幼馴染みの結夏が稲実に進学すると、お節介な姉貴から聞いたのはいつだったか。「あんたのとこのライバル校じゃん? 喧嘩でもした?」なんてからかうように言う姉に、「うっせーな」と言うことしか出来ず、かと言って進学の意図を本人に訊くことなんてとてもじゃないが格好付かなくてできなかった高一の冬が懐かしい。
 ガキの頃から俺の後ろをついて回り、些細なことでよく泣いた結夏は、俺の妹のような存在だった。……はずだった。いつからだろう、妹として見られなくなったのは。やめろと言っても聞きやしないちゃん付けを、『純ちゃん』と呼ぶその声を特別だと思い始めたのは。
 野球一筋でろくに構ってもやれねえ俺の傍で、何故だかいつも嬉しそうにニコニコ笑っては、俺の野球を見に来ていた。気付いたらそれは当たり前の光景になっていて、コーチらにすら「結夏ちゃんは?」なんて訊かれたりもした。それでもそれが嫌じゃなかったのは、結夏があまりにも真っ直ぐな目で、俺の野球を応援するから。
 「純ちゃんの応援、もっとしたいから」なんて言いながら、チアのチームに入って、どんどんと成長した結夏。その頃にはもう、いじめられて泣くことなんてほとんどなくなって、もう俺もお役御免か、なんて思ったが、中学に上がろうが思春期になろうが、「純ちゃん」と呼んじゃついてくる結夏はまるで変わらなくて、俺の生活の一部になっていた。
 それが変わったのは俺が中三の秋、シニアでの野球を終え、進路選択の岐路に立ったときだった。神奈川の強豪に行くか、東京の青道に行くか、二つの進路があった。自分の限界を試しに、青道へ行ってみてえ。神奈川を出なきゃならねえ。そんな葛藤の中で、俺の背中を押したのは意外なことに結夏だった。


「純ちゃん、進路迷ってるって?」
「……誰に聞いたよ」
「ちい姉ちゃん」

 ……二個上の姉貴だ。中学から家までの間にある公園で、珍しく練習がないという結夏と話す。ブランコに乗って立ち漕ぎをする結夏に「パンツ見えんぞ」と向かいの柵に座って誤魔化すように言うと、「純ちゃんのえっち」なんて笑い声。その後すぐに「下履いてるからへーき」と言いながらブランコから着地する。……十点満点の着地。

「東京、行きなよ」
「いいのかよ」

 何に対しての「いいのか」なのかは、自分でもよくわからなかった。隣に結夏が座る。小柄だとよく言われる俺よりもずっと小さな身体。俺の後ろを追いかけ続けた足。ずっとこの関係が続くと思い込んでいた。曖昧で、責任がなくて、楽な関係が。でもそれを今、俺は壊そうとしている。

「純ちゃんは、青道に行くべきだよ」
「……」
「わたしのことなんか、気にしないで」

 一軍に上がって、レギュラーになって、いつもスタメンで……。結夏の口から、たくさんの未来が溢れる。理想に溢れた、俺の未来。その未来に、お前がいなくてもいいのかよ。

「それでね、甲子園に行くの。子供の頃からの夢だよ、純ちゃんの」
「…………限界を、試してえ」
「うん」
「わりぃ。青道、行くわ」
「謝らないで」

 「もうわたし、泣き虫結夏じゃないから」そう言って結夏は泣きながら笑った。泣き虫のままだろ、相変わらずに。溢れる涙を親指ですくう。ああ、この役割ももうおしまいになるのか。そう思ったけど、この枠組みをぶち壊すだけの勇気がなくて、俺たち二人にできることは、正面を向きながら落ちてくる枯れ葉を見つめることだけだった。


 それが結夏の、最後に見た泣き顔だった。




「……純、純」
「……んだよ、亮介」
「ずっとそのページ見てるけど」

 「感傷にでも浸ってんの?」からかうように言う亮介。「そんなんじゃねえよ」と小さく吠え、ページをめくる。さっきまでの静けさが嘘みたいに、教室の喧騒が戻ってくる。亮介が椅子を引いて、俺の前に座る音がする。

「離れ離れの幼馴染、ねえ」
「は!?」

 心の中を見透かされたようで焦って声を上げると、「その漫画」と指さされる。……んだよ、漫画の話かよ。つい険しくなった顔を戻す。「姉貴に借りたんだよ」まあ俺の読んでる少女漫画は、だいたい姉貴か母親のモンだから、そんなこと言わなくたって亮介はわかってる。だけどなんとなく、この間を繋ぐために口に出したくなった。言い訳みたいじゃねえか。

「何その焦り方」
「別に……」
「自分に思い当たるフシでもあるわけ?」

 亮介ってやつは、本当に勘が良くて困る。返答に困っていると、「まあ、漫画の話ってことにしておいてあげるよ」と楽しそうな声がする。……これは弱みを握られたな、と心の中で苦虫を潰す。離れ離れの幼馴染、か……。


 もしかしたら結夏が、俺を追いかけて青道に来るんじゃないかと、期待していなかったと言えば嘘になる。去年の秋、結夏が家を出て進学するらしいと聞いたときには、それこそ本当に来るんだとさえ確信した。でもすぐに、稲実に決めたと姉貴から聞き、その期待も砕け散った。最初にアイツから離れた俺がとやかく言えるもんじゃなくて、そしてなにより、あのとき俺の背中を結夏が押したように、結夏の背中を押した何かがあったというとこをまざまざと実感させられて、もう俺の役割も終わったんだと悟った。その何か、が『誰か』でないことを願うなんて、勝手な男だとつくづく思う。
 結夏が稲実に入って二年が経った。俺ももう三年だ。最後の夏はもうすぐそこに迫ってる。余計なことなど考えている場合じゃない。そんなことはわかっているはずなのに、結夏が今、どうしているのか、誰の隣にいるのか、……泣いてはいないのか。そんなことばかりが頭を巡る。

「チッ」

 今週末は練習試合で帝東戦だ。東東京の強豪。こんなこと考えてる場合じゃねえと、切り替えるように頭を振る。


 夏の終わりまで、あと何度打席に立てるのだろうか。その姿を、結夏にみてもらうことはできるだろうか。どちらもわからないからこそ、全力でやるしかねえと気合を入れた。





Hard to say...


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