好奇心は猫をも殺す | ナノ

人を呪わば穴二つ


 父の部屋の扉を開けた瞬間、気分が悪くなった。
 それを顔に出さないようにして、僕は氷枕を持って部屋の中へと入る。
 黒い靄のようなモノと1メートルはあるであろう大きな蜂が、部屋の中を飛んでいた。その下には、ベッドがある。そこには苦しそうな父が寝ていた。父のもとへ行き、一言断って枕を取り換える。
 このまま、死んでしまえばいい。
 厭な感情が沸々と沸き上がる。これは本音なのか、この黒い靄のせいないのか。
 僕――美馬総次郎(みまそうじろう)の父である総一朗(そういちろう)の身に、何か良くないことが起きているのは気付いていた。
 3日前から彼の頭の上に、黒い靄がのようなモノが現れた。その黒い靄が、大量の虫だと気付いた時には、父が高熱で倒れたのだ。母がすぐに病院へと連れて行ったが、原因がわからなかったらしい。
 僕はすぐに、これを専門家、父の同級生であり、拝み屋である東雲静夏(しののめしずか)さんへと電話をした。彼には日頃から父子共々お世話になっている。父と僕の趣味がアンティーク集めで中には曰く付きのものもあり、その関係でお世話になっていた。
 父の様子がおかしいと連絡すると、静夏さんは「すぐに行きます」と言ってどんな様子かも聞きもせずに電話を切られてしまった。それがまた、嫌な気持ちにされた。
 僕の好きな静夏さんは、父の事が好きなのだと思う。はっきり、聞いたわけではないけれど、見ていればわかる。それが、とても腹立たしく。どうしようもない気持ちになる。
 これ以上、ここにいたら余計なことを考えそうだ。
 取り換えた枕を抱え、部屋を後にする。
 部屋を出た瞬間、生臭さを感じ彼が来たのだとわかった。出迎えるために外へ出る。
 丁度、静夏さんが車から降りてくるところだった。息子さんである哲郎(てつろう)くんが彼の座った車椅子を押している。
 彼は、右脚は膝から先がない。そのため、車椅子に乗っているのだ。哲郎くんの後ろには、2メートルくらいの大きな金魚が――いや、あれを金魚を言っていいかは甚だ疑問であるが、金魚の形にいろんなモノが集合している何かが泳いでいる。あれのことを静夏さんが「金魚ちゃんたち」と呼ぶので、僕も「金魚たち」と呼んでいるが、僕にはあれが金魚だとは到底思えないのも事実だ。
「お待ちしておりました」
 頭を下げて、出迎える。
 顔を上げて、車から降りてきた静夏さんを見ると僕と会う時にはいつも着てくれている紅い女性モノの着物ではなく、普段着であろう浴衣姿だった。
 それがまた、嫌な気持ちにさせた。着替える時間も惜しいくらい、父のところに駆けつけたかったのか。
「総一郎さんは?」
 第一声は、そんなものだった。仕方がないとはいえ、どんどん嫌な気持ちになる。それに感づかれないように、無表情を作って二人を案内する。
 父の部屋へと案内すると静夏さんは自分の腕で車椅子を自走して、父の近くへと向かった。哲郎くんは一礼すると部屋から出ていく。僕はそのまま部屋に残り、扉の近くで二人に視線をやる。
「美馬」
 聞いたこともないような優しい声で、静夏さんが父に話しかける。父の瞼がゆっくりと持ち上がった。
「東雲か」
 擦れた声が、静夏さんを呼んだ。
「これは、蠱毒だね」
 大きな蜂と黒い靄を見上げ、言った。聞きなれないそれを静夏さんは説明するように口を開く。
「虫を使った中国の呪術の一つだよ。壺の中に虫を入れて、それを一か月間放置するんだ。一か月後に開けて生き残った虫を使って術を掛ける。これとよく似たのが、犬神だね」
 淡々と説明しながら、静夏さんは人型の紙を準備する。静夏さんは、脚だけでなく目も悪いのだが、まるで見えているかのように準備されていくそれを僕はただ眺めていた。いつものことだから、慣れているのかもしれないけれど。
「東雲、返さなくていい」
 父が、静夏さんの手を掴んで言った。呪詛返しをしなくていいということだろう。それを聞いて、静夏さんは微笑を浮かべる。
「ああ、わかってる。呪いを解くだけだよ」
 掴まれた手の上から手を握るその姿に、思わず下唇を噛んだ。
 父の部屋を泳ぎ回っていた金魚たちが、ゆっくりと虫に近づいていく。口をパクパクとしている姿は、確かに魚のそれだった。金魚たちが、虫たちを吸い込んでいく。
 チラリと静夏さんを見れば、口が動いていた。何を言っているかは全く聞こえないが、何かを唱えているのかもしれない。
 スポンッと軽快な音がして、金魚たちが全ての虫たちを吸い込んだ。静夏さんの口ももう動いていない。
「終わったよ」
 静夏さんはそう言って、父の手を名残惜しそうに離した。父は小さく頷くと目を瞑る。
 見ていられなくて近づくと、静夏さんが僕の方を見上げた。
「美馬の坊ちゃん、車椅子を押してくれますか?」
 父に見せた笑みとは違う微笑を見せ、静夏さんは言う。僕は笑顔でそれに頷いて、足早に父の部屋から出た。
 部屋から出ると哲郎くんが待っていた。名残惜しいが、哲郎くんと交代するように車椅子を渡す。
「料金のことですが、呪詛を返してしまったので受け取れません」
 車椅子の上で、静夏さんは頭を下げる。形だけは謝っているが、きっと全く悪いとは思っていないのだろう。そういうのも全部、腹の中をもやもやとさせた。
「いえ。それでも父を救ってくださったのですから払わないわけにはいきません」
「いえ。契約違反ですから受け取れません」
 食い下がる僕に、静夏さんは片手を挙げて制す。どうしても受け取ってはくれないらしい。これ以上押し問答を続けても不毛だろう。
「わかりました。本日はありがとうございました」
 頭を下げて、静夏さんを見送る。悔しくて仕方がないが、どうしたってそれだって仕方がないのだ。下唇を噛み過ぎて、血の味がした。

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