※社会人設定



 華の金曜日。仕事はラッキーなことに定時で一段落。意中の人とディナーに行くもよし、同僚とぱーっと飲むもよし。夜の街は今からが本番だとばかりに通りは人で溢れ、盛り上がる。ネオンが輝く歓楽街は人々を魅惑的に誘い出す。だというのにわたしたちときたら、こじんまりとした寂れた居酒屋で顔を突き合わせてはこの会話。

「また同期が結婚した〜……」
「売れ残り乙」

 ヒャハハッなんて独特の笑い声を漏らしながら、ぐいぐいとビールを呷るこの男。高校から大学時代までの腐れ縁・倉持洋一。こうして予定のない金曜に会ってはの定期連絡会、もといわたしの愚痴をぶちまける会は月一程度で開催される。連絡はどちらからともなく、事前に予定を決めることもあるけれど、仕事終わりに声をかけることの方がずっと多い。倉持につられてわたしもビールを呷って、ドンっとジョッキを置く。

「懐も寒いし金曜の夜は倉持しか会う人いないなんて……」
「失礼過ぎんだろ」
「たこわさ食べたい……」

 そう漏らせば倉持は店員を呼び止め、たこわさと串盛りとわたしのビールを頼む。意外と気が利くこの男は、なんでこんな華金の夜を持て余しているのだろうか。わたしの愚痴に茶々を入れながらも、絶対に文句は言わず聞いてくれる。……カオだろうな、カオでしょ。短い眉毛につり上がった目は、第一印象コワモテ。女子ウケは余り良くない。ついでに言葉遣いも荒いときた。まあわたしが言えた立場じゃないのはわかっている。と言っても高校時代に比べればいくらかコワモテ感は落ち着いたように感じる。それは、どれだけ緊張を強いられた中で野球と向き合っていたか物語っているようだった。

「そういやさ」
「なに」
「今度ノリが結婚するってよ」
「はぁ? 今それ言う?」

 ただでさえ懐も心も寒いわたしにそれを言うか。ノリが結婚……結婚ねえ。高校の同級生たちですら続々結婚していくこの状況。良い意味でも悪い意味でも酒が進む。先ほど店員が持ってきたビールは、もう既にジョッキの半分を過ぎている。それでもわたしはそれを呷る。だって、ぬるくなったビールは不味いでしょう。わたしみたいに。

「倉持は」
「あ?」
「結婚とか、考えないの」

 あの短い眉が動く。何を思ったか飲みかけたジョッキを置いて、そんな真面目なカオで向き合わないで欲しい。いつものただの冗談みたいなものなのに。

「今は別に、」
「そうなんだ。まあいい人いたらこんな愚痴会来ないよね」
「ちげぇよ……、ウチ昔っから母親しかいねーから、まあ爺さんいっけどよ」

 なるほど。結婚のビジョンねー。ビジョン、なんて持って、みんな結婚するんだろうか。なんて独り言のように倉持が言ったことを咀嚼しながら、ジョッキを片手に串を取る。取り分けなんかしないでわたしの好きな鶏皮を独り占めする。こんな女が結婚できるとは到底思っちゃいない。「そんな対したモンじゃねーけど」と言う倉持だって、ぼんじりを独り占め。それについて特になにも言わないし思わない。
 遠慮がない、と言えば聞こえが悪いが、気を張らずに済むこの関係が、わたしは嫌いじゃなかった。気を遣ってサラダを取り分けなくても何も言われない。参加者の年齢を考えながら発言しなくて良い。お互いの近況と少しの愚痴。たまに学生時代の思い出話に花を咲かせて。倉持との会話のキャッチボールは、驚くくらいわたしにフィットする。テンポが良い。実際のキャッチボールなんてしたら、とてもじゃないが捕球できないけど。いやでも、ファーストドンピシャ送球のこの男は、わたしのグラブにも難なく送球するのだろうか。

「みょうじは」
「うん?」

 ジョッキの底から倉持を見ると、心底呆れたようなカオが残った泡の中から見える。「……なんでもねえ、なに飲む」と歯切れ悪そうに続ける。なによ、なにに遠慮してるのよ。

「……ジンジャーハイ」
「おう」



 「結婚しろって言うけど相手がいないんだよ」そう言って酒を浴びるほど飲んだみょうじは、俺がトイレに行ってる間に勝手に潰れていた。「おい」と声をかけ、遠慮がちに肩を揺すってみても、「うん」だの「わかった」だの言うだけで、こんなに酒弱かったか? と頭に疑問符が浮かんだ。

「会計してくっからそれまでに起きろよ」
「はぁいー」

 間延びした声が背中越しに聞こえる。俺の気も知らねぇで呑気に。

「さっきの話だけどよ」
「なあにー」
「クッソ、酔っ払いが」

 店を出てからもこの調子だ。それどころかもう、みょうじは歩くことも諦めて店の外の階段に座り込んでいる。終電はまだ、ギリギリある。「おい、立てるか?」そう訊いても曖昧に頷くだけで、その足は動かない。腕を掴んで引いてみても、てんで動こうとしない。強情な女だ。いくらなんでも無防備過ぎんだろ。スーツに皺が付くだろうが、幸か不幸か明日は休日。みょうじの前に屈んで、腕を首に回させる。こんなところで寝られるくらいだったら、俺の背中で寝られた方がマシだ。「重いよぉ」なんて抵抗する声が聞こえたが無視した。現役時代はそれこそ70s近い部員を背負って走ってたんだぞ。ナメんな。

「倉持くらいだよー、こんなわたしのこと、ほっぽらないでいてくれるのお」
「……」
「倉持しか、いないんだよお」

 高校も大学も、俺の学生時代と言ったら野球漬けの毎日だった。少しでも気を抜けば先を越される、そんな張り詰めた場所で野球を続けて、それ以外に目を向ける余裕なんてこれっぽっちもなかった。
 ……っつーのは半分嘘。本当は、いつだってちらつく影があった。みょうじだ。それでもそれに目を向けたりなんかしたら、野球もみょうじもどっちも取りこぼすような気がして、ずっと目を逸らしてきた。
 ずっとひたむきに俺たちをフォローしてくれるところ。疲れていたって決して寝ずに、綺麗に取られた授業のノート。飲み明かした翌日の一限に、這ってでも行く頑固なところ。急に決めた待ち合わせで、遅れたことを弁明もせずに詫びる素直さ。
 日和ってたんだ、ずっと。この関係がなくなるくらいなら、いい『オトモダチ』でいようと。お前の愚痴を聞くなんて大義名分で、俺が毎週金曜空けてたって知ったら、どうする。そんな気も知らないで、みょうじは俺の背中でご機嫌そうに歌う。


 なあ、俺にも、お前しかいないって言ったらどうする。


ねえほら
ちょっと考えて



20200505



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