。これからもそうやって縋って生きていくことになる。負担にだけは、なりたくない。平馬はただでさえ背負っているものが多すぎる。中堅クラブという壁を打破するための突破口として、日本サッカーの未来を担う代表として。それなのに更に負担を増やすわけにはいかないのに。



「負担になるとか、考えてる?」
「……それは、」
「いいよ、寄り掛かったって」
「……」
「俺は、なまえを負担になんて思わない」
「平馬、」


「背負うモンが大きいほど、やり甲斐あるじゃん」



 サッカーも、人生も。そう言った平馬は、いつも以上に頼もしく見えて、スタジアムで見る平馬と同じくらい格好良かった。もう少し、頼ってみようかな。気紛れな猫みたいだけれど広い、この背中を。








「……淋しかったよ」
「うん」
「逢えなくて、淋しかった」
「今日はずっといるから」



20110717




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