刻まれた今日3 日が暮れ、部屋が暗くなるまで俺も部屋で時間を忘れてボーッとおっさんが出ていった方を見つめていた。 おっさんが部屋に入ってきて、ようやく俺も動き出す。 「今日は遅い。泊まっていきなさい」 おっさんは言って、押し入れから布団を取り出す。 「布団はひとつしかないんだ。君がこれで寝なさい」 「いや、おっさんが布団で寝なよ」 お互い譲り合い、引かない。おっさんは困ったように笑う。 「狭いが一緒に寝るか」 おっさんは言って、薄い布団を軽く叩いてこっちに来なさいと俺を呼ぶ。戸惑いつつも近づき、背中合わせで布団に入る。狭い。 「今は平和か」 ポツリと小さく呟く声に俺は頷く。 「平和だよ。日本は戦争してない」 そうか、と反芻するように言い、おっさんは黙った。 虫の声と蛙の声がよく聞こえる。 「あのさ……おっさん、名前は?」 肩越しに振り返っておっさんを見る。おっさんは前を向いたまま、こっちを見ることはない。 「清(きよし)。君は?」 「翔太郎」 「いい名前だな」 お互い黙る。俺は前を向いて、目を瞑った。 気付くと朝が来ていた。隣を見ると清さんはいない。まだボーッとする頭を起こすように、布団をたたむ。 薄い布団だったせいか、少し身体が痛い。 「起きてたのか。おはよう」 微笑むことはなかったが、柔らかい表情を浮かべて清さんは言った。俺もそれに返す。 「少し、私の話を聞いてくれるか。……いや、やっぱり独り言だと思って流してくれ」 言って俺の前にゆっくりと座った。 こういうとき、どういう態度でいればいいのかよくわからない。 本当に独り言として聴いた方がいいのか、真面目に耳を傾けた方がいいのだろうか。自分の経験の浅さを実感する。 とりあえず外を眺めてみた。 「赤紙が――召集令状が着た」 思わず清さんを見ると目が合う。清さんは口許に小さく笑みを浮かべていた。 なんで、笑ってるんだ。なんで、笑ってられるんだよ。 意味が解らず、ジッと見詰めていると清さんは続ける。 「実は君が来るちょっと前に着たんだ」 畳の上にピンク色の紙が置かれた。赤紙だ。本物は初めて見た。 「行く、の?」 絞り出すように出た声は掠れ、震えていた。 「死ぬ覚悟は出来てる」 柔らかな笑みを浮かべ、言った。 「死ぬ覚悟って、なんだよっ」 カッとなって、胸ぐらを掴んだ勢いのまま、畳に押し倒す。簡単には畳に倒された清さんは、柔らかな表情のまま真っ直ぐ俺を見ている。 「そんなこと覚悟してんじゃねぇよ」 胸ぐらを掴んでいる腕に、更に力を入れる。清さんの表情は変わらない。 「自己犠牲ってやつかよ?」 腕を清さんが掴んだ。あまり強い力じゃない。 「そんなんじゃない」 掴まれた腕が熱い。 「アンタが行ったって、変わんねぇよ」 馬鹿にしたような言い方なのに、清さんは笑う。 「わかってる」 「わかってるならっ」 声を荒げると清さんが、俺の頭を撫でる。吃驚して、言葉を続けることが出来なかった。 「私が行かなかったら、代わりに君みたいな若い子が行かなきゃならないだろ」 諭すように言われ、喉元で待機していた言いたかった言葉を飲み込んでしまった。 「……でも」 出た言葉は、弱々しい中途半端なものだった。自然と腕の力も弱まる。 「未来は平和なんだろ。それを聞いて安心した」 心底嬉しそうに、清さんは言う。 「安心して、逝ける」 撫でられていた頭をポンポンと軽く叩かれた。 胸ぐらを掴んでいた腕は完全に力が抜けている。 「早く戻れるといいな。それまではここにいるといい」 清さんは背中に腕を回し、上体を起こした。 「万歳で、見送って欲しい」 背中に回された腕が離れ、顔を覗き込まれる。 「翔太郎」 優しく名前を呼ばれた。 「万歳……万歳、万歳っ」 初めは小さかった声を大きくして、清さんの目を見る。清さんは俺の頭を撫でた。 また来たときと同じ、鈴の音と強い風が通り抜ける。 ちょっと待って! まだ話は終わってない。 目を開けるとじいちゃん家のあの部屋にいた。 「スイカ切ってきたぞ」 じいちゃんがスイカを持って、台所から現れる。 「どうした、翔太郎」 「いや、なんでもない」 御盆に乗ったスイカを受け取り、外を見た。いつも通り、空は青い。 2011.09.02(66回目の終戦の日) hakusei ← |