「純にあの雑誌、送っておいたからね〜」

 練習中に連絡があったから折り返すと、電話口から呑気に笑うお姉ちゃんの声がする。気が遠くなるようだった。あの雑誌、とは『Cheer Up!』のことだろうか。おそらくそうに違いない。あの雑誌には確か、インタビューまで載っていたはず。「あ、優勝おめでとうね」先月の優勝を労う声が電話口から聞こえたような気がしたが、右から左に流れていって、その後に続いた言葉は頭にはあまり入ってこなかった。寮の自室、今日は珍しく練習が半日オフだったから、暇を持て余していたはずなのに、今すぐ練習をしたいと思うくらい逃げ出したい気持ちになった。

「え、えぇ〜……、純ちゃんにあれ送ったの……?」
「だってあんなに大きく載ってたし!」

 可愛い妹分があんなにかっこよく写ってるんだもん。なんて拗ねたような声を出すお姉ちゃん。こうなったお姉ちゃんには、わたしはほとほと弱いのだ。ベッドに大の字になって、心の中でため息を吐く。頭の上、蛍光灯の白がやけに目に染みる。

「純ちゃん、なんか言ってた……?」
「いや、まだ連絡来てないよ。ていうか二人とも連絡取ってないの?」

 痛いところを突かれた。まったく、お姉ちゃんという生き物にはなんでもお見通しなのかな。
 わたしが稲実に進学してから、いや違う、進学先を決めたあの日から、わたしは徐々に純ちゃんへの連絡を減らした。その頃、純ちゃんはもう青道での野球の準備を始めていて、わたしに構っている暇もあまりなかったからか、どちらからともなく、自然とわたしたちの連絡は途絶えていった。そして何より、わたしから素直に「頑張ってね」も「応援してるね」も言えない立場になってしまうだろうから、とてもじゃないが連絡を取る気になれなかった。稲実に進学するわたしから、どんな言葉を送っても、それはなんの意味も持たない言葉になってしまうと思ったから。心から応援したいと思っているのに、その真意が伝わらないのは酷く悲しいことだ。わたしは自分が傷付くのを恐れて、純ちゃんに連絡できなくなってしまった。

「連絡なんて、出来ないよ……」
「そんなに気にすることないと思うんだけどなあ」

 去年の夏の大会、準決勝の舞台で青道は姿を消した。わたしはその姿を一塁側のスタンドから見ていた。一塁、稲実側のスタンドで。わたしが着ていたのは、稲実チア部の応援用ユニフォームで、純ちゃんが着ていたのは、青道野球部のユニフォームだった。学校が違っても、応援はできる。そんなこと、馬鹿みたいに信じていた。でもそれは間違いで、わたしはどうあがいたって純ちゃんの『ライバル校』のチアリーダーだった。それ以上でも以下でもない。そんな現実を直視して、連絡を取れるほどわたしの心は強くなかった。

「……まあ、気が向いたら連絡してやってよ、なんだかんだ気にしてると思うから」
「うん……ありがとうね」

 うん、とは言ったものの、連絡出来るとは到底思えなかった。一歩を踏み出す勇気なんて、わたしにはなかった。まただ、こうしていつもわたしは、純ちゃんから逃げている。





「……結夏、結夏!」
「……え、何。ごめん」
「今日夕飯当番!」
「忘れてた!」

 寮の食事は当番制で寮生が担当している。まあ、寮と言っても、大きめの戸建てをコーチが借り上げてリノベーションをした、所謂『寮』のイメージとはほど遠い存在。野球部の寮のように大規模で大人数のものではない。ここでコーチと生活を共にしているのは十一人。いずれも県外から進学した生徒たちだ。コーチがうちの高校に就任して約十年。県外からの生徒を受け入れるために戸建てを借り上げ、私生活を犠牲にしてまでわたしたちチア部に尽くしてくれている。コーチがいなかったら、わたしはこのユニフォームに袖を通すことはできなかっただろう。
 寮での自炊もトレーニングの一つ。出された物を食べるだけでは付かない知識や経験が身につくので、わたしはありがたいと思っているが、そう思えるのは二年生になって余裕が出てきたからこそ。まだ入部したての一年生だった頃は、部活も学校生活も付いて行くので精一杯な上に、突然十二人分のごはんを作るとなればてんやわんやで、夕食の時間に間に合わなくてよくコーチに怒られたものだった。今となっては笑い話の一つでもあるが、当時は食事当番を考えただけで憂鬱になった。それでも食事管理の大切さや体重管理の難しさを常々説いてくれるコーチのおかげで、なんとか二年になる頃にはみんなそれなりの料理が出来るようになった。

「今日何にしよう……」
「結夏減量組?」
「そうだよ、まだ全然落ちてないもん」
「お母さんがこないだ減量メニューのレシピ送ってくれたから見る?」
「助かる〜!」

 選手によって体重の管理にも差があるので、寮でのメニューは『増量組』と『減量組』に別れて作る。必要な栄養素を摂取しながら、体重をコントロールすることは難しい。それでも体重に敏感なこの世代、過度で極端な体重コントロールで体調を崩すばかりか、摂食障害になる選手も少なくはない。こうして仲間と意見を交わしながら、適切な食事管理についてを考えられる場を、コーチは設けたかったのだろうと思う。
 階段を降りながら、チームメイトの差し出したレシピのメモ書きを見る。お、大根餃子。作ってみたかったやつだ。おばさん、相変わらず字が綺麗だなあ。なんて考えていると階段の下が何やら騒がしい。

「あ、そういえば今日、取材入るって」
「寮に?」
「ミーティングで言ってたじゃん。なんか『寮ごはん』の特集らしいよ。ほら、これ」

 聞いてなかった? と差し出されたスマホの画面には『寮ごはん.com』と書かれたWebサイト。わたしたちもよく参考にする、アスリート向けのレシピサイトのコラムだ。強豪スポーツチームの寮のごはんを特集し、レシピを共有してくれるありがたいサイト。まさかそんな有名サイトから取材が来るなんて……。

「ウチに取材来るなら野球部だと思ってた」
「なんか最近過食とか拒食とかあるからじゃん?」
「ああ……、コーチが来てからウチそういうの無縁だもんね」

 真剣に向き合うほど、自分ではままならない部分がどんどん見えてきて、それを補う為に手っ取り早く変えられる部分に逃げてしまう。チアリーディングなどの芸術面を問われるスポーツ選手にとってはそれが『体重』なんだ。でもコーチは必ず、体重を落としただけで簡単に跳べると思うな、とわたしたちに声をかける。身体を形作る骨と筋肉、それらを作るのは全て食事から。身体を支える筋肉がなければスタンツの上で静止することは出来ない。トップを支えることも出来ない。コーチ自身が体重管理に苦しんだ選手だったというからこそ、わたしたちの苦しみに寄り添って、問題解決の糸口を探してくれる。こんなに熱心な人に、出逢ったことは今までない。コーチの指導が認められたようで、思わず口角が上がる。後は、大会で結果を残し続けるだけだ。この人を日本の頂点へ連れて行きたい。そして、ゆくゆくは世界へ。

 今月末には関東大会が控えている。JAPAN CUPへの切符を手に入れるために、ここまでやって来た。万全のコンディションで大会を迎えるために、目の前のことから何一つだって逃げたくはなかった。その癖、今、純ちゃんと向き合わないことは、逃げじゃないなんて言い聞かせながら。だって、どっちも取りこぼしたら、わたしはもうわたしじゃいられなくなる。
 だからせめて、今だけは、チアリーダーのわたしでいさせて欲しかった。



わたしを隠して


[ 6/7 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -