コンビニで買った、安いミルクティーを一口飲みながら、今日の打ち合わせで決まった案件の重要な部分と、クライアントへの連絡事項の確認をする。要約すれば5行で済むモノをダラダラと書き連ねて、紙の無駄遣いにも程がある。タダでさえ無能なのだから、せめて地球に優しいくらいのアレはないのか、ウチの上司は。



「、まっず」



 コンビニのミルクティーは茶色いただの砂糖水で、思わず顔をしかめた。ペットボトルに入った安売りのミルクティーなんてたかが知れてるのに、何故だかいつも買ってしまう。そしてその度わたしの頭に、必ずと言っていいほど思い浮かぶのは、彼の入れたミルクティーと、カップから上る湯気越しに見える、彼の控えめに微笑む独特の表情だった。





 3年前、まだ大学生だった頃、イベント運営サークルに入っていたわたしはイベント会場の下見に行っていた。スポーツ系サークルからの依頼で、近隣の大学と合同でフットサル大会をやりたい、といくつかの会場候補を纏めて渡された。本当は先輩も一緒に下見に行くはずだったけど、急病でわたし一人で行く羽目になったのだが、スポーツ系に詳しいという先輩を頼りにしていたわたしは、当然右も左もわからず、フットサル場の入り口近くで戸惑っていた。そんなわたしに、声をかけてくれたのが彼だった。


 ジャージに通気性の良さそうなTシャツを着て、いかにもここの常連と言ったような形をした彼は、気さくに「初めての人かな?」とわたしの様子を伺うように言った。その口ぶりは、わたしがいかにも運動はしてません、というのを見抜いているようだった。


 その時のわたしにとって、それがどんな人であろうと、まるで神が手を差し伸べたかのような、ありがたみと言うか、とにかく助かった!という感じだった。俯いていた顔を思いきり上げると、少し困ったように笑っていた彼の顔が目に飛び込んできた。



「泣きそうな顔、してるよ?」



 ここはフットサルを楽しむトコなんだから、とわたしの頭をまるで子供をあやすように撫でた。それから「どうかしたの?」とまた、優しく微笑みかけてくれた。わたしは初めて会った人だというのにイベント運営サークルに所属していること、スポーツ系サークルからの依頼を受けてちょうど良いフットサル場を探していること、しかし頼りにしていた先輩が急に来れなくなったことなどを彼に話した。彼はわたしの言うこと一つひとつに丁寧に相槌をうった後、



「大会の規模はどれくらい?」



 と訪ねた。わたしは最初彼の言っていることの真意を読み取ることが出来ず、訪ねられた答えをそのまま返した。



「4校合同で……、各校6チーム前後って」
「思ってたより規模、大きいんだね。じゃあここよりももっと広いところがいいかな」
「え、ちょっと」
「慣れてないんでしょ、こーいうトコ?」
「え。まぁ、そうなんですけど……」
「僕が案内してあげるよ」
「え、でも……」
「そうと決まったらほら!早く行こう!!」
「あ!ちょっと!!」



 今思えば自分勝手なくらい、強引に事を運んでいたけど、優柔不断だったわたしにとってはあれくらいが丁度よかったのかもしれない。彼はたくさんのフットサル場を知っていて、場所だけじゃなくてそれぞれの場所の特徴なんかも教えてくれた。



「ここらへんでは、こんな感じかな?」
「あっ、ありがとうございます」
「んー……、気になってたんだけど」
「え、何ですか?」
「それ、敬語やめよ?」
「あ、え?でも……」
「僕のこと、ユンって呼んで?」



 そう言った彼――ユンの瞳は、どこか有無を言わせないような強さで、わたしは思わず頷いた。わたしが頷いたのを確認すると、満足げに微笑んで、初めて会ったときのようにわたしの頭を撫でた。



「そろそろ暗くなって来たけど、大丈夫?」
「ここから近いから」
「そっか、よかった」
「あ!」
「ん?」
「よかったら。お茶、してかない?」
「いいの?なまえの家で?」
「引っ越したばっかりだから、綺麗だし」



 そう言ってわたしはユンを部屋へ招いた。初めて会った人―とりわけ男の人を部屋に招くとなると普通は不安がついて回るものだけど、ユンを部屋に招くことに不安はなかった。引っ越しをしたばかりだけど部屋の中は整理されていたし、何故だかユンを招いても、不思議と大丈夫なような気がした。


「あがって」
「どうも、」



 ユンを部屋に上げて、まずポットとカップを探す。引っ越したばかりで未だ物の正確な位置を覚えられていなかったけど、揃いのカップを見つけるのに、それほど時間はかからなかった。ポットとカップを温めながら、ユンに尋ねる。



「紅茶でいい?」
「あ、牛乳ある?」
「牛乳?あるよ?」
「美味しいミルクティー入れてあげる」



 本当はわたしがお礼をするはずだったのに、いつの間にか立場が逆転していて、ユンがお茶を入れてくれることになった。最初は座っていて良いと言われたけど、それはあまりに申し訳なくて、何か手伝うことはないか、と聞いた。ユンはまた柔らかく微笑んで、「じゃあなまえには道具、出して貰おうかな」と言った。さっき出したポットとカップに加え、やかんにミルクポット、茶葉に牛乳。一通りの準備を終えると「あとはカンタンだから」と言ってわたしを座らせた。


 カウンターのキッチンからユンを覗くと、手際よくやかんを火にかけて、火の強さを調整している。その姿はまるで昔からここに存在した一連の行為のように上手に溶け込んでいて、わたしは不思議な感覚に陥った。ここに住んでいるのはわたしのはずなのに、ユンが本当の住人のように思わせた。そう思わせたのは、キッチン周りを知り尽くしたかのような手際のよさのせいだけではなくて、何と言ったらいいのか、ユンを取り巻く空気とか、そう言った類のモノ全てがそうさせているのではないかと感じた。



「どうぞ」



 とユンの声が降ってくると、カチャリ、と目の前にカップが置かれた。立ち上る湯気が、もうすでに紅茶の香りをいっぱいに湛えていて、わたしはその瞬間、初めて本物のミルクティーを知ったような気がした。



「美味しいミルクティーを淹れるコツは、」
「うん」
「ストレートを淹れるときより、茶葉は1.5倍使うこと」



 濃い目で出した方が美味しいから、時間を1.5倍じゃダメだよ。渋くなるだけ。そう言って席に着いたユンは、一口ミルクティーを口に含むと、「うん、上出来」と言って笑った。なんだか時間がゆっくり流れているように感じた。いや、実際ゆっくりと流れていたのかもしれない。ユンの持つ空気が、そう言っていた。


 しばらくミルクティーを飲みながら、互いに話をした。ユンはあまり自分のことを話さなかったから、わたしはまた自分の話ばかりをしたような気がする。わたしのいる大学の話、学部の話、何故その学部に進学したのか、将来やりたいこと。
 ユンが話したことと言えば、あそこのフットサル場には、最近行くようになったこと、本当はこっちには住んでいないこと、でもあと1ヶ月はこちらにいるだろう、ということだけだった。


 なんだか一方的にわたしばかり話したけど、わたしは今でもその話題を何一つ忘れてはいなかった。そのときユンが打った相槌も、仕草でさえも。もちろんユンが自分について語った数少ない言葉たちも。



 それからまたしばらく話をして、本格的に空が藍色に染まり始めた。冷気が窓を伝い、部屋へと入ってくる。この時期になると、カーテンを引いても窓からの冷気を防げなくなってくる。壁の時計も、6時を回る頃だった。



「じゃあ、そろそろおいとましようかな」
「今日はごちそうさま」
「お粗末さまでした」



 そう言ってまた笑うと、思い出したかのようにこう付け足した。



「しばらくはあのフットサル場にいると思うから、何か困ったことがあったらいつでもおいで」



 まるで自分の自宅に招くようにユンが言うから、なんだかおかしく思えて思わず笑ってしまった。それでもユンの優しさが嬉しくて、普段は素直に言えない「ありがとう」をちゃんと伝えた。





 それからしばらくして、急病だった先輩も復帰して、大会の運営は進んだ。依頼をしてきたサークルのみんなも、わたしが見つけてきた、正しくはユンが見つけてくれたフットサル場で納得してくれたようで、問題もなく大会を迎えることが出来た。先輩には、いつからこんなに会場探しが上手くなったのか、と散々聞かれたけど、それとなくごまかしてきた。なんとなく、本当になんとなくだけど、ユンのことを誰にも教えたくなかった。教えた分だけ、ユンと過ごしたほんの僅かな時間が、こぼれ落ちてしまうような気がした。


 大会も無事終わって、わたしたちは新しい依頼に取り組み始めた。今度は全くスポーツと関係のない依頼だったけど、どうしても頭をよぎるのは、あのフットサル場。いや、ユンのことだった。そしていつも思い出すのは、あのときの別れ際、ユンが言った一言。



「しばらくはあのフットサル場にいると思うから」



 しばらくってどれくらいだろう。とか、用も何もないのに。とか、色々考えた。あの言葉は社交辞令なんじゃないかって、本当はそんなこと思ってないんじゃないかって。それでも、ユンを信じてみたかった。ほんの半日しか共に過ごさなかったけど、ただただ会いたかった。



 明日、会いに行こう。





 そう決意したのに、言ってしまえば、ユンはもういなかった。最初に会ったフットサル場にも、そのあと案内してくれたいくつかのフットサル場にも。時間をずらしてみても、何日待っても。わたしは慣れないフットサル場に、何日も通った。その度にどこかにユンがいやしないかと、数あるコートの、さらに何人もいる選手に目を凝らした。それでもユンの、あの独特な空気はどこにもなかった。


 何度かあのフットサル場に通って、しばらく経った。最近はもうほとんど、ユンに会うことは出来ないのではないかと諦めかけていた。大学の方も、ゼミが忙しくそれどころではなかった。大学のレポートを纏めるために、パソコンを起ち上げる。パソコンの起動音が、わたししかいない部屋に淋しく響く。あのとき、ユンが部屋に来たときとは、比べものにならないくらいじっとりと、空気が澱んでいて、そんな中わたしは一人キーを叩く。


 資料探しに検索エンジンを巡っていて、ふと同じゼミの子が言っていたことを思い出した。


「あたしの名前調べてみたら、同じ名前の人超いたんだけど!」



 もしかすると、いや、でも。まさかそんな簡単に、わたしの都合よく見つかるハズがない。それでもほんの僅かな希望に縋ろうと、わたしの指はキーボードの上を踊る。



 ユン フットサル



 検索窓に入力して、検索ボタンへとカーソルを重ねる。心なしかマウスを握る手に汗が帯びるのがわかった。クリックするまでに、何十秒もかかったような、そんな錯覚に囚われる。カチリ、検索ボタンをクリックする。



 約 6,680件



 検索結果を辿っていくと、ユン、と言う名前は韓国人に多いものだった。それでもわたしが出逢ったユンは、流暢な日本語を話していたし、何より決定的な画像も何も出てこなかった。自分の中ではそんなに期待をしていないように思っていたけど、やっぱりどこかで期待をしてた、ため息にのって溢れる落胆。それでも諦めがつかなくて、今度はキーワードを足してみる。



 ユン フットサル サッカー



 再び検索ボタンを押す。さっきの検索結果で、フットサルをしている人は、サッカーもしている人が多かったし、中にはサッカーの上達のためにフットサルをしている人もいたから、サッカーを足してみた。



 約 4,400件



 さっきよりも明らかに検索結果は減っていた。それでも本格的にサッカーをやっている人のサイトやブログが増えているようにも感じた。大雑把にサイトを巡って、それでもユンについてはわからなかった。


 これで最後にしよう、これで出てこなかったら、もう、忘れよう。


 ユンとの思い出は到底忘れられるようなモノではなかったけど、それでも自分に言い聞かせなければ、やっていけないような気がした。最後の希望を託して、キーボードを叩く。



 ユン サッカー



「……お願い、」



 少しでいいから。思わず口に出た。最後のボタンを、クリックする。



 約 801,000件



 途方もない数字だった。それでも希望が見えた気がした。一つひとつ、丁寧にサイトを見ていく。苗字が「ユン」という人が多い。でもきっと「ユン」は名前だと思う。敬語を嫌ったユンのことだから、何か愛称のような気がしていた。



 イ ユンギョン



 辿り着いたサイトはフリーの百科事典だった。そこに載っていたのは、韓国出身のプロサッカー選手の名前だった。




イ ユンギョン(I Yun Gyong、李潤慶、1984年2月19日―)は、大韓民国出身のプロサッカー選手。リーガ・エスパニョーラのアトレティコ・マドリードに所属するMF。サンフレッチェ広島の郭英士とは従兄弟同士。愛称はユン。




 ユンだと確信した。経歴から何まで事細かに書かれたそれは、ユンがいかに素晴らしいサッカー選手かを、わたしに知らしめているようだった。




経歴
ソウル特別市出身。幼少期に数年間、日本での生活をしていた。川崎ロッサジュニアユースに所属し、母方の従兄弟である郭英士、真田一馬、若菜結人らと共にプレーしていた。その後、帰国し安養LGチータース(アニャンエルジーチータース 現・FCソウル)下部組織でプレー。ソウル市選抜に選出され、1999年冬に行われた、東京選抜との日韓親善試合後にアトレティコのスカウトを受け、入団。当時中学3年生、14歳。

クラブ
16歳で初先発フル出場を果たし、20歳のときにクラブ史上初のアジア人レギュラーとなった。しかし、今シーズン中盤、試合中に左足を踏まれ、左足第5中足骨基部を骨折し、懇意にしている医師の元で手術をするために日本へ。手術を受けた。そして現在、リハビリ中である(公式サイトより)。

代表










 先輩から聞いたことがある。ヨーロッパサッカーのシーズンは、日本とは真逆だって。大抵のチームが7月頃から始動しはじめて、8月にシーズン開幕、5月頃にシーズンが終わる。だから日本人選手の海外移籍はいろいろと大変なんだって。聞いたときはどうでもよかった情報が、今はこんなにありがたい。そうするとシーズン中盤は、大体12月頃から。手術をしてリハビリまで行くには大体どれくらいかかるのだろう。それによっては、十分ありえる話だ。


 そしてそのページの最後に辿り着く。そこには公式サイトと書かれたリンクが貼られている。ここを見れば、全てが確信に変わるだろう。骨折した時期も、リハビリについても書いてあるかも知れない。



 クリックする。



 そこにいたのは、確かにユンだった。でもわたしの知らない瞳をしていた。それは、獲物を視界に捉えた静かな、でも力強い獣のような、ある種の鋭さを孕んでいて、それに怖じ気づいたわたしとはまるで対極にいた。その瞬間に、悟ったのだ。ユンは、わたしとは違う世界に生きている。強者だけが勝ち残れる、勝負の世界に生きている。





 あれからもう3年が経って、わたしは社会人になった。大学時代も十分忙しく感じていたけど、社会人になってからはそれの比じゃなかった。やりたいことがたくさんあって、でもそれ以上にやらなきゃいけないこともたくさんあって、わたしの生活はあたりまえだけれど仕事を中心に回った。そのせいかしばらく経つとユンのことを考える時間は減っていった。それでもこの時期になると思い出すのだ。これがユンと出逢った季節だからか、それともユンの誕生日が近いからかはわからないけど。


 時々見に行くユンの公式サイトでは、チームメイトから誕生日を祝われるユンの姿が掲載されていた。ユンはあの怪我から見事復活を果たし、復帰後、まるで最初から決まっていた椅子に収まるかのように、すぐにチームに馴染んでいった。今日、サイトではユンの誕生日を祝うコメントが殺到していると書いてあった。それがよりいっそうわたしとユンの距離を知らしめるようで辛かった。


 完全に温くなった、ペットボトルのミルクティーを飲む。やっぱり不味い。



――ピンポーン



 こんな遅い時間に誰だろうか。友人の顔をいくつか思い浮かべてみたけど、みんなわたしの家に近いワケじゃないし、何よりみんなも忙しかったハズだ。おかしいな、と思いながらインターフォンに出る。



「はい」
――宅配便です



 何か注文したワケでもないし、親に何か頼んだ覚えもない。思いつく限りでは宅配便が来る予定もなかったハズだ。それでも出ないワケにはいかなかったから、エントランスホールのオートロックを解除した。宅配便だと名乗る声は、耳によく馴染む、心地のよい声だった。



――ピンポーン



 2度目のチャイムが鳴る。宅配便以外ありえないから、不用心だとわかっているけど、面倒だと思う気持ちが勝って、インターフォンに出ずにドアを開けた。



「は、い……」
「こんばんは」



 そこに立っていたのは、紛れもなくわたしの探していた人で。わたしの探し求めていた、あの独特の微笑みを携えてたたずんでいた。ピンクと赤色をしたチューリップの花束と共に。



「なまえに、プレゼント」
「なん、で……?今日はユンの……誕生日、じゃない」「あ、知ってたんだ」



 知ってるよ。逢えない分だけ、少しでも近付こうとした。忘れようとしても、本当は心の奥の方に無理矢理閉じ込めただけで、ことある毎に気持ちが漏れ出した。公式サイトは欠かさずチェックしたし、サッカーのことも勉強した。ユンのプレーを見るためだけに、サッカー番組の契約をした。もしかしたら、いや、もう絶対に逢えないと思っていたのに、その覚悟をしていたのに、ユンはどうして、こうも軽々とわたしの考えを超えていくんだろう。初めて出逢ったあのときのように。



「僕に出逢ってくれて、ありがとう」



 なんでこんなにも、優しい言葉をくれるんだろう。



「これは、僕からの気持ち」



 差し出されるチューリップの花束。ふわりと鼻腔をくすぐる香りがする。こんなに大きな花束を、見たこともなければもちろん貰ったこともない。



「気持ち……?」
「誠実な愛と、愛の告白」
「!」



「ずっと、忘れられなかった」










 知っているかもしれないけど、と前置きをして、ユンは話し出した。



「あのとき僕は結構大きな、でもサッカー選手によくある怪我をして、治療のために日本に来てた。なまえと逢ったフットサル場には、たまたま行っただけなんだ」



 もちろん、主治医には内緒でね。そう言ってユンは悪戯っ子のように微笑む。やっぱり、あのときに逢えたのは本当に偶然だったんだ。



「周りのみんなは当たり前に僕のことを知ってて、それにちょっとウンザリしてたんだ。自分の望んだ世界だから仕方のないことだけど。でもそんな中で、本当に何も知らないなまえがいた。最初はただちょっとした興味だった」


「でも、話していくうちに、……なんて言えばいいのかな。うん、嬉しくなったんだ。周りのみんなは僕を知っているから、僕の言うことに耳を傾けるけど、なまえは違った。なまえにとっては僕が何者であるとかが全く関係なくて、それでも耳を傾けてくれる。だから、嬉しかった。それに、勉強熱心だったしね、自分がプレーするワケじゃないのに、誰かのためにあそこまで熱心になれるのが、羨ましかった」



 それに、と続けるユンの瞳が、視線が、わたしを捉える。



「その対象に、なりたいとも思った」


「僕だけを視界に入れて欲しかったし、なまえのひたむきなまでの熱心さが、僕に向かえばいいのに、とも思った。あの日の最後、ああ言ったのはまた逢えるように保険をかけておこうと思ったから、まぁ本当に小さな保険だけどね」
「……でも、いなかったじゃない」
「主治医にね、バレちゃったんだ。フットサルのコートは膝に悪いから、多少なりと影響が出るって。術後の経過が悪くなったらリハビリも進まないって怒られた。あえてなまえには僕が何者かを教えなかったけど、やっぱり教えるべきだったかなってすごく思ったよ」
「ユンのことは、調べればわかったよ」
「……、自分でも、どうかしてると思った。チームメイトにも、英士たち……知ってるよね?僕の従兄弟、にも言われたよ。顔と名前と年齢しか知らない、過ごした時間も短い人を、ずっと想い続けるのは不毛だって。」
「……」
「でも、僕は知ってるから。顔と名前と年齢以外にも、何事にも熱心なところとか、でも少し優柔不断なところとか、暖かい空気とか。だから、諦められなかった」



「やっと、逢いに来る勇気が出たんだ」



 ふわり、ユンの周りの空気が動く。それはあの日感じた以上に、温かくて、不思議で、懐かしさに涙が出そうになった。その空気と一緒にチューリップの香りが動いて、ユンのしなやかな指がわたしの髪をサラリと梳いた。テレビで見ていたユンは、いつだって自信に満ち溢れていて、チームメイトを引っ張っていくキャプテンシーみたいなものすら感じられたのに、今のユンは、泣きそうな、やけに自信のない顔をしている。わたしに触れる指先が、微かに震えている。わたしがユンに、惹かれないハズないのに。



「ねぇ」
「……何?」



 ああ、なんて愛おしいんだろう。



「久しぶりにミルクティー、飲みたいな」



 またあの、濃い目に出した紅茶で作る、香りをいっぱいに湛えたミルクティーを、ユンの笑顔と共に。今回はいつまでも。


:)20110219




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