愛染 | ナノ




「おまえみえてるだろ」
 不意に耳元でドスのきいた声を掛けられ、ビクリと大袈裟なほど身体が跳ねた。
 いつの間にこんなに近づいたんだろう。じっとりと背中が濡れていく。ヒッと喉から悲鳴にもならない音が出る。
「しねばいいのに」
 ねっとりとし た声で言う。唇が耳元に当たっている。濡れた髪が首筋を擽り、するすると蛇のように首に巻き付く。
 ヤバイ。本能が煩く警告してくる。
 脳に心臓があるみたいに、ドクンドクンと脈打つ度に頭痛がする。
 助けて
 助けを求めようと声を上げようとするが、声が唇まで上って来ない。
「店員さん。女の子と遊んでないでレジお願いします」
 とんとん、とカウンターを指で叩く音がした瞬間、女が離れたのか、気持ちの悪い感触が消えた。
「あ」
 客と目が合い、お互いに声を上げる。
 ゴールデンウィークの一件で、鈴を持っていた男だった。
「ゴールデンウィーク以来、だな」
 男が気まずそうに、目をそらす。
 あれは夢かと思っていた。どこからが夢で、どこまでが現実かは判らなかったけど。……でもどうやら違うらしい。
 レジを打ちながら男を見る。イケメンだ。俺の周りにイケメンが集まるのに、俺自身は平凡だ。類は友を呼ぶなんていうが、あれも嘘だな。いや、この男とは友達でもなんでもないけど。
 あれ? このイケメン顔どこかで見たことがある気がする。ゴールデンウィーク以前に、見たことがある気がする。どこだったかな。
「俺の顔に何か付いてるか?」
 じろじろと見すぎたのか、男は居心地悪そうに聞く。俺は首を横に振り、レジに専念する。
 会計を終えて出ていこうとした男が、あっと声を上げた。首だけ振り返る。
「気をつけろよ」
 男はそれだけを言い、コンビニから出て行った。気をつけろって何にだよ。
 女はいつの間にか居なくなっていた。

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