愛染 | ナノ




 風呂から出て部屋に戻ると田沼はベッドに座ってテレビを見ていた。
「あのさ。俺、自分のアパートに帰ろうと思うんだけど」
 そう言って田沼を振り返ると、田沼は無表情に俺を見下ろしていた。ゾクリと背中が冷える。ゆっくりと立ち上がった田沼から逃げるように、俺は座椅子から背中を離した。
「どこに帰るって?」
 俺に目線を合わせるようにしゃがんで、田沼は小首を傾げる。後ろに退がろうとしたところで肩を掴まれた。指が肩に食い込んで、ギリギリと音がする。痛いと訴えるが、田沼は力を緩めない。
「あのアパートはもう解約したんだから、もう良太の家じゃないんだよ」
 一瞬何を言われたのか解らなかった。ゆっくりと頭の中で咀嚼して、カッと血が昇る。
「何勝手なこと、」
「良太のおばさんには許可はとったよ。ほら、二人で住んだ方が家賃だって抑えられるだろ? 渉くんなら安心だっておばさんだって言ってたし」
 俺の言葉を遮り、田沼は言う。
「そういうことは、普通当事者の俺に話してから決めることだろ! 勝手なことすんな!」
 肩を掴んでいる手を振り払い、そう怒鳴る。立ち上がろうとしたところで、思いっきり押し倒された。強かに背中を打ち付け、一瞬息が出来なくなる。
 胸倉を掴まれ、床に押さえ込まれる。そのまま田沼の顔が近づいてきた。顔を反らし、田沼の下から抜けそうともがく。
「逃げるなよ」
 低い声で言われ、顎を掴まれた。顔を固定されると田沼の顔がまた近づいてくる。どうにか顔を反らそうとしながら田沼を睨み付ける。ふと田沼の後ろに、何か……男が立っているのが見えて、思わず動きが止まった。男は、俺と目が合うと口角を上げる。肝試しをした墓地で見たあの笑顔に似ていた。
 その直後、口を塞がれた。
 今のはなんだだとか、ファーストキスだったのにだとか、頭の中がぐちゃぐちゃとして、まとまらない。
 唇を舐められ、ぐちゃぐちゃだった思考が戻ってきた。平手で思いっきり、田沼の頭を叩く。ようやく顔が離れた所で、頬を叩いた。鈍い音が響き、掌もジンジンと痛む。叩かれた田沼は目を見開き、赤くなっている頬を手で押さえている。何が起こったのかわからないような表情に、後ろめたさを感じる。
 田沼から目をそらし、後ろをチラリと見るが、何も立っていなかった。見間違いだったのか。
「あっ……ごめ、オレ……ちが、あの、ごめん」
 今にも泣き出しそうな顔をして、田沼は俺の上から離れる。
 なんで、お前が泣きそうな顔をしてるんだ。泣きたいのは、俺のほうだ。そんな軽口叩けるわけもなく、口を開こうとして、閉じる。
「……頭、冷やしてくる」
 真っ青な顔をして、田沼は部屋から出て行った。


[ 64/68 ]

[*prev] [next#]
[戻る]
[しおりを挟む]
以下広告↓
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -