なまえは寒がりだ。肌寒いくらいの気温でも、寒いと言ってすり寄ってきたり、暖房を付けようとしたり。僕が「そんなに寒くないよ」と言っても、「暁くんは雪ん子だから」なんて笑って誤魔化してリモコンを手放そうとしない。そう言うなまえの手足は確かに、比べたことがあるわけではないけれど他の人よりは冷えやすくて、そんなときはもっと僕の近くにいればいいのに、と思う。思うだけでなかなか口には出せない。「暁くん、子供体温」と言われたときは、ちょっとむっとしたりもしたけど(子供じゃないし)「あったかくてすき」と言われただけで許してしまう僕はなかなか単純だった。


 少し帰りが遅くなった日、家に帰るとリビングの電気が付いていた。なまえがまだ起きているのかという心配と、少しの期待を胸にドアを開けると、そこはもぬけの殻。あからさまにがっかりしながら荷物を置くと、目に入るのはテーブルに置かれたメモ書き。『おかえりなさい。何か食べたかったら、夕ごはん冷蔵庫に入ってます。温めて食べてね』なまえ特有の丸っこい右肩上がりの字と、ぶさいくなシロクマみたいな動物の絵。文字をひとつひとつ、なぞるようにして触ると、なまえの声がそのまま聴こえてくるようで、好きだと思った。無意識に口角が上がる。
 流石にこの時間帯だと外で少し食べてきたけれど、なまえの作ったごはんは恋しくて、冷蔵庫を開けてみると、ひとつひとつ丁寧に盛り付けてラップのかかった食器たち。どんな気持ちでこれを冷蔵庫に仕舞ったのかと思うと少し胸が苦しくなって、次からは『遅くなりそう』だけじゃなくて労りの言葉も送ろうと思った。
 最近口数が増えた、とよくチームメイトに言われるようになったけど、それはまさしくなまえのおかげなんだろうなあとつくづく思う。昔から口数が少なくて、彼女の話の聞き役ばかりに徹していたけれど、それでも上手く関係が続いていたのは学生時代、ほとんど毎日顔を合わせることが出来ていたから。そして何よりなまえ自身が僕の気持ちを汲み取って、それをまるで宝物みたいに大切に扱ってくれていたから。でも今はすれ違いの多い生活。毎日顔を合わせられるわけじゃなくて、なまえを一人で過ごさせてしまうことばかり。相変わらず彼女は僕の気持ちをよく汲んでくれるけれど、それだけじゃダメだと思ったのは、二人で恋人同士だから。どちらか片方が頑張ってるのは、きっと苦しいし悲しいことだと思う。だから僕も頑張って、自分の気持ちは自分で口に出すように心がける。そんな僕に「どうしたの」なんて君は笑ってみせるけど、確かにその顔は少しだけ嬉しそうで、こういうことなんだろうな、と思った。


 彩りの良い、なまえの作ったごはんを食べる。仕事の合間で、栄養学の勉強をこっそりしているのを実は僕は知っている。二人でご飯を食べるとき、少し心配そうな顔で「どうかな?」と聞いてくるところ。「こういうの、好き」と言うと、次のときには食材を変えてアレンジした料理を出してくれること。見ていないふりをしたテーブルに出しっぱなしだったテキスト。全部が全部、全身で僕のそばにずっといたいと言ってくれているようで、その気持ちに応えたいと思った。だから僕は、彼女の料理をこうして食べる。
 いつも「お皿、浸けとくだけでいいよ」と言うけれど、お皿を洗ったあと、なまえの手が冷えやすいことを知っている。カチャカチャと泡立てながら食器を洗って、流す。普段彼女がやってくれている作業を、なぞるようにする。たったそれだけで、彼女がどれだけ偉大だったかを思い知る。夕飯は別々のことも多くて、分けて盛り付けた食器、洗う手間も倍になるのに、文句のひとつも漏らさずに当たり前のようにこなす。食器を洗い終えたら、さっきのメモに書き添えよう。『いつもありがとう』って。そうしたらきっとなまえは、「暁くんの字、すき」なんて言って笑うのだ。これ以上僕を喜ばせても仕方ないっていうのに。


 そっと音を立てないように寝室へ続く扉を開ける。なまえはもうすでに眠っているようで、物音一つしない。部屋には常夜燈が付いている。「付けてないとなんか、寝付けない」と以前言っていたそれは、ほんのりと彼女の顔をオレンジに染める。そして彼女が抱きしめる黄色いソイツも。ぬいぐるみを抱いていると落ち着くという彼女が、ソイツを連れてきたのはいつ頃だったろうか。垂れた耳と帽子。「ワンちゃんなんだよ」と紹介された記憶があるけれど、……犬? 変わらないその表情をじっと見つめても犬らしさを見つけられなくて戸惑う。とにかくなまえの腕に収まるソイツが気に食わなくて、僕もベッドへ潜り込む。体温の高い僕を感じ取ったのか、僕の方へ寝返りを打つなまえの寝息が、さっきよりもずっと近くに聴こえて、そんな些細なことで頬は緩む。……ちがう、そうだ。なまえの腕の隙間から、そっとソイツを抜き取ると、ベッドの端に追いやった。手持ち無沙汰になった彼女の腕は、無意識に僕の背中へ回って、すり寄るようにして頭を胸に寄せる。たったそれだけのことなのに、心の中に満足感が広がる。
 黄色いソイツは、相変わらずの表情でベッドの端に佇む。ざまあみろ、なんて言ったことは今までないけれど、今はまさにそんな気分だった。子供体温の勝ちと思うと少しだけ情けないけれど、それでも今は、この寒がりで寂しがりやな身体を抱きしめて、幸せなまま眠りに就きたかった。




 寒がりで、寂しがりで小柄な身体。雪国育ちで、人が言うには淡白な、大柄の僕。とにもかくにも僕らはへんてこな、でこぼこな恋人同士だった。でも、それでも、なまえには僕でなきゃダメだし、僕にもなまえでなきゃダメなんだ。



僕らのフィロソフィー



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20200522




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