Foodシリーズ | ナノ

マルゲリータ


 暴力・薬物等の犯罪が横行する貧民窟から護るように四〇メートルの壁で覆われた都市。その中央に聳え立つ、富と権力のある者が住むタワーの地下には、下品で悪趣味な店が立ち並ぶスラム街のようなものがあった。奴隷市場に風俗店、まるで壁の外の貧民窟を縮小したようなそこは、壁の外と違い、上階に住むタワーの住民が客だ。
 そんなスラム街のとある風俗店の横で私はしゃがみ込んでいた。
 女優だった私は、金とコネがあった演技の下手くそなブスに役を奪われた。元々このスラム街の奴隷市場出身の私は金もコネなんてもの有る筈もなく、使い物にならないと判断されたのだ。そうして、使い物にならなくなった私を社長はここで働かせたいらしい。折角、私を買ったご主人様である社長を唆して上り詰めたのに、またここに逆戻り。どこの喜劇か。くそほどもつまらない、脚本だ。どこかの三文芝居の方がきっとマシだ。
 自嘲して、地面を眺める。自分の足が見えて、更に喉が鳴る。拘束されている訳ではないから今、この場から逃げようと思えば逃げられるのに足は動かない。
 急に影が広くなる。革靴が見えて、社長かと顔を上げるとどこかで見たことある男が立っていた。銜え煙草をして、素人目から見ても高そうなスーツを着た若い男だ。右の目元にある二つ並んだ泣き黒子が、少しセクシーだと思う。
「……なぁ、お前。ここで娼婦として死ぬまで働くか、死ぬかもしれねぇけど俺に協力するのどっちがいい?」
 男は私を見下ろしてそう言った。紫煙が立ち上っていくのを見ながら答えないでいると、何を思ったのか私に視線を合わせるようにしゃがみ込む。煙を顔に吹きかけられ、顔を顰めると鼻で嗤って地面に煙草を押し付けて火を消した。
「俺、母親に一泡吹かせたいんだけど協力する気ない?」
 男の顔をジッと見ているうちに、誰か思い出して声を出す。こいつアレだ。名前は思い出せないけど、政治家だ。テレビだとかで見る時とは、印象がまるで違う。こんなに口は汚くないし、煙草は吸っていない。まぁ当たり前だろうけど。
 私の様子に男はまた鼻で嗤った。これは癖だろうか。
「話を聞けよ。――そう、ロベルト・イーヴォ・ヴァリアーニ。お前は、オフィーリアだったか?」
 ため息を吐いて、男もといロベルトは名乗った。彼の母親は、この地下を管理しているマフィアのボスのはずだ。思わず嗤ってしまった。ロベルトは私の嘲笑を見咎めず、苦笑して「そうだよなぁ」と呟く。
「あの女は、金と世界を手に入れるために、息子や夫すら駒にしてきた。ずっとあの女の言われたように生きてきたんだ。でも、クッソつまんなくて。如何にかして、現状を変えたくてさ。まぁ俺が自殺するとか辞職するっていうのも考えたんだけどな。所詮、駒だからなぁ。痛くもかゆくもねぇだろうしな。いっそ、こんな世界ぶっ潰したらあの女も狼狽すんだろ」
 まるで反抗期の子共だ。とんだマザコン野郎じゃないか。失笑を隠しもしない私を真っ直ぐ見るロベルトに、私はため息を吐く。
 でも、まぁ、ただ消費されて生きるよりはきっとマシだ。もう演技が出来ないのなら尚更。
「お前に付き合ってやってもいい」
 私の返答を聞いて目を瞠るロベルトに笑い掛ければ、口角を上げた。
「お前、テレビと違って口が悪ぃな」

***

 どうして今、数か月前のことを思い出しているのだろう。走馬灯というやつだろうか。後悔、しているんだろうか。いや、きっと後悔していないと言ったら嘘になる。
 ロベルトの話に乗ることにしたあの日、何度も「死んでも俺を恨むなよ」と繰り返し、スラム街の更に下にある施設に連れて来られた。この世界の研究施設らしい。私はその施設で研究されている、実験の被験体になるように言われた。ロベルトからは詳しい説明もなく、あれよあれよという間に手術を施された。
 手術後の一週間は、痛みで目が覚め、痛みで失神するというのを繰り返していた。ようやく痛みが引いた時、白衣の男が「おめでとう、第一段階のテストクリアだ!」と拍手をして部屋に入ってきたのだ。男曰く、この一週間で身体が作り替えられたと言っていた。
 私は、ヒトではなくなったのだ。
 身体がヒトより丈夫になり、ヒトより力が強くなり、身体の成長が止まったのだと男は至極楽しそうに話していた。この実験は、不老不死の実験だったらしい。
 何のためにそんな研究を世界がしているのかは、頭の悪い私にはわからないが、正気ではないなと感じたのを覚えている。そこでロベルトの話に乗ったことを少し後悔した。
 それからは、力の加減が判らなくなった身体のリハビリをした。そして今日、第二段階のテストだと言われ、注射を打たれた。注射を打っている最中、男は楽しそうに、次の実験の話をしていた。後はひたすら何をやっても死なないか実験の繰り返しらしい。最終的には手足をぐのだと言っていた。
「で、今からは猛毒で死ぬかって実験なんだ。また十分後に戻ってくるから、死なないでね」
 男は唇に弧を描き、そう言って部屋を後にした。
 注射をされて穴の開いた皮膚が塞がるのを眺める。これも実験の成果だ。ヒトより、丈夫な身体は、治癒能力が高いのだと言っていた。
 しばらくすると身体の奥からチクチクと痛みだした。そこからは自分が立っているのか座っているのか判らなくなった。気づいたらベッドから落ちていて、真っ白で冷たい床に蹲っていた。
 いつの間に戻ってきていたのか、男が冷たい床に蹲る私を見下ろしている。
 身体中が、痛くて熱い。自分の肩を抱いて、身体を丸めて痛みをなんとか逃がそうとする。身体の中を何かが這いまわり、締め付けるような痛みが、ずっと続いている。歯を食いしばりすぎて、血の味がする。肩を抱く指に力が入りすぎて、指が食い込み、爪で引っ掻き、血が滲んでいた。傷が塞がっては増えて、また塞がる。
 助けを求めるように目の前の男を見上げると、逆光でも、なんとなく笑っているのがわかった。男は小首を傾げ、口を開く。
「痛い? うーん、見ればわかるんだけど一応ね。出来れば今どんな感じか伝えてくれると嬉しいんだけど、喋れる? 喋れないかなぁ。痛いよねぇ、だって私の自信作だもん。何に使うかは知らないんだけど、必要だって言われてさ。作ったんだけどね、これで失敗作が何百体と駄目になったからね。かわいそうだった。でもさ、これ耐えれば君は第二段階のテストクリアさ!」
 一人でブツブツと話しながら男はぐるぐると回る。痛くて痛くてたまらないのに、気を失う事すら許されず、引き攣った声を漏らすことしかできない。
 この痛みから解放されたら、今度は手足をぐのだと男は言っていた。
 男が床に顔を付いて、悶える私を覗き込むようにしゃがむ。助けてくれるのかと顔を上げると、私の左目の辺りに手袋をした手でそっと触れた。ビリビリとした痛みが襲い、喉から音が出る。
「左目の辺りだけ、炎症を起こしているね。なんだろ。このあたりの皮膚だけ敏感だったのかなあ」
 首を傾げて、男は何度もそこを触る。顔を逸らして、逃げると手を引っ込めた。男に触れられていたところが、異様に熱い。まるで火を当てられているようだ。耐えられなくなって、自分でそこを触る。すると視界が赤くなった。
 男が目を見開き、私の手を掴む。触るなとでも言う様に、顔から手が離された。離れた手を見れば、真っ赤になっている。鉄錆びのようなにおいがする。出血が酷いのか、頬を這う感触と口の中に血の味がした。ぐらぐらと視界が揺れて、目が回る。ぐっと胃の辺りに力が入り、熱くなる。一気にせり上がってきたものを押さえることも出来ず、吐き出す。酷い臭いに、更に吐き気が催され、何度も嘔吐く。一頻り吐いてしまうと気持ちの悪さが軽減された。ぐったりと横になるとそこでようやく、意識が遠のいてきた。大きく息を吐いて、目を閉じる。
 目を開くともう見慣れてしまった白い天井が見えた。何だ、死ななかったのかと安堵したような落胆したような複雑な気分だ。あの痛みがひいていることには、素直に安堵して、部屋を見回す。意識なかった間に、ベッドの上に移動させてくれたらしい。吐いたものを片づけられていて、臭いもなくなっている。
 ふと視界が狭くなっていることに気付いた。左目の辺りに、違和感がある。触ってみると包帯が巻かれているようだった。扉が開く音が聞え、そちらに顔を向けると男は目を見開いて駆け寄ってきた。
「よかった、目を覚ました」
 私の頬を手で包み込んで、涙すら浮かべて男は言う。よかったと何度も呟かれ、抱きしめられた。突然のことに、どうしたらいいのか判らず、されるがままになる。抱きしめらたまま、頭を撫でられて、私の両手が宙を描いた。
 胸の辺りが苦しくなって、鼻とこめかみのあたりが痛くなった。よく解らないけれど、泣き出したくなるような気分だ。
「また僕の可愛い子が駄目になるんじゃないかって思ったら不安で不安で……」
 男は私を抱きしめるのを止めて身体を離すと頭を撫でていた手をまた頬にやった。頬を何度も撫でる。その手には、いつもつけている手袋がしてなかった。
「左目ねぇ。ちょっと視力が落ちてるかもしれない。それに、君の綺麗な顔に傷が残るかもしれない。何故そうなったかとか目の詳しい検査は明日からしようと思うんだけどね。それで、しばらくは君へのテストはお休みしようって上の人と話してきた」
「そういうのいらない。さっさと終わらせて」
 いつまた行なわれるかわからない、痛みの恐怖に震えて過ごすぐらいならさっさとテストを終わらせたい。どうせやらなければならないのなら、先送りにするより今やってしまいたい。
「いや、そういうわけには」
「次に活かせない? じゃあ、検査もするけど実験も続ければいい。それに、死んだら解剖して原因を突き止めればいい」
 男の言葉を遮り、私がそう言うと、男は悲しそうな顔をする。私が顔をそむけると男は「わかった」と言って、部屋から出て行った。

***

 数か月後、ようやくあの白い部屋から解放された。早速ロベルトに呼び出され、とあるバーに行く。この日のために貸切にしたらしい。人に聞かせられない話をするからとは言え、金持ちの考えることは解らない。
 私がバーに着くと既にロベルトが店の真ん中のソファーでふんぞり返っていた。目の前には、たくさんの酒瓶がローテーブルの上に乗っている。私に気付くと座り直して向かいのソファーに座るように勧められる。
「その目、どうしたんだよ?」
 座るなり、自分の左目を指さし、ロベルトが聞く。傷跡を見せつけるように、包帯を解けば、ロベルトは顔を顰めてみせた。
 火傷のような跡になったそこは、きっと醜いだろう。視力もほとんど落ちてしまっていて、左目だけだとロベルトの表情は窺えない。
 ロベルトは私から目をそらし、黙り込んでいる。
 ここでお前のせいじゃないと声を掛ければ、呪詛になるだろうか。いや、気にしないような気がする。
「それで、お前は私に何をさせたい? ただ復讐するだけなのに何故あの実験が必要だった? 目的はなんだ?」
 視線をこちらに向けさせるようにローテブルの足を軽く蹴る。思ったよりも大きい音が出て、ロベルトが肩をビクリと揺らした。
「今更降りるなんて言わないけど、共犯者なんだからそれくらい教えてくれてもいいだろ、ロベルト? 」
 私がそう言うと真意を確かめるように、顔を覗き込まれる。口端を吊り上げると、ロベルトは鼻で笑った。
「目的は最初に言った通りだ。ただ、言っていないことがあンのも事実だ。今している不老不死の研究は、昔の戦争の遺産をもとにしている。難しいことは俺もわかんねぇんだけど、人間兵器を造ってたらしいんだな。普通の人間より壊れにくくて、強くて、半不死化された強化人間。不老不死の研究とも通じるもんがあるだろ? 心当たりはあるだろ? まぁ、いいや。結局戦争は起きずに終わったからその研究はお蔵入り。表向きは、な。確かに研究はお蔵入りだが、その実験に使われた被験体は、あの女の手の内にあんだよ。それに対抗するにはこっちにも不死の人間が必要だった」
 ロベルトはそこまで言うとたくさんの酒瓶の中から一つを開けて、二つのグラスに注いだ。一つは私に勧め、ロベルトは一気に酒を煽る。それを眺め、飲み干したところで私の分の酒をロベルトの方へと滑らせた。片眉を上げて私を見るが、咎めることはせず、それも飲み干す。
「で、共犯者であり、元女優であるオフィーリアにして貰いてぇことってのは……」
 そこで一旦区切り、酒瓶を少し避けてローテーブルの上に服を置いた。私がそれを受け取るのを見て、ロベルトは言葉を続ける。
「壁の外の教会で、聖処女様を演じてほしい。迷える子羊とやらを導いて、騙して、手駒にする。今は一人でも多く手駒が欲しい。今のところ数は圧倒的に不利だからな」
 ロベルトの話を聞きながら服を広げる。修道服というやつか。昔は宗教とやらが活発だったらしいが、今は衰退していると言っていいだろう。教会があるということは、まだ信仰があるということだろうか。早速修道服を身に纏い、ロベルトの隣へと座る。
「それなりに見えるな」
 私をまじまじと見つめ、ロベルトは言う。笑みを浮かべて頷くと、彼は目を瞠った。グッと顔を近づければ、その分顔を引かれる。
 嗚呼また演技が出来る。舞台に立てるのだ。
 浮足立っているのが隠せていないのか、ロベルトが呆れたような顔をしている。
「私より先に死ぬなよ」
2016.05.25

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