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三途の川


 目を覚ますと生温い風が、汗を掻いた額を冷やした。
 ベランダへと続く窓が開け放してある。まだ外は暗い。夜のようだ。
 赤い点が黒い影に見え隠れする。その黒い影も揺れるカーテンで見え隠れしている。
「黒川」
 寝起きだからか、情事後だからか――おそらく、両方だろう。掠れた声がでた。
「起こしたか?」
 こちらを振り返り、優しい声色で聞く。所謂不良というレッテルを貼られた人間だという事を一瞬忘れてしまうような、甘く優しい声だ。
 可笑しくて喉の奥で笑うと眉間に皺を寄せたのが、見なくても分かった。
 ベッドの傍のテーブルから眼鏡を取り、それをつけて黒川を見る。
「黒川、知っているか? 三途の川というのは、罪の重さによって渡り方が違うんだ」
 そこまで言って黒川を見ると煙草を消して、ベランダから部屋に入ってきた。
「何だよ、いきなり」
 汗で張り付いたおれの髪を分け、おれの頭の横に腰を下ろす。
「善人は橋、軽い罪を犯した者は浅瀬、重い罪を犯した者は深いところを渡る。真っ赤な河を渡るんだ」
 黒川の頬に手を伸ばし、撫でる。夏だというのに、随分冷たい。
「お前らしくないな」
 汗を拭うように黒川の手が額を撫でる。
 おれらしくない。確かにそうかもしれない。こういう非科学的なことは、あまり好きではない。
 だいたい、三途の川というものは、人間が作り出したものでしかない。よく臨死体験をした、などと聞くがあれはただの人間の想像でしかない。死後のイメージを脳が見ているだけだ。
 それは宗教や国によって違う。日本人の多くは、三途の川と花畑といったものを想像するらしい。おれは、臨死体験をしたわけではないから自分のイメージがなんなのか分からないが、恐らくは前者であろう。
「三途の川を渡るとき、初めて自分の業の深さを知る。おれはきっと橋は渡れない」
 言って、フッと口元を緩めると黒川は困ったような顔をした。どうしてお前がそんな顔をするんだ。
「お前、馬鹿だろ」
 額を撫でていた手が、頬を抓る。女子みたいな攻撃をする奴だ。
「俺がお前の手ェ引っ張って、川だろうと何だろうと渡ってやるよ」
 勝ち誇ったような笑みを浮かべ、黒川は言う。
「今の関係が終わってたとしても、渡るときはお前の手ェ真っ先に握ってやるよ」
 お前は体力ねぇもんな。
 額をペチリ、と軽い音を立てて叩く。
「お前はおれより罪が多そうだがな」
 俺も黒川の頬を抓り、反対側を軽く叩く。
「あ? 道連れに決まってんだろ、ばあか」
 ペチペチと何度も額を叩かれる。地味に痛い。仕返しに抓る手に力を入れた。
2011.08.01


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