※「ねえほらちょっと考えて」のつづき


 目が醒めると知らない天井だった。……と思ったけれど記憶の奥底、大学時代まで遡ると、ここが倉持の家だと気付くのにそう時間はかからなかった。酷く頭が痛むのは、昨日飲み過ぎたせいだろう。途中から何を飲んでいるかの記憶もなく、それどころか家にすら帰れていないなんてとんだ失態だ。何か下手なことを口走っていないと良いけれど。こんなにも記憶を飛ばしたのは久しぶりだった。それこそ大学時代、同期と馬鹿騒ぎしながら飲んだとき以来ではないだろうか。あの時車道で眠りそうになったわたしのことを回収してくれたのは誰だったっけ。
 それにしても焼け付いたように喉が渇く。ベッドサイドに置かれたペットボトルの水に、自然と手を伸ばし蓋を開ける。それはまだ新品のようで、自分で買った記憶はない。飲んでいたときの記憶すらないのだ、当然である。ボトルを傾け流し込むように飲むと、渇いた喉だけではなくガンガンと痛む頭にも染み入るようでだんだんと感覚がクリアになっていく。
 ……そういえば、この家の主はどこへ行ったのだろう。そんなに広くはないベッドを見渡しても、倉持の姿はない。充電切れ間近のスマホを見ると、まだ4:50。ベッドから出てラグも敷いていない床に足を降ろすとひやりとする。クセで靴下だけは脱いだようだけれど、服は全部着ていて何故か安心した。そういうのじゃないのだ。倉持は、そういうのじゃない。
 足音を殺して部屋を歩く。テレビの横に高校時代と大学時代のユニフォームが飾ってあるのは相変わらず。部屋の大きさにしては大きすぎるくらいのテレビは、これだけは、と奮発して買ったといつか聞かされた。代わりにマットレスをケチったから、寝心地がワリィと愚痴付きで。確かにあまり寝心地がいいとは言えなかった。なんて。

 ベッドからそう遠くないソファに、身体を丸めるようにして倉持は寝ていた。ここの家主だというのに、ソファに収まりきらない脚を窮屈そうに抱え込む様は、まるで縁側に眠る猫のようで、あの『チーター様』の面影はない。挑発的な瞳も、少し顰められたような眉も、瞑ってしまえばその面影はかけらもない。
 規則的な寝息が聞こえてくる。まだ眠るだろうに、何もかけずに寝ていては風邪を引いたり……バカは風邪を引かないとは言うけれど、倉持は風邪を引くだろうか。沢村くんなら確実に引かないだろうけど。まあいいや。部屋を見渡してブランケットを探すけど、そんな気の利いたものはひとり暮らしの男の家にあるはずもなく、結局わたしがベッドで使っていたタオルケットを持ってきて、倉持を起こさないようにそっとかけた。この部屋にひとつしかないタオルケットをわたしにかけてベッドに寝かせ、自分は何もかけずに狭いソファで寝るなんて、倉持は本当にバカだ。
 さて、そんなバカな恩人のために、朝食くらいは作ってあげようではないか。

「げ」

 ……と思ったが、冷蔵庫を開けると、眩しいほどにスペースがある。つまり何もない。ドアポケットに寂しそうに佇むひとりぼっちの卵と、缶ビール数本と少しの調味料。買い置きのパンなどもなさそうで、これで一体どうしろと言うのだ。眠りこける倉持に心の中で文句を言っても、どうにもならないものはならない。買いに行くにしたって、家の鍵なんてないから不用意に外に出ることも出来ない。仕方がない、朝食作りは諦めよう。
 やることがなくなったわたしは、とりあえず、とソファの前のラグに座って、テレビでも見ようかと考えた。でも音を出さなくてもこの大画面のテレビ、光がすごそうだと思って結局は手持ち無沙汰になる。倉持の顔を見ると、まだ気持ちよさそうに寝ている。勝手に充電器を拝借して充電中のスマホが示す時間は5:00。それはそうか、昨日終電逃すまで飲んでたんだもん。
 それにしても、身動ぎひとつしない。高校時代から少しだけ伸びたというその身長は、今やコンパクトにソファに収まりきっている。短い眉。「イキって剃ってんの?」と訊いたあの頃が懐かしい。本当に天然モノなんだなあ、と妙なところで感心してしまった。こんな些細なことでも、倉持との思い出はいくらでもある。日々にあまりにも倉持の影がありすぎる。だからわたしはいつまで経っても、ロクな男を掴まえられないというのに。

「どう責任取ってくれんのよ……」




「なんでここで寝てんだよ……」
「ん……」
「おい起きろ、風邪引くぞ」

 倉持の声がする。遅れて頭を叩く感触。もう少し丁寧に起こしてくれても、いいんじゃないですかね倉持さん。でも家に泊めてもらっている手前文句も言えず、仕方がなくわたしも起き上がる。どうやらソファに頭をもたげて眠ってしまったらしい。

「おはよ……」
「はよ」
「……てか昨日ごめん」
「今更何言ってんだ。お前持って帰んのも慣れたわ」
「は? 嬉しくな」
「大学んときもあっただろ」

 そうだった、大学時代、酷く酔っ払って車道で眠りこけたあの日、わたしを回収してくれたのは倉持だった。このベッドで朝を迎えるのも初めてではない。見たことのある天井、それはそうだ。どうして忘れていたんだろう。倉持はいつだって、わたしのことを見放さないでいてくれる。

「朝飯……つっても何もねぇな」
「さっき冷蔵庫見た。何もなさすぎ」
「テメッ、勝手に人んちの冷蔵庫見てんじゃねえよ!」
「ごめん」
「あー……、朝飯食いに行くか?」

 先程から謝罪ばかりのわたしに、バツが悪くなったのか、話をそらすように目線もそらす。スマホを見るともう8:00を回っていて、これなら外で食べることも出来そうだ。

「牛丼屋とかやだよ」
「注文多いな」
「朝からそんな食べられないもん。ファミレスくらいにして」
「わーったよ」

 眉を顰めながらでも、倉持はわたしの提案を良しとしてくれる。そういうところがわたしをわがままにさせるのに。「いくぞ」と言う倉持の背中を追って、わたしも玄関へ向かう。扉を開けた先、真っ青な空が広がって、わたしたちの関係もこれくらいすっきりしてくれればいいのに、と思ったことは倉持にはないしょ。



今更言えないよ


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20200516




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