廃村



「ぜっっったいにイヤよ!!!」


街の奥に佇む大きな廃虚を前に、エマが大声を上げた。



時は少し遡る。
冬島からログを辿り、ハートの海賊団が上陸したとある島。
辿り着いた時の最初の印象は、とにかく暗い。

空はここら一帯厚い雲に覆われており、一切日が差してこない。
空気は湿っており、島人1人見かけない。
そこら中に古びた建物があるあたり、どうやらここは所謂"ゴーストタウン"だと推測した。


「ねぇ、絶対人なんていないし物資の確保もムリよ。ログがたまるまで船で大人しくしてましょ」


頑なに街への探索を拒むエマを皆が不思議がる。
いつもなら大体嬉しそうに船を降りていくのだが、今回はどうしたというのか。


「もしかしてエマ、怖いのか?」


ペンギンの何気ない一言に、エマが肩をビクッと跳ねさせる。
そして目線を右往左往させて、たらりと冷や汗が流れていった。


「…………」

「え、マジで?」

「怖い!?エマが!?」

「……そうよ怖いの!何が悪いの!?」


キッ、と睨むエマに「別に悪くねェよ」と返しながらもクルー達は笑いを堪えている。


「可愛いとこあんじゃんエマ〜」

「可愛いぞエマ〜〜」

「そこ、うるさい!どっちにしろ食材なんてないわよ、こんなところに!」


ハートの海賊団では船長のローを覗き、役割は常にローテーションと決まっている。
今回の島でのエマの役割は、食料の調達兼島の調査。
怪我などのどうしようもない理由以外では、基本役割を変える事はしていなかった。


「怖いから街の調査は無理です。誰か代わりに行っていただけないでしょうか。よろしくお願い申し上げます」

「急に開き直ったぞ」

「しかもめっちゃ丁寧」

「え、おれエマと探検するの楽しみにしてたのに」


そう言ったのは白熊のベポで、エマは思いがけない台詞に「え?」と声を漏らした。


「一緒に行けないの?」

「え、と…それは……」

「エマ、本当に行かない…?」

「う、うう……」


うるうると瞳を潤ませるベポに、エマの心が揺れる。
基本動物が好きなエマは、クルーの中でも一等ベポに甘かった。


「……い、行きます…」

「本当?やったぁ、おれ嬉しいな」

「ベポには勝てない…!」

「まァ、今日はおれ達も非番だしついてってやるよ」

「そうだな!ちょっと面白そうだし」


そう言ったのはペンギンとシャチで、エマは心強い増員にほっとした表情を見せる。
それならイッカクもと思ったが、生憎イッカクは先の戦闘で手負いのため、誘いの言葉はぐっと我慢した。


「おれも行く」


そんな中、会話の度肝を抜いたのはローの言葉だった。


「なんっ…!」

「やったー!キャプテンも一緒?久しぶりに一緒にお出かけできるね」

「お出かけって雰囲気ではねェよな」

「どうしたんですか、急に?珍しい」

「まァ、たまにはな」


そうしてニヤリと浮かべた笑みをエマに向けた。
どうやらエマのビビリ具合がどれ程か見てやろうという事なのだろう、オマケに探索以外に本当に何もできなさそうな島なのだ。

完全に暇つぶしだとエマは悟る。


(ほんっと、性格悪い…!!)


ベポに腕を引かれ、足取り重たくも探索を開始する。
やはり、人っ子一人見かけない。


「ほんとに何もないっすねー」

「廃虚になって相当時間が経ってるんだろう」

「次の島まで節約生活は避けて通れないわね」

「戻ったら釣りしようぜ、釣り」

「なァ、エマはこれのどこが怖いんだ?洞窟とか暗闇は全然平気じゃねェか」


シャチがそう問うと、エマはんん、と唸って口を開いた。


「なんか、生活の跡が生々しく残ってるのとか、ちょっと荒れてる感じとかが苦手、なのかな。不安になるっていうか……とにかく、なんか嫌なの」

「なんだ、お化けが怖いとかそういうんじゃないんだな」

「あら、幽霊ならむしろ興味あるわ。会ってみたい」

「なんだそれ、わっかんねーなー」


そんな会話をしながら一行は建物内を虱潰しに探索していく。
やはり中はもぬけの殻で、大した物は見つからなかった。

街の残骸の奥へ奥へと進んで行くと、ひと際大きな建物を見つけた。


「お、でっけー建物はっけーん」

「うわ、如何にも出そうって感じだな……」

「……ねぇ、入るの、これ」


ベポの影に隠れてエマが呟いた。


「「行くだろ」」

「そうよね……」

「別に、行きたくなきゃここで待ってればいいだろ」

「待つ…?」


ローの言葉に、エマは目線だけで周りを見渡した。


「ぜっっったいにイヤよ!!!」

「なら、観念してついてくるんだな。お前等、行くぞ」

「アイアイ!」

「大丈夫だよエマ、おれが居るからな!」

「ベポ…!」


ベポの大きな身体に両腕を回し、くっついたままの状態で、エマは廃虚へと足を踏み入れた。

中に入った途端、ゾワリとした感覚がエマを襲った。
誰かがいる気配もなく、静かで、ただただ荒れた形跡のある廃虚だ。
しかし、それがどうもエマには不気味で仕方がなかった。


「広いな、二手に分かれるか」

「ですね」

「おれとシャチ、ペンギンは2階。ベポとエマは1階を調べろ」

「アイアイキャプテン!」

「わかったわ」


ギシギシと音を立てる木造の階段を上がる3人をハラハラしながら見守る。
無事に上り終えたのを確認してから、ベポとエマも探索を開始した。


「行こうか、エマ」

「うん」

「エマ、大丈夫?」

「……なにが?」

「あんまり顔色良くないように見える」

「うん、大丈夫よ。ただただこの空間が苦手なだけ」

「そっか、あんまり無理しないでね。ダメそうなら一緒に外でキャプテン達の事待ってようよ」

「ありがとう、ベポ」


そうして二人一緒に近くの部屋から順に回っていく。
しかし、やはり大した物は見つからない。
すでに物色された後なのか、ここの島人達が自主的に持って行ったのか、真相は分からない。


「何もないね」

「そうね……あ、ベポ気を付けて。そこの床腐ってる」

「え?」


バキッ


「ええええ!?」

「ベポ!!」


エマが注意したにも関わらず、床を踏み抜いてしまったベポ。
音がして、踏み抜いた場所からビキビキとヒビが入り、まずいと思った時にはベポを力いっぱい突き飛ばしていた。


「きゃあああああ!!」

「エマーーー!!」


突き飛ばされたベポの代わりに、エマの身体が重力に引っ張られて落ちていく。
少しの浮遊感の後に、背中からお尻にかけてを強い衝撃が襲った。


「い、たたたた」

「エマ!エマ、大丈夫ーーー!?」

「だ、大丈夫よ!そんなに高くなかったみたい!」


ぶつけた箇所をさすりながら立ち上がり、上にいるベポに声をかける。
ベポはごめんと謝罪を繰り返し、どうしようと少々パニック状態のようだ。


「落ち着いてベポ!私は大丈夫だから、2階に行って船長呼んできて!ちょっと高さがあって、自力じゃ登れないの!船長の能力なら上がれるから!」

「わ、分かった!ごめんね、エマ!すぐキャプテン呼んでくるから待ってて!」

「お願いね!」


「任せて〜〜!」というベポの声が遠くなり、辺りは静寂に包まれた。


「地下、かしら……」


唯でさえ暗かった館内の更に下に落ちてしまったため、1メートル先も見えない。
こんな状況で先に進むのは危険だと判断し、エマは大人しくその場に座り込んだ。

自分から発する音以外、何も聴こえない無音の世界。

ドクン、ドクンと早まる心臓の音が、やけに大きく聴こえた。


「…………ハッ、っ……」


息が上手く吐き出せず、息苦しい。
気が付いた時には、呼吸がは浅くなり息切れを起こしていた。


(まずい、過呼吸…!)


こんな時に、都合よく袋のような物など持ち合わせていない。
着ていた服をグっと引っ張り上げ、口元に押し付けてゆっくり呼吸するように自分に言い聞かせた。

そして、ぎゅっと瞑っていた目をふと、開いた時だった。

視界に広がる、真っ暗な空間。
何も見えず、聴こえるのは自分から漏れた声だけ。


「…………あ……っ、ああ………!」


突然、10年前の記憶がフラッシュバックした―――



「きゃあああああ!!!!」

「た、たすけて、誰かぁ!!たすけて……ぎゃッ」

「アアアアア!!おれの、おれの脚がァッ……うぎゃああああ!!!」

「お母さん!お父さん!!いやああああ!!」



「ふっ……ッ、う、っうァ……」


あの時、母と父と別れた後、エマはずっと隠れていた。
無我夢中で駆け込んだ、誰の家かももう分からない床下で。

ずっと、ずっとずっと長い時間、誰かの悲鳴に耳を塞ぎ、真っ暗闇で一人。

今の状況は、その時の状況によく似ている。


(泣いちゃ駄目、泣いちゃ駄目なのに…ッ!!)


上手く空気が吐き出せず、苦しみもがくエマの目には、じんわりと涙が溜まっていた。
泣いてしまえばもっと苦しくなるだけなのに、今ここに一人だという不安と恐怖が押し寄せてくる。

ついに身体は倒れこんでしまい、エマの詰まるような咳と呼吸が響く。

自分の弱さと情けなさに、ガリッと唇を噛んだ。その時だった―――


"ROOM"ルーム


突如聞こえた声と共に、ぼんやりとした明かりが視界に入った。
オレンジ色の炎の先に見えた顔は、口角を上げてエマを見下ろしていた。


「また泣いてるのか、案外泣き虫だな」


エマ、と名前を呼んだのはローで、それに続いて上からも声が聞こえてきた。


「エマ、キャプテン呼んできたよ!」

「大丈夫かァー!」

「エマー!」


仲間達が来てくれた事に、自分でも驚くくらい安心した。
それまで苦しかったのが嘘のように、ゆっくりと呼吸ができた。

そんな彼女の様子を見て、ローが眉間に皺を寄せる。


「過呼吸か」


そう問いかけたローに、小さく頷いた。

大丈夫、と出したつもりの声は音にはならず、ぐっと腕に力を入れて身体を起こした。
と、同時にフワリと身体が浮いた。
そのままローに横抱きにされ、気が付いた時には暗闇を脱出していた。


「わあああああんエマ、よかった!!ごめんおれのせいで!!」

「うわ、顔真っ青だぞ。大丈夫か?」

「過呼吸になってただけだ。大した事ねェよ」

「本当に駄目だったんだな。すまん、もっと気にかけてやればよかった」


3人の気遣いにふるふると首を横に振った。


「だい、じょうぶよ。心配かけて、ごめん」


今度は音にする事ができてほっとする。
そんなエマの頭をペンギンが撫でると、エマはふにゃりと笑みを見せた。


「キャプテン!エマ、おれが持つよ!」

「……いや、いい」

「そう?」

「あァ……しかし、本当に何もなかったな。船に戻るぞ」


そう言って外に向かって歩き出してしまう。


「…………ペンギン」

「…………なんだよシャチ」

「いいんだってよ」

「あぁ、そうなんだってよ」

「待ってキャプテーン!」


ベポは小走りでローの後を追い、ペンギンとシャチはお互い口をポカン、と開け、ワンテンポ遅れてそのまた後を追って行ったのだった。